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砕けた欠片を集めて  作者: くう
前章 彼がきえるまで
6/7

4話

 あれから、リトンの様子を夜中に確かめるのは半ば私の習慣と化してしまった。

 毎日のようにうなされているリトンのベッドの脇で座り、魔法の気配が少しずつ解れていくさまを見守る。

 しばらくそんな日が続いて、そうして十日も過ぎた頃、ついに変化が訪れた。




 ──ベッドで寝息を立てる少年の額が、ぼうっと青白く発光する。

「これは……もしかして『記憶の蓋』?」

 浮かび上がったその文様に私は指を滑らせた。冷たいような熱いような、不思議な温度。

 今まで巧妙に隠されていた魔法の痕跡がリトンの無意識の干渉によって暴かれたのだ。

 リトンが来てからの半年で、忘却魔法のことはメルリの魔法書を掘り出して一通り調べ上げた。

 今までは特定する手がかりがなかったからどうしようもなかったけれど、こうして魔力痕が現れた今なら魔法解除を試みることだってできる。

 私は頭の中の記憶の蓋』に関する項目を探った。

 これは言葉の通りそれまでの記憶に蓋をして、その上に真っ白な自我をつくる魔法だ。数ある忘却魔法の中でも高度な部類に入る。

 私のような大して色の薄くない茶色の髪の人間が手を出すには少し荷が勝っているかもしれないが……十年間、師から教えを受けて育ったのだ。全くできないということはないだろう。

 魔法薬と呪文を操って記憶を封じる『蓋』を破壊することでこの魔法の解除は完了する。

 ただ──記憶を戻せば、魔法を掛けられていた間の記憶はすべて失われるのだけれど。




 * * *




「ねえ、リトンはやっぱり早く記憶を取り戻したいと思ってるの?」

 未だはっきりと彼の口からそのことを聞いたことがなかったことを思い出して、私はそう訊ねた。

 リトンは薬草を砕く手を休めて私と目を合わせた。その額に昨夜見られた印はない。きっと意識がない間にしか現れないのだろう。

「それは、勿論。だって自分のことが何も分からないなんて不安でしかないだろ」

「そっか。そうだね」

 それはそうだ。確かめるまでもなく当たり前のことだった。

 ──でも、と口に上りかけた言葉を、私は唇を引き結ぶことで押し込める。

(私の記憶と引き換えになるけど、それでも取り戻したい?)

 それを言えばリトンはきっと困惑するだろうから。

 記憶を取り戻したいという彼の願いを叶えたいけれど、困らせたいわけではない。

 だから代わりに私はこう言った。

「リトンに掛けられている魔法を解く方法が見つかったの。準備が必要だからすぐにはできないけど……どうする?」

 リトンは目を見開いた。

 そこに浮かんだ明らかな喜びの色に、やはりこれで間違っていないのだと思った。




 * * *




 『忘却の蓋』の解除に必要な素材は──ルダの葉、ナナの根、リトルドラゴンの血と魔法石の粉……それから、リトンの木の樹液。彼の今の名の元になったものが材料に含まれているのは偶然に違いないのだけれど、何とも言えない気分になるのは仕方のないことだ。

 材料を集めて魔法薬を作るまでにそんなに時間はかからなかった。

 そしてついに準備全てが整った夜。

 私はリトンに何も言わなかった。

 いつものように夕食を食べ、いつものように食後のお茶を飲み。

 寝る準備を整えて、小部屋の前で別れた。

 隣の部屋からは少しの間小さな物音が聞こえていたけれど、やがてそれも収まって、ただ静寂だけが空間を満たした。

 私はベッドに腰掛けたまま、待った。

 リトンのお茶に入れた眠り薬が効いてきて、彼が深く深く眠るまで。

 ──月のない夜。今日は魔法を解くにはうってつけの日だ。

(そろそろ、かな) 

 魔法薬の入った小瓶を手に取って、隣の部屋へ向かう。

 リトンはいつもの場所で身じろぎひとつせず眠っていた。その額には、鈍く発行する魔法のしるし。

 枕元に歩み寄った私は敷布に手をつき、僅かに眉根の寄った寝顔を見下ろした。

 規則的な寝息が、静寂に満ちた空間ではよく聞こえる。

「……大好きよ、リトン」

 するり、とそんな言葉がこぼれ落ちた。今まで誰にも、メルリにさえ言ったことのない言葉。

「――大好き。でも、さようならだね」

 私は身をかがめて、額をリトンのそれにこつんと合わせた。私の茶色の髪が敷布に落ちてリトンの色に交わった。

 伝わる体温を名残惜しく思いながらも、私はゆっくりと身を起こす。

 そして、片手に握り込んでいた小瓶の蓋を開けた。その口に指を差し入れ、中の液体に浸す。

 抜き出した指をリトンの額の魔力痕に押しあてて、詠唱。声の抑揚に全身の神経を集中させるために目を閉じて視覚を遮断した。

「──シーオグの大地、花の蜜。集め、歌え、引き裂き、散らせ。地の楽園に、天の監獄──」

 詠唱に使われる言葉の羅列に意味はない。大切なのは音の響きと抑揚だ。言葉はそれらを覚えやすくしているだけ。

「――金の小鳥を追う子供。雲と虹、風と雨、木と草、枝にかかる鳥籠。壊せ、錠」

 最後の一音を発すると同時に、パキンと何かが砕ける音がした。

 体にかかる魔力負荷が消え失せ、私はゆっくりと瞼を起こした。

 そして目の前に横たわる少年の姿を視界に入れる。

(……なんとなく、そんな気はしていたの)

 ベッドで穏やかな寝顔で寝息を立てていたのは、私のよく知る少年ではなかった。

 短く切った茶色の髪も優しげに下がった目尻もすっかり消え失せ。代わりにあったのは、肩にかかる長さの白銀の髪と、とても整った――だけど見慣れない顔立ち。きっと、この瞼の向こうにある瞳の色も私の知るものとは違った色をしているのだろう。

 『忘却の蓋』には、姿偽りの魔法も組み込まれていたのだ。

 だから今ここに見えている容姿こそが、「彼」の本当の姿。

 限りなく白に近いその髪色からは、彼がどれだけ膨大な魔力を身に宿しているかがうかがえる。

 この国では魔力の強い人間が多い家ほど権力を持つ。

 私は彼を森で見つけた時の服装を思い出した。あの高級な生地と作り。きっと、彼は国の中枢に近い家柄の息子に違いない。

 そして、私のこともすべて忘れてしまっただろう彼はもう、私の「リトン」ではないのだ。



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