第41話 公開処刑
「―――公開処刑?」
俺はそう口にしてから、その言葉の重みをズンと感じた。
「そうだ。……どうせ、死刑という判決が出るのは分かっていたのだろう? 愚かなグリフォンよ」
「……まあねぇ」
自嘲気味に笑って、俺は目の前のひとを見つめる。
血にも似た赤のドレス、長い黒髪に大きな瞳。相変わらずの美人。
――この国の女王、ハート。
知ってるのはその地位と名前と、嫌な噂だけ。それ以上は何も知らない。別に知りたいとも思わなかった。
「自業自得だ、というのは分かっているだろう。ルールに――女王に背く愚か者め」
冷たいナイフが首筋に触れる。
相変わらず物騒な物持ってるなあ、この人。
今ここで殺したら公開でも何でもないでしょうに。そう言って笑うと、逆に冷たく笑われた。
「これは、脅しだ」
ナイフがぐっと、食い込んでくる感覚がする。
――あー、少し切れたかも。
いつもだったら悦ぶ痛みすら、今はただ不愉快だった。
「いや、……脅しというのもおかしいか。どうせ、お前は助からんのだからな」
「そうかもしれないけどねー。俺別に後悔なんかしてないよ」
「……敬語を使え敬語を」
「今更そんなもの。使って何になるのさ」
そんなの俺の勝手じゃんね、と笑う。
すると、彼女の綺麗な顔に影が差した。
あーあ、怒ったかな? まあいいか、別に。
今更惜しいものもない。何も。今ここで殺されたって別に悔いはないしー?
「……まあ、いい」
ナイフを捨て置き、彼女は言った。
カランと小さな音が響き、首筋の不快感が消える。
「お前が後悔せずとも、お前が目の前で死にゆくところを見れば、アリスは怯えるだろう。か弱い少女だからな」
「そのか弱い少女をいたぶる気?」
「……お前はいちいちうるさいぞ」
すっと目を細めて、俺を睨む女王様。
そんな、本当のことを言ってるだけじゃんねえ。
認めたくないの? 自分の罪を。
思って小さく笑った。所詮彼女もか弱き人間か。
「アリスを手に入れるためなら、私は何も惜しくない。彼女の全てが欲しい、ただ彼女だけが」
「……気持ち悪ぅ」
俺なら絶対そんなに必死になれないね、と吐き捨てる。
いちいち女王様を怒らせてる気がするけど、別に怖くなんてない。
もはやどう足掻いたって死ぬ。分かってることだから。
「お前には分からないのか。この国の住人のくせに」
「俺って結構常識人だからぁー? そういう狂った人の考えは分からないっていうかぁー」
「……ふん」
もうどうでもいい、というように視線をそらす女王様。
怒る気もなくなったか。それはそれでいいけど。
今更何かに文句を付ける気も起きないよ。
「それに、あの子はアリスじゃないよ?」
「…………何?」
ちょっと間があってから、女王様は俺の言葉にぴくりと反応した。
どういう意味だというようにじっと睨んでくる。
そりゃあそうか。ずっと求めていたアリスを、偽物だと言い切られたんだから。
「彼女は、アリスとしては出来損ないだろうね。アリスにしてはあまりに強すぎるから、大人しくキミのお人形になんかはならないと思うよぉ〜? アリスにはあまりにも相応しくないよねぇ」
強くて優しい少女。
彼女は誰かに流されず、それこそ最後の最後まで自分の意思で行動するだろう。
それを思い浮かべると、自然に笑みが零れる。
「……何を笑っている。私を馬鹿にしているのか?」
「別にぃ〜? 被害妄想、やめたら? 俺サディストじゃないしキミにはあんま興味ないし」
彼女、確実に怒ったな。
静かな笑みを浮かべてはいるけれど、それは作り物にしか見えない。
こんな作られた美しさより、多少不細工でも、あの輝きが好きだ。
「……もうやめだ。私は帰るぞ、せっかく教えてやろうと思ったのに――お前に全てを話すのはやめておく」
「えー、別にいいよ。話してほしいわけじゃないしー?」
彼女はふん、と言って踵を返す。
響く足音には力がこもっていて、怒っているのが丸分かりだ。
――もう、短気だなぁ。だって本当に知りたくもないし。
全てなんて知りたくない。冥土の土産なんて、あの子の話で十分だもん。
でも、ただ一つ、聞きたいことがあったとしたら。
あの子の名前が――知りたい。
――女王様は興味ないだろうから、覚えてないと思うけどね?
