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銀の上の殻

作者: 風連

もしも、と、小さな小さな頭が考え、その上に生えている細い長い触角をツンと伸ばしても、触れるものはまだ明けきらない朝の冷気の塊だけだった。

ソソクサと葉陰に潜り込むものが出始めている。

大気に守られてはいても、陽がさせば、その光りは空気を熱くし、対流を起こし、そこらをかき混ぜ始めるのだ。

フワリと、浮くと、最近お気に入りの木陰をめざした。

その木には、房の様な花が、白く白く光っている。

上の方はもう、上がり出した朝日に照らされ、桃色になり始めていた。

小さな羽は、その中を渦巻き始めた風の流れに上手く乗りながら、目指す枝にたどり着いていた。

もしも、と、小さな頭は考えた。

触角を丸め、ウトウトしながら、長く考える力が無かったが、それでも、もしもは消えなかった。

小さな羽にとっては、朝の光りは、壮大な嵐の前触れの様な気分を毎回味合わせてくれる。

太陽は容赦なく熱射しながら、朝露を空に戻し、山に陽炎を立ち上がらせ、小さな旋風で枯れ草や砂を巻き上げている。

虫達は身を隠す為に、必死なのだ。

小さな羽も、朝の太陽光の嵐が落ち着くまで、じっと枝に張り付いている。

その細い脚には、幾つもの棘が細く並んで、突然の風に煽られた身体を、しっかりと繋ぎ止めておいてくれていた。

空気の層は、下に行く程厚くなり、身体を浮かせるには都合が良いが、その渦に巻き込まれると、予期せぬ場所に連れて行かれてしまう。

風が右から左にだけ流れていれば、そう難しくもなさそうだが、風は太陽熱や地熱で下から上に、上から下にと、風を起こしているのだ。

丸まっていた触角を伸ばし、小さな羽は、そっと陽だまりの中に、舞い降りた。

空気の層を破りながら、力強く羽ばたき、一塊の青い花の中に降りることが出来た。

小さな羽は、匂いのきつい白い花より、こっちの方が好きなのだ。

小さな羽には、口元に沢山の手が付いている。

それらが、花粉を丸め、中に押し込む。

大きな牙は、戦う時の為で、食事には使わない。

左手を蜜壺に浸し、甘露を味合う。

口の手は、器用に蜜を運びながら、左手も綺麗にしてくれるのだ。

青い花は、今を盛りと咲き誇っていた。

食事を済ますと、小さな羽は、もしもを考えていた。

頭を上げると、細く区切られた眼に、動く物を捉えた。

緊張に羽の根元が細く震え、風の動きをサッと見渡しす。

真ん中の単眼が、全体を捉え、周りの複眼達が動く物に敏感な反応するのだ。

スッとのばした触覚や、腹の下や手足にある嗅覚にも、小さな羽は力を込めた。

小さな羽が、青い花の上から、一気に跳び上がると、羽を使って、後ろへ飛んだ。

透明な粘液の糸が、小さな羽のいた場所に、パンと音をたてて、跳ねたのは、そのすぐ後だった。

糸の先に粘液を忍ばせ飛ばしてきたのは、地面に潜む糸飛ばしだった。

顎の下から、透明な粘液をだし、寄り合わせて長い糸にし、空気に触れさせて固まらせてから、腹の下の空気溜まりを使って、一気に飛ばして来るのだ。

捕食者は、自分の牙で糸を切り、地面の巣の中に、その身を隠した。

糸が捉える事の出来る範囲に、次の獲物が来るまで、その巣の中でジッと、又待つのだ。

粘液の糸がぶら下がった青い花達。

糸は光と花の色を映して、青くキラキラと輝き、美しかったが、小さな羽はゾッとしていた。

白い房の花の木に、しがみつきながら、もう一度、青い花達をみた。

光って乱反射していなければ、粘液を吸ったポッテリとした糸の先以外、眼には映らないだろう。

今居る世界は狭い。

遠くに行けている様で、クルクルと回っているだけなのだろう。

もしも、本当に、この世界の端から端へと、飛べたなら、小さな羽は何を見る事が出来るのだろう、と、考えていた。

白い房の花が、次々と揺れ、風が渡って行くのが視える。

尻に生えたうぶ毛が、細く震え、風の行き先を教えてくれる。

頭を巡らすと、小さな羽は、その風に乗った。

細長い草の先を揺らし、その一陣の風は、サーっと山の方に吹いていたのだ。

小さな羽は、風を抱き込むと、難なくその中に乗り込み、雲を蹴散らしたばかりの岩山の上を目指した。

