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第1話 連れていかれたのは

 穴はどこまで続くのかしら?



       私が死ぬまで続くのかしら?



 ううん、そんなことはないはず――。



       きっと、ほら、光が見えてくる。



 そう信じたいから――



       ねえ、光はどこ?



 君は誰?



       私はどこへ行くの――?




 ☆★☆




「……っはぁ!」


 墜ちていく感覚から解放されて、悪夢から醒めるように、私はがばりと起き上がった。

 視界に光が戻り、身体の感覚が返ってくる。

 ――そこは鮮やかに広がる、見渡す限りの草原。


「……え……?」


 私は状況がよく分からずに、疑問の言葉をこぼしてきょろきょろと辺りを見回した。

 青空と草原の境界線、ぱっと目に入ったのは、さらさらの金髪から真っ白い兎の耳を生やした、まだ幼さを残す男の子だった。

 そうして、私はようやく思い出した。――この少年との出会いと、あの最悪な出来事を。


「ようやく起きたんですか」

「……コスプレイヤー少年君、これは何? 夢? それとも私の妄想?」

「現実ですよ」


 さらりと少年はそう答えた。まるで、表情もなく。

 大人びているというか――ひどくすれた少年だ。コスプレイヤーなのに。

 でも私は認められなかった。こんな現実は――ひどく、理不尽すぎる。


「アリス――貴女が来なきゃ全ては始まらないのですから」

「始まる……? 一体、何が? っていうかその前に、私の名前何で知ってるの?」

「アリスですから」

「……意味分かんないわ」


 私は思わずため息をついた。ああ、幸せが逃げそう。

 聞きたいことはたくさんあるけど、何で、私の名前なんて。――でも、何となく発音の仕方が違う。

 『アリス』。まるでそう呼ばれてるみたい。

 でも違う、私の名前はそんな外人っぽい発音はしない。当たり前だけど。光野こうのありす、それが私の名前で。

 『アリス』じゃあ、ない。


 ……いや、そんなこと考えてる場合じゃないぞ私。アリスとかありすとか今はどうでもいい。私の頭の危機だ。この状況でよく冷静だな、私……。

 ヤバいのは私の頭なのかこの少年の頭なのか分からないけど。

 どっちもか。どっちもなのか?


「ねえ、少年」

「少年なんて呼び方はやめて下さい。僕は白兎のハクです」


 嫌がるように、顔をしかめて少年はそう言う。

 私は同じようなもんじゃないのと思う。少年だろうがハクだろうが。

 白い兎だって言いたいんだろう。

 ――って、あれ?


「……え? 人間じゃないの?」

「今さらですか? この耳見れば分かるじゃないですか」

「いや、ただのコスプレイヤーかと」

「馬鹿言ってないで、早く来て下さい。まだ会場には着いてませんからね」

「へ……?」


 意味が分からず聞き返す。

 何を言ってるんだろう、この少年……ハク君は。

 謎だ。謎すぎる、ますます混乱してきた。

 そんな私の様子を見て、ハク君は、いかにもわざとらしく嘆息した。


「……あなた、アリスのくせに馬鹿なんですね」

「……はあ?」


 私は思わず口を開けて固まる。

 え、ちょっと? 何それ、どういうこと?

 聞き捨てならない科白が聞こえた気がするぞ。どうしよう。寛恕の許容範囲を超えました隊長。とりあえず反論しておけ隊員ー。だってその言葉は、あまりにも失礼だ。


「私が馬鹿……って! いや、馬鹿かもしれないけどさ――って自分で言ってて悲しいけど! レディーを誘拐して混乱させておいて、その上侮辱するの? てか、『アリスのくせに馬鹿』って、おかしくない!?」

