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第98話 アリスが望んだ結末

ここらへんが山場。展開急ぎすぎたと思うんですが……楽しんでもらえたらいいなあ。

一応26日に完結予定です。

 それは、ささやかな願いだった。

 ひそやかな願いだった。

 最初はほんとうに、ただひとつの、願いだった。



「じょおうさま」



 ――花のように微笑んでそう呼んでくれる少女が、欲しかっただけだった。







「――女王様!」


 私は力の限り叫んだ。何でって、そこは金属音に溢れていて、ともすれば私の声なんて呑み込まれてしまいそうだったから。

 今のところ、力量は拮抗しているように思えた。女王様対、チェシャ猫とハク君とジョーカー。女王様が有利になるかと思っていたけれど……それでも3人を相手にしてやり合っているんだから、女王様はやはりおそろしく強いのだろう。

 私の声に、女王様は振り向く気配すら見せなかった。さすがに聞こえていないことはないと思うのだけれど、無視されているのかもしれない。……まあそりゃ道理よね。ムッとしながらも聞こえていることだけを祈りつつ、私は続けた。


「私の話を聞いて、女王様! 今の私は、何も知らなかった頃の私じゃないの!」

「…………」

「ねえ! こんなの終わりにしましょ、女王様! あなたが私と同じように望みを叶えたかっただけなことは知ってる、けど……!」


 女王様は振り返らない。ただ、飛んでくる銃弾や刃を、その鎌で退けている。……銃弾の軌道を見極めるなんてどんな、とか思ったけど、そんなことを気にしてる場合じゃない。


「ねえ、女王さ……」

「――私の望み、だと?」


 再度叫ぼうとした私の声を遮り、ふいに低い声が呟いた。……女王様の声だ。

 思わず後ずさった、のは私ではなくグリフォンだった。でも私でもそうしていただろう、もし私の足が地についていたなら。残念ながら今の私はグリフォンに抱えられている身だけど。

 その声は、何も信用してないような、そんな声だった。この世の全てを嘲り笑い飛ばすような……そんな、声だった。


「それを知っているなら、何故邪魔をする?」

「何故、って……それは、だって、あなたの望みで、あまりに多くの人が不幸になるから」


 当惑しながらも私は呟く。

 彼女の望みは、とても許容できなかった。あまりに自分勝手すぎて。――あまりに多くの人を、不幸にしたから。

 それに怯えたアリスが、彼女の願いを拒否した。それが悲劇の序章の顛末だった。


「……好き、だったのに」


 あの頃の、私は。


「女王様のこと、好きだったのに。……無理に願いを叶えようとするんじゃなかったら、ずっと、この国に、この城にいたかったのに」


 それは嘘じゃない。嘘偽りのない、本音だった。

 幸せだった。シロンと、女王様と、ルーシャと、帽子屋と……一緒にいられて、あの頃の私は幸せだった。ずっとここにいたいって思ってたくらいだもの。

 ただ、それでは足りなくなってしまった女王様が、その願いをみずから摘み取ってしまったんだ。


「……ずっとここにいたかった、か」


 女王様はぽつりと呟いた。金属音にかき消されてしまうくらいの声で。


「……今さらそんなことを言って、何かが変わると思うか?」

「女王様……」

「もし、それで何かが変わるなら――」


 その白く綺麗な手に、力がこもる。まずい、と思った。瞬間。


「最初から、私はこんなにお前を求めたりしなかった!!」


 ブウン、と鎌が音を立てて空気を切り裂く。向こう側でジョーカーの鉈が弾かれた。

 どうやら……余計に怒らせてしまったみたいだ。でも、そんなこと言ったって。


「遅い! 今さら遅いんだ、ありす! 私は《アリス》を求めずにはいられない! 500年前からずっと求めていたのに……だというのに! お前は、それを、やめろと言うのか!? ――そんなにも軽々しくッ!」


