第34話 悲しい呪いに囚われて
ふわふわと地に降りてきたように、優しく包み込まれる感覚。
優しい夢の終わりに、自然と瞼が上がる。
優しい匂い。
暖かい空気。
夢の余韻。
ぼーっと見上げれば、綺麗な朝焼け。
朝の到来を示していた。
綺麗……。
私は、自然と顔が綻ぶ。
―――って……あれ……?
わ、私、生きてる……?
ふいにそう感じ、何とも言えない感じが胸のあたりに広がった。
私は、周りの様子を確認しようと首を横に向ける。
鬱蒼とした森の中、視界の端にちらりと映ったのは白く長い“何か”。
「……あ……」
自分の声なのか、それとも誰かの声なのかも分からないほど小さな声が漏れた。
見覚えのある、それ。
ぴょこぴょこと動く白い“何か”は、耳だった。
「……は、ハク……君?」
「あ、アリス。起きましたか」
まだ夢心地で、目の前にいる人が誰か分かっても驚いたりしなかった。
優しく微笑む綺麗な少年は、私のおでこにパサリと冷たいタオルをのせる。
「えっと、私……」
「突然空から落ちてきたんですよ。どうですか? 痛いところはありませんか?」
痛いところは……ない。
私が微かに首を振ると、ハク君は安心したような顔をした。
「それはよかったです。ほとんど奇跡ですね」
頭はくらくらするけれど、どこにも怪我はなさそう。
本当に奇跡だ。
だって私、確かあんな高いところから落ちたはずなのに……。
……って、ん。
私―――?
「あっ!」
そうだ。
私は本来の目的を思い出し、ハク君の方へと手を伸ばす。
「おっと」
が、彼は私の手を軽々と避け、微笑んで見せた。
「危ないですね。安静にしていた方がいいとは思いますよ?」
「でも、私……!」
ハク君はいいから、と言って近くのきりかぶに腰掛ける。
――私はどうやら、大きな花の上に寝かされているみたい。
何だろう、この花。この世界だけにしか生えてない花だろうけど。暖かくて、柔らかい。
「―――それより、アリス。貴女には、また会えたら全て話すと……そう、約束していましたね」
「あ……」
そうだ、私は、ハク君とそんな約束をしていた。
ただ、何を教えてもらえるのかは分からないけれど。
それでも、それを聞かなきゃいけないと、そう思って。
「僕らはまた巡り会いました。ならば、約束を果たさなければいけません」
柔らかい声でそう言うハク君。
私はじっとその話に耳を傾ける。
一言一句聞き逃すまい、と。
「今だけは、僕の話を聞いていて下さい。――今だけは、“アリスと白兎”なんて、追いかけ追いかけられの関係じゃなくて」
「え、あ……うん……」
悲しげな表情をされて、私は反射的に小さく頷く。
まあ、どうせ、しばらく動けそうにないし。
無理に動いてどこか痛めるのも嫌。
「僕は、貴女をアリスとしてこの国に連れてきました。それは、最初にも言いましたけど、ね」
そう、私はアリスとして―――ここに、連れてこられたんだ。
私はこくりと頷いた。
「――でも、本当は違う。貴女は、自分はアリスじゃないと……そう言いました」
「いや、えっと……それは。……私、アリスなんて名前じゃないし」
俯き気味にそう言うと、ハク君はふるふると首を振った。
「そうじゃないんです。貴女は、アリスという役割そのものを否定しました。元の世界に帰りたいなんて……この国の住人の、淡い期待を砕くような」
「淡い期待……?」
「アリスにここにいてほしいと、自分のものになってほしいと願うその心です」
そう考えると、……この国の人にとって、アリスっていうのは凄い存在なんだと思い知らされる。
私なんて、普通の女子中学生なのに。この国全部の期待を背負う“アリス”なんて、おかしいじゃない。
「だから……貴女は、アリスじゃない」
「そ、そんな簡単に……いいの? アリスって、とても大切な存在なんじゃ」
「はい、とても大切な存在です。でも、貴女はアリスにはなりえないんです」
一体、アリスの定義って何。
私には分からない。
この国の人たちが、どんな思いでアリスを愛しているのか。
「アリス、貴女は何度も聞いたでしょう。この国にかけられた呪いのことを」
私はこくりと頷く。
確かに、ハク君をはじめとしたみんなが、その話をしていた。
呪いって、一体何? 誰も教えてくれる人はいなかったけれど……。
確かそれは“ルール違反”なんだと言ってた気がする。
それに―――私自身、夢の中で、“呪いを始めたアリス”という人に会った。
それはただの夢に過ぎないのかもしれない。でも真実かもしれない。
確証なんてないまま、ここまで来た。
「この国は呪われています。アリス=リデルという少女によって。彼女を愛するために、この国の人々は生きては死んでいくんです」
「そんな……っ」
そんなの、そんなの悲しすぎる。
アリスという肩書きに縛られたのは、その少女だけじゃない。
この国全てが、縛られていた。
「みんな、呪われていると知っていて、その呪いを解けないでいました。この国の住人も、この国へ連れてこられたアリスも。人々は、アリスと名付けられたものならば全て同じと認識し、ただ愛するように。操り人形のようになっているんです」
そんな“呪い”、一体どうして。
悲しすぎるよ。
誰か、呪いを解ける人はいないの?
「だから―――どうか、その呪いを解いてほしいんです」
「……え……?」
それって、一体どういうこと。
私は驚いて目を見開く。
それは………私、に?
「お願いします。この国の呪いを解けるのは……貴女しかいないんです。ありす」