第39話 優しさの代償は
「よく食べるね、ありす」
「む。馬鹿にしないでよ! ずーっと食べてなかったんだからね、誰だってこれくらい食べるわよ」
チェシャ猫に呆れるようにそう言われ、私はむっとして反論した。
それは本当。どれだけ食べてなかったことか。
今ばかりははしたないと怒られたって構わない。
だって、それくらいお腹空いてるんだもの。
「いいことだよ……。元気があるってことだもん……。アリスは今まで頑張ったんだから……そんなの、気にしなくていいんだよ……」
隣に座ったヤマネ君が呟く。
うっわぁ優しい。チェシャ猫とは大違いだ。
「ね、だから……せめて今だけでも……ゆっくりしてて……?」
「あ、ありがとう……!」
うぅ、その笑顔が可愛いよ。
それにしても、何て優しいんだ。他の人には、そんな言葉かけてもらえなかったのに。
せいぜい苦笑されたくらいだぜ、こんにゃろう。
「あんまり甘やかさない方がいいよ、ヤマネ。ありす調子乗るから」
「ど、どういう意味よっ!」
「そのまんまの意味だけどー?」
チェシャ猫はくすくすと笑う。
全く、もう。ヤマネ君に比べて、何てこいつは意地が悪いのか。
……それとも、比べちゃ駄目か。比べる基準を間違ってる。
「何か……、仲、いいね」
「どこがっ!?」
「全部」
間髪を入れずに切り返され、私は何も言えなくなる。
確かに、周囲から見たらそう見えるのかもしれないけど。
当の本人には、そんなつもりは全くないのに、もう。
「仲がいいのは、いいことだよ……? 少なくとも、僕はそう思うけど」
ね、と優しく微笑まれ、私は頷かざるを得なかった。
だって、可愛いんだもん!
反則的な可愛さ。誰がこんな子の言うことを否定できようか。
「じゃあ……、僕はミルクの暴走止めてくるから……。ゆっくり、しててね?」
にこ、と笑ってヤマネ君は立ち上がる。
暴走? 何のことかと不思議に思って顔を上げると、向こうに見える謎の騒ぎ。
暴れるミルク君と、それの被害に遭う瓜二つの少年二人。
……うん、暴走してるね、ミルク君。ディーとダムが危険だ。
あー、頑張って、ヤマネ君。
心の中でエールを送り、ご飯モードに戻った。
「……ねえ、チェシャ猫」
「うん? 物を食べながら喋るのは行儀が悪いよありす」
「今は食べてないもーん」
「……そういう問題じゃないと思うけどな」
私はその話を何とか適当にごまかし、さっきふと浮かんだ疑問を口にする。
「ヤマネ君って、優しくない? チェシャ猫の100倍くらい」
「……それ、どういう意味?」
「そのまんまの意味だけどー?」
私はさっきのチェシャ猫の真似をして、意地悪に言った。
チェシャ猫の顔が、不機嫌そうに歪む。
そして彼の手が伸びてきて、――ほっぺたを引っ張られた。
「ぐにー、伸びる伸びる」
「ひゃ、ひゃひふんほほ!」
「何言ってるか分かんなーい」
不機嫌そうに歪んでいた顔が、意地悪く笑う。
「ほら、ごめんなさい、はー?」
「ひゃ、ひゃんへひょ」
私は必死に抵抗するも、何せチェシャ猫の力は強い。
それは実証済みだ。この身を持って。
「ご、め、ん、な、さ、い、は?」
「ひょ、ひょへんひゃひゃい……」
結局、謝ることになった。
チェシャ猫は満足そうに手を放すと、くすりと笑った。
「ありすってば生意気になったよね」
「何それ、いつと比べて言ってるのよ!」
「だって、さっきなんてしおらしく俺の腕にしがみついて――」
「あーあーあー! 聞かない聞こえない聞きたくないっ!」
私は、チェシャ猫の言葉を必死に遮る。
そんなの気のせいだでっち上げだ。
真っ赤になって否定しても、チェシャ猫には逆効果。
「ありすってば可愛い。素直じゃないんだから」
「うるっさい! この変態!」
「きゃー暴力はんたーい」
私は恥ずかしくなって、全力でチェシャ猫をどついた。
けど、彼にとっては何のその。ただ気色悪いリアクションが返ってきただけ。
「それで、何の話だっけ? ――ああ、ヤマネの話だったよね」
私の攻撃を軽くあしらって、チェシャ猫は続ける。