 彼女の身体を撃ち抜こうとした銃弾を叩き落とすように鎌を振るい、女王様は叫ぶ。

 それは、私の肌にまで振動が伝わるくらいに大きなものだった。

 それほどまでに――彼女の気持ちが、強いのだ。私は何も言えなくなる。


「今さら壊すのをやめれば、お前は私のものになるのか!? お前は私を受け入れるのか! 違うだろう、そんなはずがないだろうっ!?」


 獣の咆哮、……まるでそれみたいだ。

 彼女の歪みは、とても、私にどうにかできるものではなかった。

 歪みすぎて割れてしまった、鏡のように。

 500年間ずっと手に入れたくて。……それでも、手に入らなくて。

 今さらやめろなんて、たしかに、聞き入れられたことではない。


「ありす……」

「大丈夫よ。大丈夫」


 それでも、不安げに私を見るグリフォンには気丈に返す。

 それでも。だからって、簡単にあきらめるわけにはいかないの。

 私が生んでしまった歪み。私が倦んでしまった歪みを、それじゃあ仕方ないねで終わらせるわけにはいかない。

 負けられないんだ。

 あなたの歪みを生んでしまったのは、どうしようもなく子どもだった私だから。


「あなたの願いは叶えられない、けど! そもそも私の身一つで償いができるとも思わないけどっ……お願い! 女王様、できるなら――」

「うるさいッ!」


 私の言葉を遮って、鎌の切っ先を私に向ける女王様。

 あまりにも突然のことで――私はおろか、チェシャ猫やハク君、ジョーカーすらも反応できなかったようだった。

 動けば、殺す。……そんなふうな眼で、私を睨みつけている。

 心臓が音を立てて、震えた。


「いらない――お前は、いらない」


 ぞっとするような、低い声だった。


「な……」

「お前はいらない。お前は所詮《アリス》の一部でしかない。――取り込めば、その生意気な自我も消え失せよう。……これ以上、私の心をかき乱すな」


 ほの暗い眼が私を覗き込む。

 ――《アリス》の一部でしか、ない……?

 何を言っているんだろう。取り込む? 消え失せる?

 彼女は一体何を言っているんだ。あんなに求めていた《アリス》を、いらないなんて、そんな馬鹿なこと――


「ありすっ!」


 私を呼ぶ声に、はっと我に返る。いけない、目の前に刃物を突き付けられてるっていうのに。

 でも女王様はそんな私を見て――さっきの様子はどこへやら――くすりと笑う、と。


「私が求める《アリス》は、ここにいる」


 そう言って、自身の隣の何もない空間をなでた。

 そこに、彼女にしか見えない『何か』が見えているかのように。


「な――?」

「おいで。《アリス》」


 馬鹿な、と思った。

 その場にいた、女王様以外の誰もが思ったに違いない。

 だってそんなわけないでしょう。《アリス》は私なのに。

 なのに――


 彼女が呼びかけた瞬間、そこに、現れた。


「なっ……!?」

「うそ……!」

「そんな、馬鹿なことが……」



 金髪碧眼の――私のよく見知った、10歳くらいの少女が。



「呼んだかしら? 女王様」


 彼女は言って、花のように微笑む。

 既視感。違和感。その微笑み方を、私はよく知っていた。

 ――そう、誰よりも、よく。


 ……嘘でしょ。何で、目の前に、《アリス》がいるの?


