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『映像の世紀プレミアム 第二集―戦争 科学者たちの罪と勇気―』

作者: 瑞樹ハル

『映像の世紀 第二集』を見て


科学技術の発展と戦争の密接な関係。

私たちが日々生きる中で利用しているすべてに科学技術が使われていることは誰もが知っている。

しかし、その技術が軍事転用された、または軍事技術から転用されたものであることを賢明な諸兄らは存じているだろうが、耳にしたことがない人も多いだろう。

例えばGPS、これももとは軍事技術である。

今私が文を打つのに使っているコンピュータ、そしてこの文をアップロードするインターネットも軍事的に幅広く利用されている。

科学というものは諸刃の剣だと、そういわれたのを耳にした。確かにそうだ。

番組の中で、アインシュタインがフロイトに向けて「戦争をしないようにはできるのか」と問いかけたところ「生物には『破壊欲動』が備わっている。だから戦争をやめることはできない」(意訳してあるので詳しくは番組をご覧ください)と語っている。

戦争は人間の内なる衝動であり、そのためには平和を願い作られた技術や、真摯に真理を追究したかった研究者の思いさえ捻じ曲げられ、人を殺す道具として使われてしまうのである。


そして私は、この戦争というものと平和というものに対して言いようのない認知的不協和を引き起こす。

平和に私が過ごしている裏で人が殺され、傷つけられ、悲しみに暮れている。それを遠く離れたところでテレビやネット、ラジオを通じて知り、そしてこうやって問題としてとらえるのだ。

だがしかし、私はその実情を知らない。

テレビもネットもラジオもメディアであり、切り取られた世界であり、作られた世界である。

テレビ画面に映らなかったその後ろで人が殺されているのかもしれない。ラジオに入らなかった悲鳴はある。

また、こうして戦争は悲しいものだという裏で、戦場で罵声を浴びせながら機関銃を撃ち続けている兵士がいる。相手が死ねば歓声を上げ、喜ぶ。だがしかし、戦争が終わって帰ってくればPTSDに悩まされ、酒や麻薬で心身共に傷つく兵士がいることもまた事実だ。しかしまた、それを知るのもメディアであり、それを見る私たちは死の恐怖を感じず暖かな家で家族とともに過ごしているのだ。

そこに私は言いようのない不気味さを感じる。自らのその映像を見て考えたこと、感じたこと、そして行動すること、そのどれもがまるで作られたものの上につくられた感覚のような気がするのだ。

私は思う。戦争を知らない。戦争とともに生きる感覚を知らない。人生に戦争のない、その人生しか生きてないことをまた、肝に銘じて生きなければ。恐らく足をすくわれるのはそう遠くないことであろう。



めいめい、気を付けなされ。

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