第33話 どうか幸せな夢を
―――言っておくと、グリフォンが私を落としたのは城の窓より高い位置だった。
それなら、窓から落ちた方がマシだったかもなんて思うほど。
今もただ落ち続けている。
とても長い時間落ちている気がするのに、まだ終わらない。
最早、パニックすら起こせない程。
嫌に研ぎ澄まされる感覚に、せめて気を失えればとすら思った。
私が睨んでいる先は、緑の生い茂る森。
私はあの森に落ちるんだろう。
どうしよう。私、このまま死ぬの?
鼓動が早まって、頭がフル回転する。
頑張って空を見上げても、グリフォンは拾いに来る気すらなさそう。
っていうか、姿すら見えない。
本当は、ここで私を殺す気だったんだ……。
私、騙された……?
そう思うと悔しい。何で一瞬でもあんな奴のこと信じちゃったんだと。
近い。森がぐんぐん近くなってくる。
今にも人生が終わろうというのに、あまりにも冷静に働く思考。
森へとぶつかりそうになり、もう駄目だと思った瞬間、今さらパニックに陥る。
どうしよう? 私、まだ死にたくない! まだ……。
その思いだけがただ心を支配し、全身が熱くなった。
そして、今にもぶつかるという時―――ふっと意識が途切れた。
☆★☆
ドサドサッと大きな音に、僕は思わず顔を上げる。
何の音だろうか?
音の聞こえた方へと跳んでいくと、大きな赤い花の上に見覚えのある少女が倒れていた。
「アリス……?」
長い艶のある黒髪に、伏せられた長い睫毛。
赤いエプロンドレスを着て、何故か裸足で倒れている。
そういえば、さっきから城の方が騒がしい。
何かあったのだろう。
そっと彼女の頬に触れようとして、このゲームの追加ルールを思い出す。
あまりに近くにいると、すぐに捕まってしまうかもしれない。
―――僕はそれでも構わないけれど……。
易々と捕まってしまえば、女王様はお怒りになるだろう。
僕はそっとアリスから離れた。
「ん……」
アリスはどうやら生きているみたいだ。
かなり高くから落ちてきたようだけれど、この花がクッションになったんだろう。何て運のいい少女。
僕は遠くからその様子を見守る。
『アリスはどこだーっ!?』
城にはあまり近くないはずなのに、それでも聞こえる叫声。
多分、城の兵だ。
アリスは城から逃げ出してきたのかもしれない。
今にトランプ兵たちはここまでやってくるだろう。
僕はアリスをそっと花の中に隠す。まだ起きないことを祈って。
3分とかからずに、森の中に響いてくる慌ただしい足音。
4,5人くらいだろうか。
僕はそこから一歩も動かずにじっと待つ。
そして、僕の前に現れた5人のトランプ兵。
「し、白兎殿……」
「あ……アリスを知りませんか?」
僕を見て焦ったように尋ねてくるトランプ兵。
僕は何も知らない風に装って、首を傾げる。
「アリス、ですか……?」
「は、はい」
トランプ兵が頷くと、僕はゆっくりと首を振った。
「見てませんけれど。もしかして、アリスは城から逃亡したのですか?」
「は、はい」
「そうですか。そもそも、僕とアリスは鬼ごっこ状態なんですよ? もしアリスが僕を見つけたとしたら、追いかけてくるはずでしょう。そして当然、僕は逃げるはずです。僕に聞くのは間違いなんじゃないですか?」
「あ……、い、いえ、もしかしたらと思って」
「し、白兎殿のことだから、――アリスを匿っていてもおかしくないと」
ふいに低い声でそう告げる一人のトランプ兵。
僕はきっと、疑われているのだろう。
でも、それもおかしくはない。当たり前、なのかもしれない。
「そうですか……僕を、疑う気ですか?」
「い、いえ! そういうわけじゃ……」
同じく低い声で言い返せば、トランプ兵たちは焦ったように首を振る。
「それならいいんです。では、せいぜい頑張って下さいね。――女王様に首を斬られないように」
僕がそう言うと、トランプ兵たちはバタバタと逃げるように去っていった。
……何とか、なったかな。
アリスを隠した大きな花の中を見ると、アリスは何も知らないように眠っていた。
僕が助けてあげたことも、全く知らず。
「……ハク、……くん……」
「……アリス」
ふいに僕の名前を呼ぶアリス。
まだ安らかな眠りの世界の中で、闇など知らず。
――彼女は今、どんな夢を見ているのだろう。
彼女の夢の中に、僕はいるのだろうか?
別に、いなくてもいい。できれば、彼女にとっての“いい夢”を。
夢見の国に囚われた少女が、さらなる悪夢を見ないように。
どうか、幸せな夢を。