「私の言った意味が分かったか、ありす? お前は《アリス》じゃない。お前は、《アリス》の一部でしかないんだ」


 ぽかんと口を開けて見つめるだけの私に、女王様はにっこりと笑う。

 さっきまでのほの暗い眼や深い歪みはどこへやら、幸せそうな笑顔だった。

 きっと、女王様はほんとうに好きで、彼女が隣にいるだけで幸せになれるのだろう――

 それほどまでに、好きなんだろう。

 その、隣に立つ少女――アリス=リデルが。


「……嘘でしょ」


 自分の胸中に落とした呟きを、今度は口からこぼす。

 嘘でしょ? そんなの。

 嘘だって、言ってほしかった。……だって。


 それは、500年前の、私。


「それほど驚くことでもないだろう。お前は女王(わたし)の心臓の底で、もう一人のアリスに会ったんだろう?」


 女王様は面白そうにそんなことを言う。

 そうね……たしかに、あなたの心臓で《唯一のアリス》を名乗る少女とは出会ったけど。

 でも、あれは私自身だから。

 私に呪いをかけた私自身が、それを私に伝えるために待っていたんだと思っていた。

 あれは、私からはぐれた私。……だけど、目の前の、少女は。


「そうよ、驚くことじゃないわ、ありす。――だって私たち、もう何度も会っているでしょう?」


 青い瞳を細め、顔を綻ばせた少女は言う。

 そのしゃべり方には、どうも聞き覚えがあった。――私自身、ということではなくて。

 ……いやな予感。そう、たとえば、この少女が、


「初代アリス……?」


 呟く。女王様の隣に佇む少女は、それを肯定するように微笑んだ。

 ――初代アリス。少なくとも私は、そう呼んでいた。


中心(ハート)であり、不確定要素(ジョーカー)女王(クイーン)ではないけれど、全て(ルール)


 彼女は風のように現れ、不可視の存在として、いつも私に声だけで助言をくれていた人だ。チェシャ猫を探していた時に、選択の時間が迫っていた時……。そのことはまだ記憶に新しい。

 さらには私のみならず、メアリのもとにも現れ、『終わらせなさい』とささやき続けていたという。

 ――忘れてた。彼女の存在、いるはずのない《アリス》の存在を。

 たしかにメアリの話を聞いたとき、いやな予感を覚えたはずなのに。存在するはずのない不確定要素(かのじょ)の存在に。

 何故、彼女が? どうやって、彼女が? 彼女は――いったい、何をするために?

 困惑する私を前に、少女はくすくすと笑う。


「気が付いてくれないかと思ったわ。あなたは自分が千切れてしまったことにも気が付かないものだから」


 私が、千切れた? ……それって。

 言葉を失くす私に、今度は女王様が口を開いた。


「本当に気が付かなかったんだな。500年前からずっと、たしかに存在していたというのに」


 500年前から? ――彼女が?

 500年前、私が千切れて、彼女になって、ずっといたって……そういうこと?

 未だつかめずにいる私を見て、女王様は口を開く。


「教えてやろうか。――500年前、お前自身は、3つに分かれたんだ」


 それはまるで、昔語りでもするような口調だった。

 大げさに腕を広げ、彼女は語る。3つのアリス、を。


「ひとつは、これから先、永遠にもわたって生まれ変わることを定められたアリス」


 一本、女王様の人差し指が立てられる。


「ひとつは、この世界への執着で元の世界に帰り切れず、私の心臓にとらわれてしまったアリス。――そして」


 そしてもう一本。

 女王様が言うのはおそらく、最初が私で、二つ目が《唯一のアリス》のことだろう。……そして。


「最後は、私が望んだ理想のアリス、だ」


 三本。これで、みっつ。

 初代アリスが――女王様に望まれたアリスが、ふわりと微笑む。

 それは……多分、女王様がルーシャに願った《願い》のひとつなんだろう。私が願った分だけの願いを、彼女も叶えてもらったというんだから。

 彼女の望むアリス。

 ……それを私から引き離して、500年間もの間ここに留めておいたというのか。


「ただ、彼女は完全ではなかった。残念ながら」

「完全……?」


 悲しそうに眉を下げる女王様。完全ではなかったって、どういうこと。

 彼女は女王様の望むアリスなんじゃ、ないの?


