第23話 穏やかな夕暮れ
―――いつの間にか、私まで眠ってしまったみたい。
目を開ければ、外は朱く染まっていた。
そして、相変わらず私にくっついたまま眠っているチェシャ猫。
よく寝るなあ。まあ、私も寝た方だとは思うけど。
離れないようにしっかり私にしがみついているチェシャ猫は、どこか幼く感じた。
「……おなかすいたなぁ……」
思えば、相当ご飯すっ飛ばしてる気がする。
朝も昼も食べてないよ私。昨日の夜も食べてない。身体によくないぞ。
でも、チェシャ猫を振り払う気も起きない。
どうしよう。タイミングよく、誰か来てくれないかな。
いや、誰か来い。来るんだ!
ドアを凝視し、誰か来いと念を送ってみる。
―――結論。
誰も来なかった。
「……はぁ……」
別に、何か足りないものがあるわけじゃない。
夢の余韻のような、夕暮れの静寂はどこか寂しくて。
ただ、同時に幸せな気もした。
心の中で何か暖かい、優しい幸せ。
「……あり、す?」
幸せに浸っていると、突然近くで声が聞こえ、私は驚いて下を見る。
そこには、うっすらと目を開けたチェシャ猫。
「あ、起きたんだ……」
「ん……いつの間にか寝てた」
彼は紫の瞳を細め、腕を伸ばした。
起きたばかりでまだ眠そうにしながらも、チェシャ猫は立ち上がる。
「おなかすいた……」
「チェシャ猫も?」
眠そうに言うチェシャ猫が可笑しくて、私は笑う。
すると、チェシャ猫も同じように笑った。
「ありすもなんだ? 同じだね」
何が嬉しいのか分からないけれど、彼は嬉しそうに笑って私を見る。
そして、すっと手を差し出した。
差し出された手に、私はよく分からず自分の手を重ねる。
「ご飯もらいにいこ」
チェシャ猫に立ちあがらせてもらって、そのまま部屋を出る。
何でこんなに暖かい気持ちになれるんだろう?
不思議。ずっと、このまま手をつないでいたいくらい。
ゆっくりと廊下を歩きながら、二人で顔を見合わせて笑った。
穏やかな時が、ゆるやかに過ぎていく。
ああ、この時がずっと続けばいいなんて、思ったのは私の間違いだったのかな。
☆★☆
チェシャ猫はこの屋敷の造りを知っているらしい。
どこへ行くの? と尋ねると、みんながいるとこ〜なんて余裕そうに答えた。
この屋敷は広いけど、チェシャ猫がいるなら大丈夫だろう。
私は安心してついていった。
私だけじゃ絶対迷子になるもんね。悲しいけど事実だ。
「ほら、ここ」
彼が指差したのは、とても広そうな部屋。
大広間のようなところかな?
大きな扉を開けると、彼が言った通り、みんなが待っていた。
「お早うアリスっ!」
そう言って一番に抱きついてきたのは、ミルク君だ。
耳がぴょこぴょこと動いている。可愛い。
「アリスアリス」
「お早うっ」
続いて、双子もやってきた。
うん、右がディーで左がダム。……間違ってないよね?
「……アリス……」
ヤマネ君も優しく微笑みながら傍に寄ってきた。
小さい子たちは本当に可愛いなあ。
ぎゅーって抱きしめて良いかな。いいよね?
それから、帽子屋さんと公爵夫人も駆け寄ってきてくれた。
そんな抱きついてきたりはしなかったけどね。そんなに小さくないもん。
……え、チェシャ猫?
調子に乗って抱きついてきたから、とりあえず殴っておいた。
「あの、公爵夫人」
「? 何かしら」
「えっと、すみませんけど、私たちおなかすいてるので……」
ご飯もらっちゃっていいですか、と言おうとした瞬間、部屋に誰かが駆け込んできた。
誰だろうと思って見ると、……見覚えないや。ごめん。
多分、この屋敷で働いているんだろうと思われるような人だった。格好がそんな感じ。
「大変です! 夫人!」
「どうしたの?」
「し、城の兵が、ここに来ております!」
その場の空気が凍りつく。
穏やかな雰囲気なんて、一瞬で消えた。
城の……兵?
何だか嫌な予感。何しに来たかなんて、この状態ではきっと一つしかない。
「アリスを渡せ―――と、そう申しております!」
ああ、やっぱり。そう、そうよね。当たり前なの。
今の私には、その言葉が死刑宣告のようにすら聞こえた。
そう、私がどんなに嘆いたって、忘れようと振り払ったって、ゲームはずっと続くんだ。
だって私は『アリス』だもの。