「アリス。分からないとは言わせませんよ」


 睨むように私を見つめて言うハク君。その視線を受けるうちに、私の怒りは疑問に変わる。

 え、なに、何のこと? 私、この少年に何かしただろうか。

 混乱で上手く回らない頭をフル回転させ、考える。

 でも、全く覚えがない。どんなに考えても、出てこないのだ。


 だって、初対面だ。出会ってから今までの短時間のうちに彼に何かした覚えもないし。


「分かんない」


 私はむしろ爽快に言った。


「……はあ」


 あれ、ため息つかれちゃったよ。


「今回のアリスは、期待できそうにないですね……ま、いいですけど。僕が困るわけじゃない」


 吐き捨てるような言い方。

 今、何気に馬鹿にされた気がする。

 さっきからもう、この少年は……。ひどい。可愛い兎さんなのに!

 この少年は、私のこと嫌いなのかな? ていうか、嫌いそうだよね。……なのに誘拐なんて……物好き?


「あの、それ……さっきから一体何なのよ? 説明してくれないと分からないんだけど」

「……どうせ分かることです、それに貴女みたいな人は説明しても理解できないと思いますし」


 この少年、私のこと貶しすぎじゃないか。

 やっぱり嫌われてるんじゃないかな私。

 確かに私もちょっとひどい態度を取ってしまったかもしれないけれど、何だか彼はひどすぎやしないか。

 うう。何か、悲しいよ。どんどん気分が沈んでいく。


「もういいもん、私帰る」


 私は哀しみを隠すように、怒った声で言った。が。


「へえ――、帰れると思ってるんですか?」


 反対に、優しい笑顔でハク君はそう言った。

 その微笑が、逆に怖い。いわゆる黒い笑み……というやつなのだけれど。


 おかしいわ。自分より小さな少年に脅されて、恐怖を感じるなんて。

 黒い笑みに圧倒される私。

 いけない、平常心よ平常心。


「思うわよ。もし帰れなかったら訴えてやるわ!」

「……帰れないのに、どうやって?」

「勿論そこらへんの警察にでも突き出して――」

「困ったなあ。ここ、警察なんてないんですけどね」


 私はハク君の言葉に固まった。そして、辺りを見回す。

 草――草――空――草――草。


 ……ここ、どこだ?


 今さらながら焦る。

 こんな草原、私見たことない。ていうか明らかジャパンじゃないよね。永遠に続いていきそうだ。

 世界にはこの草原以外存在しないんじゃないかと思えるほど、広い草原。

 ……まず、ここから出られるかどうか……。


「異世界ですからね、貴女に言わせれば」


 ……え、少年。今、何て言いました?

 異世界? 異なる、世界?


「……ねえ、少年」

「ハクです」

「ハク君。嘘だって言って」

「本当です」

「嘘だって言って!」

「本当なものは本当ですから」


 確かに穴に落ちた、というか落とされたけれど、それだけで異世界なんて行くか。

 小さい子が信じるおとぎ話。でも私はもう、そんな歳じゃあない。

 私は不安を振り切るように、小さく首を振った。――夢なんだ、これは。


「これは夢、これは夢、これは夢……覚めればいつもの朝よ」

「そんなことないですよ」


 ハク君はそう言うけれど、無視だ無視。

 全部妄想の産物。ただの夢。幻想でしかないの。

 彼がどう言おうと、私はそう信じる。だって、そうじゃないと……やってられないじゃない。


「とにかく、早く行かないと僕の命も危ないですから。行きましょう」

「え、ど、どこに?」

「会場、とさっき言ったはずです。ここから出たいんでしょう?」


 私はもう一度あたりを見回す。

 草の王国と言わんばかりの草原。草と、たまに木が並んでいるだけの光景。


 ――置いてかれたら、二度と出られなさそうだな。


 考えただけでぞっとする。

 仕方ないので私は小さく頷いた。

 あ、まあ、夢なんだ――と思う――し、何とかなると思うけど。

 ここに留まって目が覚めるのを待つよりマシ……な、気がする。

 実際、一人にはなりたくない。怖い。嫌だ。


「では、決定です。行きますよ」


 またひょいとお姫様抱っこされ、ハク君は駆けていく。


 ――え、ちょっと……私を抱えてるのに、早くない?