「彼女は理想的だったが、しかし、私の愛するアリスの全てがそろっていたわけではなかった。――その上、元の世界に帰ったアリスは何度も生まれ変わり、この国にやってくる。愛すべき対象(アリス)が彼女の他にも同時に存在していたのだ」


 だから、と、女王様は続ける。


「だから、全てのアリスをひとつにして、彼女の中に取り込めば、私の求める完全なアリスが手に入る。アリスは私のものになると思い付いた」


 取り込む――それは、彼女の中に私を、ってことだったのか。

 それが、彼女の、狙い。

 ……そんなの絶対にごめんだけど。私はごくりと唾を呑む。


「……だから、私を取り込もう、ってわけ?」

「そうだ。そうすれば、もう、こんな下らないゲームを続ける必要はなくなる」


 下らない、ね。……そのゲームに、今まで何人のアリスが翻弄されてきたかも知らないで。

 でも彼女は本気なのだろう。そのために待っていた、と言うんだから。


「500年間、ずっと待っていた。取り込むのに相応しいアリスが来るのを」

「取り込むのに相応しい……?」

「そうだ。記憶を取り戻していない、真意(こたえ)に辿り着けないアリスなど取り込んだところで何になる。――だから、お前がここまで来てくれた時は嬉しかったぞ、ありす」


 どこか恍惚に似たものを浮かべ、女王様は言った。

 ……あいにく、私は嬉しくないんだけど。

 ある意味踊らされていた、のか。私も――女王の心臓にいたアリスも。

 悔しい。だけど、それで負けるわけにはいかないのだ。


「さあ、アリス。お前は今から完全なアリスになるんだ。――その女を、取り込め」


 ぞっとするようなささやきに、従順に頷いたのは女王様の《理想のアリス》。

 彼女はその美しい微笑みを崩さないまま、私の方へと一歩踏み出した。

 その瞬間。


「いっ――!?」

「ありす!?」


 ――その瞬間、私は、ぐん、と引っ張られるような心地を感じた。

 まるで超強力な掃除機なんかで吸われてるみたい、……言い方は悪いけど。


「どうしたのお、ありす!?」

「ひ、っぱられる……!」


 一歩、一歩とアリスが近付いてくるだけで。強さを増す吸引力に、私は負けないようにグリフォンにしがみつく。

 どうやらグリフォンは、引っ張られるような感触は感じていないらしい。……それじゃあ私だけ、ってことか。おそらく私を取り込もうとしてるから、だろう。


「ありす……!」

「おっと」


 そんな私の様子を見てか、チェシャ猫がこっちに駆けてこようとするけれど、それは女王様の再び振るわれた鎌によって阻止される。


「残念だが、猫。――貴様の相手は私がしてやろう」


 さっきのお返し、とばかりににたりと笑う女王様。チェシャ猫は苦渋の色を浮かべるけれど、彼女を避けない限りはこっちには来られそうもない。

 待って、ほんと、吸い込まれちゃう……!

 これって、アリスの身体に触れたらそこから取り込まれる――みたいな感じなのかしら? 引っ張られてるんだからそうなんだろうけど、その光景はあまり想像したくない。アリスに取り込まれていく……私。それって、一体どんな心地なんだろうか。


「グリ、フォン……!」

「え、え、え、ありす、これどうしたら……!」


 引っ張る力が強すぎる。とても耐え切れない。

 アリスはただ、そこに立っているだけなのに。

 そんなの私だって分かんないわよ、と返して、私はグリフォンの腕を引っ張った。


「やだ、私……!」


 ――取り込まれたくなんて、ない。

 他の人に取り込まれたら、一体どうなるの? 私という自我がなくなって――何にも感じなくなって――それで、この国は?

 たしかに、もうアリスはいらなくなるのかもしれない。ゲームなんてものが行われることもなくなる、のかも……それでも。


 私と少しでも一緒にいたいって言ってくれた、あの人はどうなるの?


 アリスがいなくなればそれでこの世界は幸せか。

 私が生まれ変わることもなくなって、呪いは消えて……だけど、そんな終わり方で、みんなは幸せか?


「ありすっ!」


 ――答えはノー、に決まってるでしょ。


 そんな終わり方は望んでないの。そんなふうに終わらせたいんじゃないの。

 大切な人を幸せにしてあげたいの。みんなを、幸せにしてあげたいの。

 私が最後のアリスにならなきゃ駄目なの。みんなありがとう、さよならって……元の世界に帰らなきゃいけないの。


 こんなところで取り込まれるなんて、まっぴらごめん!