知りたいんだ。ただあの子が、誰なのかという記憶を。
最期の瞬間まで、覚えていたい。
でも……その願いは、叶わない……のかな。
もし、俺がもうすぐ、死ぬのだとしたら。
処刑されるのだとしたら――。
……もういいや。
難しいこと考えたら眠くなってきちゃった。
今は寝よう、おやすみぃ。
☆★☆
不気味なほど穏やかな日々が過ぎていく。
ただ朝が来て、昼が過ぎ、夜が始まり。
同じような一日の繰り返しにしか、思えなかった。
「うーん……」
この国の呪いを解くと決心したものの、私は何も見つけられなくて。
今もこうして公爵夫人の書斎に居座らせてもらって、色んな本を読んでいるけれど。
こんな膨大な量の本を読んだって、呪いを解く方法――なんて書いていない。
当たり前と言えば、当たり前かもしれないけれど。
それにしても――何なのかしら。
この世界の歴史とか何とか、そんなものばかり綴ってある。
「あ、ありす! いたいたーっ」
「あれ、ミルク君? どうしたの?」
「お昼ご飯の時間だよって、呼びに来たの。今日もここで本読んでたんだね。ありすは本好きなんだ」
「うーん、好きっていうか……そうせざるを得なかったっていうのかな」
私はミルク君が来たのを見て、本を閉じる。
うーん、やっぱりちょっとした違いでも、その発音がいい。当たり前か、私の名前だもの。
4日前――あの日あのあと、私のことを、ヤマネ君がみんなにも話してくれたの。
そして、みんなが『私』を呼ぶようになってくれた。
ちょっとした違いだけど、やっぱり、ね。
嬉しくて、ちょっぴり照れ臭くて。私がここにいるんだって、思えるから。
「ねえ、ミルク君。それにしてもさ、この世界の文字と、私のいたところの文字が一緒だなんて、何か変だよね」
「え、……一緒?」
「え……うん。だって私、この本読めるよ?」
私はそう言って、持っていた本を指差して見せる。
ミルク君は目を丸くして、私の顔をまじまじと見た。
けれど、本に視線を移すなり、ほっとしたように笑い。
「――ああ、その本か。何だ、びっくりしちゃった。それはね、【アリス用の本】なんだよ」
「アリス用?」
どういう意味だろう。
アリス用の本? 私が首を傾げると、ミルク君はくすりと笑った。
「アリスしか読めない本だよ。正確に言えば、アリスと定められた人しか読めない本」
アリスしか、読めない……。
どういう仕組みなんだか知らないけど、そりゃあ大層なものね。
何のためなんだか。
「この世界とありすの世界で文字が同じなんて、そんな気味悪いのやだもん。『アリス』以外では長いことそっちの世界とつながりないみたいだからさ、同じだったらおかしいでしょ」
そうなんだ。
確かに、世界間のつながりがないのに、文字が同じってのも奇妙な話か。
「あれ、でも、何でそれがこんなところに……」
「この世界のことを教えるために、かな。公爵夫人の屋敷なら、結構目につきやすいでしょ。僕は読めないから、何書いてあるんだか知らないけどね……結構アレな内容じゃない?」
「アレって。確かにそうだけど」
それもそれで、奇妙な話ね。
まるでこの本たちを読んでほしい、みたいな。
この世界のことを知らせようとしてる――みたいな。
歴史も、何もかも、全て。アリスは知らなきゃ駄目だというように。
じゃあ、これを私が読んでるのは、何故? 誰もが予想済みの、予定調和?
それじゃあ私は、何のために――。
「――なーんてね。このことを言うのも、本当はルール違反なんだけど」
ぺろ、と舌を出して笑うミルク君。
え、それって――。
「だ、駄目なことなんじゃないの!?」
「そだよ。でも今さらじゃない? ありすに覚悟があるなら、僕らだって覚悟を決めなきゃ」
ミルク君は、笑ってそう言った。
私は小さく、ありがとうと呟く。
私のために。ただの私のわがままのために、彼らは命すら懸けてくれる。
そんな彼らのためにも――私、頑張らなきゃ。
「ねえありす、とりあえずお昼ごはん食べに行こー! みんな待ってるよ!」
「あ、うん」
わたしは頷いて、ミルク君と手をつなぎ書斎から出る。
あったかい。
何だか、心まで温かくなるよう。
二人の体温が、だんだん同じになっていくように。
「……私、頑張るからね」
「え?」
「ううん――、何でもないよ」
私に出来る全てのことを、それが彼らへの恩返し。
ありがとうの意味を込めて、私の出来ること。
きっと、救ってみせるから――。
――でも、私は知らなかった。
その時すでに、私は罠にはまっていたこと。
全て仕組まれた、予定調和。
崩すことなど、できはしないのだと―――
「刑の執行は、明後日! そう、アリスに伝えるがいい!」
歯車は、狂い続けていく――