第2話 アリス奪い合いゲーム
町の中は静かで、誰一人いなかった。
私がどんなに探しても人は見つからず、ただ、大きな建物がどんとそびえ立つだけ。
「ハク君、この町は誰もいないの……?」
「皆、城に集まっています。ゲームが始まりますから」
「ゲームって何? 私が連れてこられたことと関係あるのね?」
「その通りです。その説明は多分、女王様から直々にして頂けますよ」
ちなみに私は、さっきよりもハク君と仲良くなっていた。
くだらない話で何故か意気投合したのだ。『案外いい人ですね』なんて言われて……案外?
まあいいや。とにかく、彼の言葉から分かったのは、ここは大きな国だということ。女王様が治めていること。ゲームというものが開催されようとしていること。それが私に関係あること……
でも、それだけじゃ私はどうしようもない。
今は彼に従って行くしかなかった。
「ねえ、私たちお城へ行くの?」
「ええ、そうです」
私はじっと城を見つめる。
白く、威圧するようにそびえる建物。
それはとても大きく立派で、私の国にはないものだった。――あっても困るけどね。
「女王様に会えば、全て分かるはずです」
私は、ハク君が言う、その『女王様』が優しい人であることを願った。
何でかしら――嫌な予感がするのよね。
そんなことを考えているうちに、私たちは城の前に着いた。
こうして見上げると、やっぱり大きい。こんなところに住んでる人って、本当にすごいなと思う。
装飾は煌びやかで、威圧的でもすごく豪華。やっぱり可憐なお姫様なんかが住んでいそうな。
「女王様、白兎でございます。アリスを連れて参りました」
「おお、アリスか!?」
ハク君がそう告げると、どこからともなく歓声が響いた。
あれが女王様の声だろうか。よく聞こえないけれど、思ったよりも若そうな印象を受けた。
そして、わあっと騒ぐような声。たくさんの人がいるらしい。町には、一人もいなかった代わりに。
「それでは、会場へ向かってくれ。アリスの扱いはくれぐれも丁重にな」
「はい、心得ております」
ハク君はどこか機械的な声で対応する。
一方、私はどこから声が聞こえるのだろうときょろきょろあたりを見回していた。
でも誰もいない。こうしていると何だか、見回してる自分が恥ずかしいんですが……。
「では行きますよ、アリス」
私はすっと地面に降ろされた。抱えるときよりは、よっぽど優しい動作で。
ここからは歩けってことなんだろう。
それならと歩き出そうとすると、代わりに手を差し出された。
……え?
……つなげって?
私は恐る恐る、優しく微笑んでいるハク君の手の上に自分の手を重ねる。
彼は、優しく私の手を握ってくれた。
暖かい。
少し緊張するけれど、そんなのも気にならないほど優しい彼の笑顔。
「それでは、行きましょうか」
「……うん」
ぎゅっと、ただ一つの温もりを捉えて。
ハク君は、私を誘導するように歩いていく。
優しくて……暖かくて、出会った時の冷たい態度が嘘みたいな――。
私はもう、ハク君のことが、好きになっていたのかもしれない。
――私たちが向かった場所は、迷いそうなほど広い庭だった。
庭っていうか、ただの迷路にしか見えないけれど。
「こ……ここが、会場?」
「そうです」
広いなあ、と私は思わず感心していた。
それはまるで、この町の半分くらいあるんじゃないかと思うほど。
庭なんて規模じゃあないと思う。
「アリス、よく来てくれた」
感動している私に、そう言って手を差し出してくれたのは、赤いドレスに身を包んだ美人のお姉さんだった。
綺麗。思わず見惚れてしまいそうと思いながら、私はぺこりと会釈する。
「いえ――えと、その、どうも」
私は空いている左手を、彼女の手の上に重ねる。
暖かい。両手に、優しい温もりが満ちた。
「私はこの国の女王、ハート。アリス、これからよろしく」
「こ、こちらこそ……」
綺麗な人だよなあ――って、あれ?
女王様?
ええ、この人が!?
私は驚いて思わず綺麗な顔を凝視する。我ながら失礼だ。彼女は気付かなかったみたいだけれど。
でも、何だか……分かる、かも。女王様っぽい気もした。言われてみれば。美人だし、豪華なドレス着てるし。それにしても、パーティ用みたいだけど。
――それよりこの人、さっき、『これからよろしく』って言った?
これからって……私、やっぱり帰らせてもらえないんですか? ちょっと落ち込む。何をされるというのか……。
「役者は揃った。すぐに『ゲーム』を始めよう。ハク、頼む」
「はい」
ハク君は私を引っ張るように連れていく。あ、ああ、美人の女王様から遠ざかっていくよー!