「さっさと取り込まれちゃえば楽になれるわよ、ありす」

「ぜ、ったい、いや!」


 酷薄な笑みを浮かべてそんなことを言うアリスに、私はできる限りの声で反発した。

 楽になんてなりたくない。あなたの一部になんてなりたくない、あなたも女王様の《願い》によって歪められてるくせに。

 私は私。勝手にあなたの一部にしないで。


「だい、たい……あなたの目的、は、なんなの!?」


 私の問いに、アリスは驚いたように目を丸くした。そんなことを聞かれるなんて思ってもいなかったらしい――私はずっと疑問だったんだけど。


「何って。……私もあなたとおんなじよ? 終わらせたいの、こんな呪い」


 眼前の愛らしい少女はにっこりと微笑んで言った。でも、私はもうそれを可愛いとは思えない。……第一、500年前のとはいえ自分自身と同じ容姿なんだし。

 終わらせたい、ですって?

 女王様の《理想のアリス》が、それを言うわけ。


「馬鹿、言わないで。呪いじゃ、なくて……この国を終わらせようとしてる、くせに!」

「あら。だってそれは、あなたも同じでしょ?」

「――な……!?」


 あなたと一緒にしないで、そう伝えようとした、のに――

 彼女は涼しげに返事を返す。しかも、おまけつきで。


「わ、……たしは……! 呪いを終わらせたくて……」

「だから、ありす」


 あなたみたいに、この国を壊そうとなんてしていない。

 続くはずだった言葉は、彼女によって遮られた。


「同じことだって、どうして気が付かないの?」

「……何ですって……?」

「呪いがなくなれば、同じことよ。みんな呪いにしばられて生きてるのに。呪いがなくなったら、何が残るの」


 ――呪い以外に、彼らは何を持ってるの?

 そんなふうなことを、アリスは言った。

 呪いにしばられて生きる。でも、呪いがあるからこそ生きられると。

 ……底なしの沼に溺れるような感覚。耐えられない。

 彼らが何も持ってない、ですって?


「自惚れんじゃないわよ!」


 いつの間にか、私はアリスの目の前に二本の足で立っていた。……どうしてか、どうやってかは思い出せない。

 ただ。

 取り込まれる――それを恐れて触れることをためらっていたはずのアリスの頬を、思い切り引っ叩いたことだけはたしかだ。


「な……」

「誰もかもが、あんたにしばられて生きてるなんて思わないで! 少なくとも……、世界は、あんただけで回ってるわけじゃない!」


 ――それはもしかしたら、私自身に向けた言葉だったのかもしれない。

 驚きでかすかに歪んだアリスの顔を見据えて、私は彼女を殴った右手をぐっと握りしめる。

 耐えられない。

 彼らをそんなふうに思わないで。彼らは、あなたが思っているほどアリスにとらわれてはいない。たしかに、あなたを造り出した女王様は異常なほどにアリスに執着しているけれど……みんながみんな、そういうわけじゃない。