空気の層を段々に越え、風は勢いと熱を増しながら、一目散に山はだを駆け上がる。

怖いほど上に上にと、登りだし、ザワザワと樹々を揺らし、岩に貼りつく苔さえ、身を縮めている様だった。

風に追い立てられた、生き物達が、一斉に飛び立ち、逃げて行く。

暖かな羽根を持った者たちだ。

小さな羽の羽は、透明で葉脈の様な筋が白く透けて、たった6枚しかない。

何百もの羽根を広げ羽ばたく生き物からしたら、なんて冴えない羽なんだろうと、思われているだろう。

だが、この羽は、特別な羽なのだ。

小さな羽の仲間達の羽は、力ではなく、その不思議な模様で、地面から離れる力を持っているのだ。

その身体も、何百メートル上からおちても、フワリと地面に降り立つ事も出来るのだ。

何故。

小さな羽は、知らない。

それも、もしものひとつなのだ。

腹のうぶ毛が、ぶつかりそうな岩との距離を取ってくれていた。

風に叩きつけられたりはしないのだ。

小さな羽は、岩山の頂上付近の、ひん曲がった低潅木ていかんぼくのギザギザした葉に、触れる事もなく、間に風の毛布を挟んでいるごとく、息もつかせぬ速さで風の中を、飛んでいたのだ。

眼が回り出し、クラクラし出した頃、ゴツゴツした岩山を越えて、向こう側に、小さな羽は着いていた。

大きな川が、そのウネリで作り出した、曲がった身体を横たえながら流れている。

サッと、日陰に入ると、小さな羽はやっと息をした。

もう直ぐ太陽は真上に回ってくるだろう。

厚い空気の層から、ジリジリとした熱が伝わってくる。

身の安全が第一だ。

樹液の匂いが強い。

堅い殻に包まれた、虹色騙にじいろだましが、のしのしと足音を立てている。

小さな羽は、そそくさとその場から離れ、木の上の方に避難した。

虹色騙しは、縄張り意識が殊の外強い奴らだ。

無駄な喧嘩を買う気も売る気もない。

羽や身体を休め、ゆっくりとしたいだけなのだ。

小さな羽は、肉厚の葉が幾つも重なったその陰に、身を潜めた。

熱い空気は、ピタリと止まり、その身を濁らせ始めていた。

白から灰色に、やがてあたりは暗くなり、小さな唸りが聞こえ出した。

小さな羽の横で、ボダッと水が落ちて来た。

そのまま、勢いを増し、雨が世界を暗く危険な時間に誘う。

稲光りをひとつふたつと落としながら、熱い空気はその腹に抱えた水を地面まで、叩き出していた。

煙る雨の中、身を縮めて、身体よりも大きな雨粒を避けた。

辺りをヒンヤリした風が吹き出した頃、雨は急に止んだ。

小さな羽は触覚を伸ばし、探りを入れる。

湿った木肌の匂いが強い。

手足や腹が、それを知らせてくれている。

プッと糞をすると、雨の残り香の中、花の匂いを探した。

あっと言う間に、日の差し始めた河岸に、青い花が咲いている。

食べなければ、飛ぶも這うもない。

糸飛ばし達も、この雨では、巣の蓋やらなんやらが壊れて、雪崩れ込んだ水で捕食するどころではないだろう。

一目散に飛んで、花に降り立つと、雨が丸い粒になり、フワフワと揺れてる花弁に掴まり、花粉を食べ、蜜を舐めた。

同じだ、と感じる青い花の味が、口一杯に広がる。

もしも、と、小さな羽は考えていた。

飛び越えた岩山のむこうもこちらも同じだったら、と。

世界を、全て見通せるのだろうか。

小さな羽はグズグズせずに、花畑を飛びだした。

2段3段と重なる風を跳ねながら、川に向かった。

雨を吸って、轟ながら荒れている川は、あちこちで跳ねて、岸を削っている。

渦巻く川の向こう側が視える。

小さな羽は、柔らかくなっていた陽の光に騙されたのだ。

川の上の空気には、水の意志が騒いでいたのだ。

充分な高さを持って、川の上にその身体を覗かせた、小さな羽だった。

どんな時でも、例外がやってくる時がある。

雨を起こした風の流れが、空洞を作り、そこに雪崩れ込んできた突風を見定める事が出来なかったのだ。

山を越えた高揚感と空いた腹を埋めた至福感が、無造作に川の上を向い飛ばせたのだ。

風の剣で切り裂かれた衝撃を、小さな羽は諸に受けてしまった。

きりもみしながら、川のすぐ上まで落とされ、あわや濁流に飲み込まれる寸前で、身をひるがえし上になった腹を、下にした時、河岸の砕けた土塊や小石の束が、降りかかってきた。

