第20話 夢のそのあとで
ハク君は、消えた。
それと同時に、私の中で何かが消えた。
何が消えたのかも分からない。
でも、消えた。
そして、世界は暗くなる。
―――信じたら裏切られる、そんなの嘘だと言って。
何が悲しいのかも分からない。その意味すらも、知らないの。
だって私。教えてよ。
たった半日もの付き合いで、何を失うというの?
―――いいえ、違うのよ。
もっと深い付き合いなの。
もう、500年前からずっとずーっと。
あなたには、分からないの?
―――分からないよ。
私は、そんなの知らない……。
私は光野ありす、それ以外の何でもない。
この世界にだって、無理矢理連れて来られただけよ。
関係ないの。何もかも、知らないの。
―――ありすはアリス、でもね、アリスはありすじゃないの。
アリスは、ありすだけじゃないのよ。
数々のアリスが、同じように苦しんだ。
あなたは少し違うだけ。
500年前から続く呪いに囚われる、アリスと名付けられた少女には変わりない。
―――どういうこと? あなたは、誰? 何で?
何もかも分からないよ。
どうしろと言うの? 私に出来ることなんて、何もないのに。
―――ねえ、だってありす……。
あなただって、白兎を追いかけていくわ。
結局は同じよ。
名前がちょっと違おうが、外見がちょっと違おうが、中身がちょっと違おうが。
アリスという肩書きに囚われた、哀れな少女に過ぎないわ。
―――その選択は……間違いなの?
私は、間違っているの?
―――正しいかどうかなんて、最後までやらなきゃ分からないものよ。
中途半端なその位置で、正解なんて出せるわけない。
私だってそうだったのよ。
―――あなた、も……?
あなたも……それって……。
―――そう……私は、アリス=リデル。
呪いを始めた、最初のアリスよ。
―――アリ……ス……?
あなたが、アリスなの……?
あなたが、呪いを始めた―――
「…………す、ありす!」
目を開けると、飛び込んでくるのは優しい光。
あまりの眩しさに目を細め、見えたのはピンクと紫のしましま。
「チェシャ、猫……?」
「起きた! 良かったーっ!」
抱きついてくるチェシャ猫も気にせず、ぼーっとする。
ここ、どこ?
―――いや、ベッドの上だってことは分かるけど。
「チェシャ猫、ここ……?」
「公爵夫人の家だよ」
なるほど、だから私はふかふかのベッドの上に。
いつもだったら、遠慮ない私が自分なんかがとビクビクするくらい豪華なベッド。
でも、今はそれすらも気にならないほど、まだ夢の中にいるように、ぼーっとしていて。
「えっと……あの、今、何時?」
「朝の9時だよ。ありす、昨日ハクがいなくなったら突然倒れちゃってさ。今まで起きなくて心配してたんだよ?」
「そ、うなんだ……」
頬をふくらませて怒るチェシャ猫に、私は苦笑する。
こうして見れば、普通に可愛いじゃない。
心配かけたのは悪かったけど。
倒れちゃうなんて……私も、思ってなかったし。そもそも覚えてないしさ。
あのあとの記憶なんて――ない。
「……ごめんね? チェシャ猫」
「ま、ありすも無事だったし、いいよ。許してあげる」
私が素直に謝ると、にこりと笑うチェシャ猫。
が、その顔は次の瞬間曇って。
「もし、起きなかったら、どうしようかと思ってた……」
「そ、そんなわけないって」
「だって、……死んだように、眠ってるから」
こ、怖いこと言わないで下さい。
私は思わず身震いする。
「……まあ、起きたから、いいんだけど。んー、あったかい」
「え、や、ちょ……離れてくれません?」
そういえば、抱きつかれてたんだった!
今さら気付き、私は必死になってもがく。だけど、離れるはずもなく。
「やだ。俺、眠いから寝る〜……」
「え、ちょ、ちょっと?」
チェシャ猫はそう言ってそのまま私の方に倒れてくる。
こ、このまま寝るんですか? この体勢で?
恥ずかしいです恥ずかしいですから。やめて下さいってば。
「ちょっ、チェシャ猫……さーん?」
返事、なし。
もう寝てるみたい。早すぎるだろ。
ど、どうしよう……?
「アリス」
「へ、ふぇっ!?」
突然声がした方を見ると、何と帽子屋さんが立っていた。
驚いて、変な声を出しちゃった。……聞かれてた、よね。
「ぼ、帽子屋さん。いつの間にいたんですか……?」
「ずっといたよ」
な、ナヌ。
ず、ずっと……?
気が付かなかった。全部聞かれてたの?
いや、聞かれて困るようなことはなかったけど! 恥ずかしい。猛烈に恥ずかしいっ!
「アリス、チェシャ猫に感謝してやれよ。そいつ、昨日倒れたときからずっとついてやってるんだ。倒れたときも、運んだのはチェシャ猫らしいし」
「そ、そうなんですか……?」
「ああ。昨日からずっと寝てないらしい」
私はチェシャ猫を見る。
安らかな寝顔。
何だかんだで、優しいんだなぁ……少し、嬉しい。
そっと背中を撫でると、ぴくりと動いて。
暖かい。
「振り回されることもあるかもしれないけど、そいつなりの愛情表現だから」
くすくすと笑う帽子屋さん。
そう言われると、チェシャ猫に親近感がわく。
ありがとう、なんてね、きっと素直には言えないけど。
「ま、でも、叱るときは叱ってやれ」
そんなこと言われると、チェシャ猫が弟か何かみたい。
それもまたおかしくて、私はくすりと笑った。
「じゃ、俺はこれで」
「え。も、もう行っちゃうんですか?」
「……行かない方がいいか?」
出ていこうとする帽子屋さんを、思わず呼び止めてしまった。
群青の瞳が細くなるのを見て、私は赤くなる。
い、いや、そんな言い方をされると……。
「い、いえ……何でも、ないです……」
尻すぼみになっていく声。
あー恥ずかしい恥ずかしい! 出来れば忘れて下さい!
帽子屋さんは、そんな私を見てくすりと笑った。
「じゃあ、用があったら呼んでくれ」
パタン、と閉じられるドア。
途端に静かになる。
聞こえるのは、チェシャ猫の安らかな寝息だけ。
―――私、何か夢を見た気がする。
どんな夢だったっけ?
覚えてないけど、でも、幸せじゃない夢だったのは確か。
辛くて、悲しくて。とても切ない夢だった気がするの。
「ん……あり、す」
チェシャ猫に名前を呼ばれ、ドキッとする。
でも寝言だったようで、彼は目を閉じたまま動かなかった。
ねえ、今はこんなに幸せなのに。
これが夢だったとしても、この幸せすらが夢だったとしても、私は―――
せめて、もう少し。
この幸せが、このユメが続くよう、祈る。
な、何と今回で20話ですー。
飽きっぽい私にしては頑張ったなぁと(おい
これからも頑張るのでよろしくお願いします♪