 だって、もしそうだったなら、私がアリスに取り込まれて終わったとしてもよかったはずだから。

 それが受け入れられないのは、彼らの世界がアリスだけで回っているわけじゃないからだ。もっと、違う、なにか違う形があるからなんだ。


「あんたね! アリスだからっていつまでもヒロインぶってんじゃないわよ! 何が500年よ、長すぎるの! いい加減ババアじゃない!」

「……なっ……」

「みんな、今を必死に生きてるの! あんたのために生きてるんじゃない! あんたに振り回されるために、この世界に生まれてきたわけじゃないのよ!」


 大事なものを見つけるため。

 大事なものを守るため。

 笑うため。

 幸せになるため。

 生きるため。

 ――それぞれ理由は違うけれど、それでも、そうやって生まれてきたのだ。

 その人生を、勝手な理由をつけて、奪わないで。


「……何の、証拠があってそんなこと」


 アリスは赤くふくらんだ頬を押さえもしないまま、私を睨み返した。


「大体、それを言うならあなただってアリスじゃないの! 私を否定するのは、自分自身を否定してるのと同じでしょ!? それだったら、あなただって――」

「そうよ。私は、いらないの」


 いらない。言葉を遮って、勝手にその先をつなげれば、アリスはいくらか面食らったようだった。

 私自身がそんなことを言い出すとは思ってもみなかったらしい。

 ……いらない。いらないんだ、ほんとうは。


「アリスなんていらないの。本当はどこにもいらなかったの、500年前、ひとりの少女が訪れて……それで終わればよかったの」


 たった一代で終わればよかった。あの少女がもう二度と生まれ変わることがなければ、……それならまだ、よくある悲劇で幕を下ろすことができた。

 ただ、それが500年もの長い愛憎劇になってしまったら、もう取り返しがつかない。まわりを巻き込んだ悲しみは、不細工な形でふくらんでいく。


「だから、終わらせましょ。――私も、あなたも」


 続いてしまった連鎖は、どこかで断ち切らなきゃいけない。

 断ち切るのはつらくても、そのはさみを持った人がいなきゃいけないから。

 ……私がその役目を負うよ。もともと私が負うべき責任。あなたたちにも随分とつらい思いをさせたけど。


「ふっ……、ざけないでっ!!」


 アリスが叫んだ。どうやら彼女はまだ歪みを受け入れることができないらしい。

 受け入れる代わりに、ぶわりと――オーラ、とでも言うのだろうか。

 アリスから、闇色をした炎のようなものが巻き上がる。……この国の人って本当に規格外だ、いや、彼女は私自身から派生したものだから、正確に言えばこの国の人ではないんだけど……そしてそんな悠長なことを考えてる場合でもないんだけど。ここまで来ると本当にファンタジー、って感じがするわね。


「あ、ありす! そ……、それはさすがにまずいってえ!」

「そう?」


 後ろで慌てふためくグリフォン。……だから逃げなさいって言ったのに。

 でも、そうね。私もまずいと思うわ、これ。笑えない。

 だからって逃げるわけにはいかないんだけど。


「私が本物の望まれたアリスよ! さっきまで記憶もなかった――名前もないあなたが、勝手なことを言わないで!」


 オーラが渦巻き、天を衝くように伸びる。

 これが、アリスだっていうのか。

 これが、あの、愛された少女。

 叩きつける強風に思わず腕で顔を庇いながらも、私は負けじと声を張り上げる。


「――ふざけてるのは、そっちでしょ!」


 燃え上がるように噴き出すオーラ。それは、彼女から発されているとは思えないほどに黒く、邪悪だ。

 違う。そんなんじゃないはず。

 ……たしかに私はアリスとは呼べないかもしれない。最後(ここ)まで来なけりゃ自分のことも思い出せなかったような馬鹿だ。それに、今でも500年前のことが自分のことだとは思えていなかったりする。

 だけど、違う。彼女も違う。

 だって、私が知ってる、《唯一のアリス》はね――


「何がアリスよ! だからどうしたっての! あんたがアリスだろうと誰だろうと、そんなこと私には関係ないの!」


 シロンが、たったひとりの男が大好きだって言って、笑ったんだもの。


 あなたみたいにみんなに愛されようとしたわけじゃない。

 自分が《愛される少女》だと主張したわけじゃない。


 本物は、ただ、ひとつしか望まなかった。


「消えなさい! あなたは違う! あなたじゃ呪いを断ち切るどころか、新たな連鎖を生むだけよ! ――私が誰だろうがいいわ、アリスじゃなかろうが名無しの権兵衛だろうが! それでも、私はあなたと違って呪いを断ち切りに来たの!」