「ヤマネは確かに、誰にでも等しく、凄く優しいと思う。優しすぎるくらいにね」
チェシャ猫の言葉に、私は殴るのをやめて大人しく聞くことにした。
その話も気になるし、多分、私の攻撃なんて彼にとってはただの遊びに過ぎないから。
「ヤマネは昔っからそうなんだ。誰にでも世話焼いて、自分のことを考えてるのかどうかも分からないくらい」
「そう、なんだ……」
確かに、彼はとても優しい。
少し優しすぎる、と感じるほど。
でもそれはヤマネ君の長所だって、私は思ってる。
「いいことだと、思うよ。俺はあんな風に他人の世話なんか焼けないしね」
「そう思う」
「えー、ひどいなぁ。そこは一応そんなことないって言っておくべきじゃない?」
「本当のことでしょ」
私がそう言うと、チェシャ猫はちょっとだけ苦笑した。
そして、続けて。
「――ただ、それがヤマネの命取りになるんだと思う」
――瞬間、明るい気持ちが全部吹っ飛んだ。
「……え?」
「優しいばかりじゃ、この国では生きていけないよ。優しいのはある意味、罪かもしれない」
私は一瞬、自分の耳を疑った。
だってまさか、そんなことを言うとは思わないもの。
そんなこと言わないで、って願った。嘘だって言って、と。
「“アリス”を守るのに、犠牲は必然。それを認めない者はみんな、死んでいくのを知ってる」
「ぎ、犠牲なんてっ! 当たり前じゃない、そんなの誰だって望まないんだから――」
「犠牲のない世界なんて成り立たないよ、ありす。それは綺麗事。ありす、君だって“アリス”じゃなければ、今頃生きてない」
突然冷たく突き放されて、私は思わず泣きそうになる。
ひどい、そこまで言わなくてもいいじゃない。
そう言いたくても、言えなかった。
「ああ、それとも、会ってもいなかったかな? この世界に来ることもなかったんだから」
そんな風に笑わないでよ。心の中で叫ぶ。
一瞬、自分が本当に泣いているのかと錯覚してしまった。
「そんな泣きそうな顔されても困る。だって、事実でしょ?」
何だか、チェシャ猫が遠い遠い人のように思えた。
もしかして彼は、多重人格者かしら。
だって、見え隠れする表情は、いつだって違う人みたい。
優しかったり、冷たかったり、笑ってたり、怖かったり――いつ見ても、初めての表情。
それが何だか、怖かった。
「――チェシャ猫。いい加減ストップ……だよ」
怖くなって泣きそうになっていると、後ろから柔らかい声が響いてきた。
思わず振り向けば、そこに立っていたのは、ヤマネ君だった。
でも、彼はいつもの彼じゃなく。
「ヤマネ……く、ん」
「そんなの、いくら何でもひどすぎる。そこまで言うことないよね? チェシャ猫」
その真剣な表情には、普段の優しさの面影は見られなかった。
口調も、いつものヤマネ君からは考えられないような厳しい言葉で。
「俺はアリスだからって容赦するつもりはないよ? アリスだからこそ、かもしれないけど」
でも、チェシャ猫は全然真に受けていない。
だって、くすくす笑ってるくらいだもの。
「だからといって、彼女は悪くない。アリスがかわいそうだよ」
それからヤマネ君は、私の方を向いて。
「さ、行こう、アリス」
「え? い、行くって、ど、どこに?」
ヤマネ君はそれ以上何も言わず、私の手を引っ張って歩き出す。
私も振り払えずについていくけれど。
――どこに行くんだろう。
とりあえずドアの方へ向かっているところを見ると、部屋から出るみたい。
結局ご飯、途中だったな……。まあ、仕方ないかな。
「あーあ、結局俺が悪役かぁ」
変なことを考えて、それからチェシャ猫の苦笑を聞きながら、私は部屋を後にした。
さて、余談ですが。
この39話、実は昨日完成しておりました。
しかーし!(ババーン
何と!
投稿しようといじってるうちに!
エラーを起こして、消えてしまったのです……!(馬鹿
ああ、何たる失態!
頑張ってもう一度書き上げたのですが……何か違う?
と、とりあえず、次からは気を付けたいと思います……(遠い目