第36話 裏切り? それとも……
更新、かなり遅れてすみません><
……迷子、だ。
いや、当たり前と言えば当たり前だ。
こんな見知らぬ地で迷子にならない方がおかしい、というか見知らぬ地にいる時点で私は迷子だろう。
「ここ……、どこよ」
返事なんて返ってくるわけもないけど。
うん、ごめん。期待なんてしてなかった。
できれば変な奴に見つからないように、音を立てないようにそろりそろりと歩いていく。
いっこうに終わりの見えないこの森に、ふいに泣きそうになる。
ひとりで歩き続ける孤独と、今にも囲まれそうに感じる恐怖。
できればしゃがみこんで、この場から消えてしまいたかった。
でも、それができないから……私は、歩き続ける。
「……最低」
何が最低なのか、自分でも分からない。
ああ、もう、誰か来てよ。
怖くて、寂しくて、不安に押し潰されてしまいそう。
結局ハク君も捕まえられないし、謎を残していっただけ。
誰でもいいの、この不安を和らげてくれる人なら。
目を閉じれば……みんなの姿が、次々と浮かんでくる。
……はずなのに。
「……何で、あの猫なの」
頭が痛い。
目を閉じると思い浮かぶのが、何でチェシャ猫なんだろう。
味方か敵かも分からないあの猫を思い浮かべるなんて、私……うう、最悪。本当に最悪だ。
「あんな変態猫、気にしてる場合じゃないのにっ!」
私がそう叫ぶと、ガサリと近くの茂みが音を立てた。
ま、まさか……何か、気付かれた? 私は思わず身構える。
「――変態で悪かったね」
「……あ……」
茂みから出てきたのは、今ちょうど考えていた彼だった。
少し不機嫌そうな表情で、その身体にはところどころ傷が付いている。
「――チェシャ猫っ!」
見慣れたその姿を見た瞬間、私は安堵していた。
何故か、彼は敵じゃないと――そんな風に、思ってしまっていたから。
その心が、いけなかったのかな?
でもそれは、その時は知るはずもないこと。
とにかく私は嬉しくて、苦しくて。
思わず彼に抱きついた。
「生きてたんだ、ね……よかった……よかったぁ……」
「何それ。俺が死ぬわけないでしょ?」
ちょっと不機嫌そうに、でも優しい声でそう言うチェシャ猫。
私も笑う。
悪いけど、あんな強そうな人と戦って無事だなんて信じられないもの。
本当によかったと、強く強く抱きしめる。
「ま、ちょっと痛かったけどね……さすがにジャックってところかな」
そう言って笑う様は、普段のチェシャ猫。
私は完全に安心していた。
彼を、信じ切っていたんだ。
「よかった……私――」
「俺の心配なんかよりさ。ありすこそ、大丈夫?」
うん、と私は笑って頷く。
優しくなでてくれる手が嬉しい。
この温もりを離したくないと、そう思っていた。そう、私は願ってしまったんだ。
私は、私は、彼が――
「……ねえ、ありす」
「え?」
不意に投げ掛けられた言葉に、私は顔を上げる。
何だろう。何故か、嫌な予感。心臓の音が、段々大きくなっていく。
見上げたそこには、いつもの彼がいて……知らない彼がいた。
笑う紫の瞳、口の端は吊り上がり。歪んだ表情が、私の不安を煽った。
「――俺のこと、信じ切ってるでしょ」
ああ……それは、崩壊への序曲?
「チェシャ……猫?」
私が問うと、彼は笑った。
『……敵、なの?』
『さあ?』
彼はあの時、問いに答えなかった。
味方か敵かと問われて、答えなかったんだ。
敵でも、おかしくないと……そう言いたいの?
「ねえ……“アリス”?」
――違う。
違う。
違う。
違うよ、こんなの……。
彼じゃない。
彼は、私を見ていない。
「アリス」
こんなの、チェシャ猫じゃない。
「や――やだっ!」
私はチェシャ猫を突き飛ばして逃げ出す。
恐怖。恐怖。恐怖。
今までにない恐怖に、私は震える足を無理やり動かして走った。
どうして。
どうして。
どうして。
どうして……。
信じていたのに。
本当は、誰よりも信じていたのに。
彼は、――私を“アリス”と呼んだ……。
涙がじわりと滲んだ。
私、また泣いてる……。
それでも……もう、気にならない。どうでもいい。
走った。走り続けた。
恐怖を振り切るように、ただ走り続けていた。
彼は、私の敵だったの? ずっと、ずっと……?