……なんて、気にしている場合じゃない。一体、何なの? 『ゲーム』なんて――全然分からないんだけど。
「アリス、ゲームが始まります」
「え、いや、そんなこと言われても……ね?」
同意を求めるけど、ハク君は私の方さえ見てくれない。返事すらなかった。
おーい、ハク君。さっきの優しさはどこいったんだ? 何か悲しい。
虚しさを覚えながらも引っ張られるがままになっていると、庭の中心に、ステージのような物が設置されているのが見えてきた。
な、何あれ。絶対に上りたくないと思ったのも束の間、ハク君はそのステージの階段に足をかけた。
……つまり、手を引っ張られている私も同じくステージの上に。
――うわわ、こうして見ると、色んな人がこっちに注目しているのが分かるんですけど。
人前に立つの慣れてないんですって。こんなにも視線が集中すると緊張するよ。私何もしてないけど。
「皆の者――長らくお待たせ致しました」
ふいに響いた、子供のものとは思えない大人びたハク君の言葉。
その瞬間、わっと歓声が上がる。
声は様々なものの、集まった人たちはみんな、何だか喜んでいるみたいだった。
「僕は今日、100人目の『アリス』を連れてきました」
100人目? アリス?
気になるけど、話を遮る勇気なんてこれっぽっちもなかったので、とりあえず聞き流す。
それより核心の部分を聞きたい。そう思って、歓声の中からハク君の声を懸命に探す。
「そして、今日が100回目のゲームの開催日となります。365日の長い長いゲームが始まります」
また一段と大きな歓声が上がる。雄叫びのような声も響いた。
何だか知らないけど、すごい……それは、そんなに楽しいものなのかしら?
他人事のように思った。――けれど。
「ルールは前回と同じ。アリスの奪い合いです。アリスを屈服させた者が勝ち、それだけのゲームです。手段は問いません。――彼女を殺さなければ。いいですね?」
わああ、と人々は狂喜する。喜び合って、抱き合って、ひどく狂ったようにも見えた。
え、何……これ?
けれどその中で私だけ、時の中から切り離されたように呆然と立ち尽くした。
――アリスの奪い合い? 屈服?
ちょっと……ありえなくない?
「は、ハク君……どういうこと?」
耐え切れなくなった私は、小声で彼に尋ねた。
けれど、返ってきた声は冷たく。
「どうもこうも、そういうことですよ。貴女は奪い合われるのです――この国の住人全てによって」
「な……」
「ああ、一つ――いいですか? 365日、アリスが誰にも屈服しなかった場合、アリスは女王様のものとなります」
はあ?
私は、一瞬硬直した。
私は奪い合われて、屈服させられて……もし一年間耐え切ったとしても、私は女王様の『もの』?
平然と言い切るハク君を見ていると、胸の奥から何か込み上げてきて――……
「ふざけるんじゃないわよ!」
私は思わず、大声で叫んでいた。
――皆が一斉に驚愕と好奇の視線を向けてきたけれど、それでも、後悔はしていない。
「何で!? 説明もされないで連れ去られて、挙句こんなゲームに参加しろだなんて――そんな、ふざけないで!」
後悔もせず、ただ私は叫んでいた。自分の思ったことを全て。
ふざけないで、とその気持ちばかり抱き締めて。
そんな私を見たみんなの顔は、途端に青ざめて――
「アリス……ごめんなさい。今までの無礼を謝ります」
みんなが、私に跪いた。
「は……はあ?」
まさか跪かれるなんて思ってないし、跪いてほしいわけでもない。
って、女王様まで跪いてるしっ。
私は焦って言葉を紡ぐ。何を言えばいいのかも分からず、混乱したままに。
「え、ちょっと、何……? いや、私は跪いてほしいんじゃなくて――そ、そう、元の世界に帰してほしいの!」
「アリス……」
ハク君は悲しそうに呟いた。
私を見る目が、ひどく鈍く光る。
「……そう、ですね。特別ルールを追加しましょう。もし、アリスが365日経つ前に僕を捕まえられたら、元の世界に戻してあげましょう」
え、と私は小さく呟いた。
本当に? それだけでいいの?
私は人に簡単に屈服なんてしないし、一年間あれば何とかなるだろう。
それに、ハク君もそれ以上折れてくれなさそうだったというのも本音。
「それでいいですか? アリス」
「ええ。それでいいわ」
私はこくんと頷いた。楽観的な思いばかりを抱えて。
――気付けば、これが最初の間違いだったのかもしれないけれど――。
「では、アリスの了承を得たので、『ゲーム』を始めます。始まるのは――今から丁度一時間後。今から、詳しいルールの説明を致します」
ハク君はそう言って締め括る。
その瞬間に、私は、どこか空気が変わった気がした――。