 私重くないか。それが心配だよ。

 そして、自分より小さい少年にお姫様抱っこされるって何事なんだ……。

 恥ずかしい。すごく恥ずかしかった。

 でも……抗いようもなくて。


 ただ私は、されるがまま。




 ハク君の足は、人間ではありえないほど速く――あ、人間じゃないのか――草原をあっという間に抜けた。

 その向こうに広がっていたのは、大きな森。深緑の木々が、私たちを圧倒するように立ち並んでいる。

 これまた一度入ったら抜けられなくなりそうなほど大きくて。

 何だか嫌になっちゃいそう。何なの、ここ。草原の次は森だなんて。


「――アリス」


 突然名前を呼ばれ、私は俯き気味だった顔を上げる。

 そして可愛くない私の口から出たのは、ささやかな反抗のような言葉で。


「あー、私、アリスじゃないから」

「……はい?」

「アリスじゃないの、ありす。光野ありす、っていう名前なんだから」

「……まさか」


 彼が人間じゃなかったように、私もアリスじゃない――なんて、ただの屁理屈だけど。

 ちょっとした、そう、ただの冗談だったの。

 さっきの意趣返しのような。意地悪に、とても近いかもしれない。ただ、それだけのこと。

 だけど……なのにハク君は、とても驚いたような、おかしそうな顔をした。


「貴女はアリス=リデルですよ? それ以外の何でもない」

「いや、勝手に人の名前変えないでよ。私は光野ありす。アリス=リデルなんてメルヘンな名前してないから」


 彼の瞳に、明らかな動揺の色が浮かぶ。

 あ、綺麗な赤だな……兎だから赤い瞳? すごいなあ……って。

 いやいやいや、そうじゃない、そうじゃないぞ私。

 私が聞きたいのは、何故そんなに動揺してるの? ってこと。

 アリス=リデルなんてメルヘンな名前じゃなくて悪かったですね、と心の中でそっぽを向いてみる。


「――そうしたら……いえ、まあいいです。貴女が今回のアリスであることに変わりはありません」

「はい?」


 自分で勝手に納得したらしいハク君は、さっきのように前を向いて走り出した。

 おいこら、待て。私への説明はなしか。


「アリス、貴女は危険にさらされることになります。覚悟はいいですね?」

「は、はい? 勝手に連れてこられたのに、危険にさらされなきゃならないわけ? どういう理屈ですかそれは」

「多分、死ぬことはありません。多分、ですが――そうすると、ルール違反なので。あとは貴女の行動次第ですね」

「いや、だから……」


 私の頭の上には大量の疑問符が。

 ハク君は淡々と言い切るけれど、そんなこと、伝わるはずがない。理解力が乏しい私の頭じゃなおさらだ。

 分からないと分かっているはずなのに説明してくれないハク君。彼は意地悪だ。

 というか、多分って何だ。言い切ってよ。そんなこと、ないって。


「覚悟して下さい。これからは、地獄を見ることになります」

「いや、そんな理不尽な――」


 さあっ。


 言葉の途中で、いきなり視界が明るくなった。

 薄暗い森を抜けたらしい。

 私が眩しさに目を細めていると、前方に大きな町が見えてきた。

 可愛い建物やどんと構えるお城が見えたけれど、――まるで静か。


「……町……?」

「そうです。ここが会場です」


 会場、というのが関係しているのだろうか。

 町は怖いほどに静かだった。静寂というより、それは重い沈黙で。

 そう、町というには静かすぎる。人のいない、何の気配もしない世界まちなんて。


 私は自分の身体を抱きしめるように腕を回して、町をきっと見据える。


 ハク君の言動といい、現状のおかしさといい。

 何か、不吉なことが起こりそうな予感がしていた――




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