避ける場所が、無かった。

6枚の羽を遂にして羽ばたいていた小さな羽は、砂利を背中で受けるしかなかったのだ。

螺旋階段を逆さまに頭から落ちて行って、すぐ側に泥と水の匂いがした。

触手を伸ばす川の水に呑まれず、踏ん張った。

羽ばたいた6枚の羽の立ち上がっていた、真ん中の2枚の羽がパツンと音をだして、何処かに砕けて散っていったのがわかった。

もう一度、グラッと落ち込み、必死に水に捕らえられそうな身体を持ち上げたその時、砕けた川べりの泥が一塊、小さな羽の顔を襲った。

眼が見えない。

恐ろし程轟々と、奈堕落なだらくを起こしている川に呑まれなかったのは、気まぐれな風と残りの羽を死に物狂いで羽ばたかせたからだった。

一片の草らしき物にしがみ付いた手足は、ザラザラしたその葉を抱き抱え、トゲだらけの四肢で滑り落ちるのをどうにか食い止めていた。

対になっていた何本かの手足は、体液で汚れ感覚が無い。

顔を襲った泥を、落とすと、口元がヒリヒリとしている。

左側の口元の小さな手達と牙が折れているのがわかった。

そこからも、ドロッと体液が漏れていた。

ゆっくりと眼を拭く。

やはり左側の複眼の幾つかが、体液にまみれ何も映さない様だ。

丁寧に眼を拭く。

どうにか、単眼は無事だった。

だが、これでは、左からの捕食者をみつけるのに、かなり不利だろう。

筋が根元から葉先までいく筋も通った長い長い葉にしがみつきながら、小さな羽はそのまま夜を迎えていた。

恐ろしい川の音を聞きながら、まんじりともせずに、小さな羽は、一晩を過ごした。

夜露に濡れた身体は強張り、痺れも感じなくなっていた。

小さな羽の小さな身体では、あの花畑を抜けて、山を越える事こそ、奇跡だったのだろうか。

鈍くなっている頭で考えだすが、もしもの先が出てこない。

暗闇の山の稜線から、朝一番の陽の光が空を染めだしてた。

小さな羽は、陽に炙られながら、幾つかの昼と夜を、長い葉の上て過ごした。

ほんのすこしだけ、手を伸ばし、脚を伸ばした。

ジリジリと、長い葉の裏側に身体をよせた。

あちこち破れた場所からの体液の流れは止まっていたが、翔び立つ気力が生まれないのだ。

葉陰に身を潜めるまで、捕食者が小さな羽を捉えて喰わなかったのは、河岸の濁流で、彼等もそれどころでなかったのだろう。

荒れ狂った川も、突拍子のない風の動きも止まり、本当に気持ちの良い朝が訪れていた。

気温は一気に上がり、陽炎が立ち、色とりどりの花が、草や木から溢れるほどに咲き誇りだした。

空を飛ぶ物、地を這う物、それらの闊達かったつな動きが、微睡まどろみの中に落ち込んでいる小さな羽の止まっている長い葉も揺らしていたが、陰になっている小さな羽は、起きようとはしなかった。

やがて、カラカラに乾いた身体が、パラパラと下に落ち、流れのままに川下へと流されて行った。

葉陰の裏には、小さなイボの様な物が、ひとつ残されていた。

薄い殻の中でうごめく『それ』は、丸い柔らかな身体を持ち、クルリと身体を回しながら、考えていた。

もしも、眼があれば。

それは、与えられる。

もしも、羽があれば。

それも、与えよう。

自分のもしもに、『それ』は、答えて行った。

内なるもしもを叶えながら、殻の中から眼を凝らした。

もしも、外に出れたら。

川を照らす陽の光が、揺らめきながらオイデオイデをしている様だった。

次々と流れて消える、水の子ら。

柔らかな空気が温まったその手で、『それ』を押す。

殻を破り這い出した『それ』は、イボイボの様な短い脚に吸盤を備え、逆さまに葉の裏側に、その身を伸ばした。

長い節くれだった身体は、細くカサカサで、沢山の毒針を背中一面に背負っていた。

ゆっくり、葉陰から、シャリシャリと長い葉を齧る。

やがて、岸に下りると、側の木立に上がり出した。

小さな羽は、もしもになった。

やがて幹のひび割れた木肌にその身をすべらし、甘い匂いの陰に包まれながら、『それ』は考えるのだった。

次のもしも、を。


今は、ココまで。


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