裏切られた辛さは、何よりも重い。
痛くて、辛くて、怖くて、何より悲しい。
「何で……っ」
悲しみに支配されて、ついには地面に座り込む。
涙が止め処なく溢れて、どうしようもなかった。
彼は彼じゃなくなった、それとも彼は本当の彼に戻ったの?
最初から、私を騙していたの……?
私は覚悟を決めて振り向く。
そこに、どんな冷たい目をしたひとがいても、私は。
――けれど、そこには誰もいなかった。
「……え……?」
てっきり、追いかけてきているものと思っていたのに。
私は驚きのあまり固まる。
だって、だって、この国民の目的は――『私を屈服させること』多分、そう。
チェシャ猫だって、味方じゃないならその目的を持っている、はず。
なのに、彼は私を追いかけてきていない。
追いかけるはずじゃないの?
捕まえる気じゃないの?
――じゃあ、何のために――
敵だったり、敵じゃなかったり。
味方だったり、味方じゃなかったり。
一体、彼は何?
「ねぇありす。敵っていうのと味方じゃないっていうのとって、結構意味が違ってくると思わない?」
――突然、背後で響いた声。
驚いて振り向くけど、――やっぱり誰もいない。
どういうこと?
「やだな、ありすってば。ほらほら、こっちこっち」
え?
上から声が……なんて思って、上を見る。
空に目がいく前に、視界いっぱいに広がったのは見慣れた彼の顔。
“いつも通り”の、チェシャ猫だった。
「え……」
「さっきの俺、怖かった? だとしたらごめん。そんなつもりはなかったんだけど」
チェシャ猫は、ぺろりと舌を出して顔を歪ませる。
私は、悲しいんだか嬉しいんだか分からなくて。何とも言えない感情に、ただ固まっていた。
驚愕。混乱。あえてその感情に名前を付けるとしたら、それらが一番近いんだと思う。
「ごめんね、ありす。ただ、そうしなきゃいけない理由があったんだ。こうしないといけない理由」
「……何、それ……」
私を騙す理由が、あったの?
そのために、私に、あんなこと。
「本当にごめん。でも、俺は敵じゃないよ。――約束する。命懸けてもいいよ」
何でそうやって笑うの?
私のこと騙して、怖がらせたりしたくせに。
許されるなんて……思ってるの。
ひどい、よ。
「――何、今さら……許してあげないんだから」
でも、私は天の邪鬼かな。
ひどいなんて思いながら……許してあげないなんて言いながら。
よかった。
心の奥底で、すごく喜んでる自分がいる。
けど、私の口からは、やっぱり優しい言葉は出てこなくて。
「敵じゃないっていうのと、味方だっていうのも……結構違うじゃない」
「手厳しいなぁ」
チェシャ猫は苦笑した。
私だって、こんなこと言うつもりじゃなかったのに。
なんて、言い訳にしかならないけど。
「じゃあ、言い直そうか? 俺はありすの味方だよ」
「……今さら信じられない」
またそう言ってそっぽを向くと、今度返ってきたのは苦笑じゃなくて、暖かい彼の両腕の感覚だった。
抱き締められてる。
そう気付いた時には、もう遅い。
顔が熱くなって、でもその腕を振り解くこともできなくて。
ただ、抱き締められたまま囁かれた言葉。
「信じてもらえなくても、許してもらえなくてもいいよ。俺はただありすを守るだけ」
――本当は私、チェシャ猫のこと許してるし信じてるよ。
彼の腕の中で呟いた言葉は、誰にも届かずに消えた。
ずるいよ。
そんなことされたら、許すしかないって知ってるでしょ?
だって、私、チェシャ猫のこと信じてるもの。
心から疑ったことだって、ないんだから。
どんなことをされたって、言われたって。
多分私は彼を信じることをやめられない。
何でだろう?
あんなにひどいことをされたって、どこかで彼が『冗談だよ』って言うのを待っていた。
それはチェシャ猫の不思議な魔力? 絵空事に過ぎないけど、でも……。
私は、彼を――