『――黙れ……っ!』


 アリスが遮るように唸る。

 ……いや、果たしてそれをアリス、と形容してよかったのかは分からない。

 彼女の特有の高い声に、地の底からわき出てきたような低くおどろおどろしい声が重なる。

 腐り落ちていく、黄金色の髪。

 溶けて窪む、蒼穹色の瞳。

 眼窩から黒々しい光が私を睨んだ。……もはや、彼女ではない。彼女だった“何か”。

 500年も前に生きた少女の、ただの、亡霊だ。


『黙れ! お前のような小娘に全てを奪われてたまるか! この国は――愛は、私の――!』

「だから、くどいって言ってんのよ!」


 ぴしゃりと言い放つ。……怖くないことは、なかったけど。

 呑まれてたまるか。

 みんなの運命が、私にかかっているんだ。


 誰の人生も、こんなもののためには捻じ曲げさせない。


『お前さえ――お前さえいなければっ!』


 アリス――だったものが狂ったように叫んで、その身にまとっていたオーラをさらに増幅させた。どす黒いそれはアリスを包んでなおあまりあり、すさまじい勢いで部屋を埋め尽くしていく。

 さらには彼女の周囲で突風が巻き起こり、天井や壁を吹き飛ばそうとしているかのごとくとぐろを巻く。両足でしっかり踏ん張っていないと、今にも飛ばされてしまいそうだ。……女王様の強さなんて、狂気なんてまるで目じゃない。彼女がどうなったかも今じゃ分からないし。


「ありす!」


 吹きすさぶ風の中、誰かが私の名前を呼んだけれど、応えるような余裕はなかった。

 腕で顔を覆って、その隙間からアリスをそっと窺い見る。すると彼女は――


 ――崩れ落ちた顔に悲哀の色を浮かべたまま、形だけの笑みを浮かべていた。


『死ね!』


 その、半分残った薄桃色の唇から、そんな言葉と一緒にオーラが吐き出される。

 刃物のように鋭く凝縮された闇色のオーラ。

 それは私を貫こうと、殺意をたずさえて私の方へとすごい速度で飛んでくる。


「ありす! ――逃げて!」


 再び、どこからか私の名前を叫ぶ声が聞こえた。おそらくチェシャ猫、だったと思う。……ただの願望かもしれない。

 ――逃げて?

 まるであの時みたいだ、と、私は浩然と考えていた。

 グリフォンと二人きりで……壁に押しつぶされそうになった、あの時。

 ここで生きることを選択すれば、逃げることに縋れば死ぬことはないのだと。

 今回もそんなような気がした。……全てを捨ててこの少女の前から逃げ出したなら、きっと、何とかなるのだ。みんなに助けてもらって、私は難を逃れるだろう。だって私はこんなでも《アリス》だから。


 ――だけど、そしたらやっぱり、私は最後のアリスにはなれない。


 女王様の歪みも。アリスの狂気も。チェシャ猫とした約束も、帽子屋さんとした約束も、ハク君とした約束も、ぜんぶ、全部……

 私自身の願いも叶わないまま、きっとまた呪いの連鎖が続くだけ。

 そしてまた気が遠くなるくらい永い時をアリスにとらわれたまま、正体が何かも知れない呪いに踊らされたまま、みんなは生きるのだ。


  ――そんなこと、私には耐えられないよ。


「ごめんね」


 ごめんね、みんな。

 私は不器用だから。

 それを全て受け入れる以外に、あなたたちを救う手段を持っていないんだ。

 何より、全てを始めてしまった私が、誰よりも先に逃げるわけにはいかないじゃない。


 許してとは、言わないけど。


「――来なさい、アリス! あんたの思いが本当なら、私になんか負けるはずないでしょ!? あんたの思い全部、受け止めてあげる!」


 向かってくる刃に対して、私は高らかに叫んだ。

 死んでやるつもりは勿論ない。……でも、どうなるかなんて、誰にも分からない。


 だけど、私は戦うよ。


 望みも願いも狂気も歪みも、全部、この身体で受け止める。

 彼女が望んでいたのはきっとそういうことだ。

 悲鳴を上げているそのハートを、誰かにすくってほしいだけ。

 それなら私がすくってあげる。両手で抱えて、抱きしめてあげる。

 真正面からぶつかって、それで、分かってあげられるなら。

 ――来なさい。逃げたりしないから、私だけは、受け止めてあげるから。



『うゥゥウああァアああぁァアアあぁあああ――っ!』



 膨張していく彼女の(ハート)が、私の心臓(ハート)をまっすぐに貫いた。

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