プロローグ
この森に住む前のことはよく覚えていない。幼い記憶の底に残っているのは、飢餓と悪臭、痛み。
いわゆる貧民街と呼ばれる場所に転がっていた、珍しくもない貧相な子供だった。そんな私を気まぐれに拾って育ててくれたのが、メルリという魔法使いの老女。
喧騒が何より嫌いだというメルリは森にたった一人で住んでいた。街に出て来るのは森で採れた珍しい薬草や鉱物何かを売りに来るときだけ。あの日も、ひと月ぶりに街に出てきて必要な取引を終え、森に帰る途中だったのだという。
「あたしもいい年だから、死ぬ前に一人ぐらいは弟子をとろうかと思ったんだよ。たまたま見かけたあんたが、幼い頃に死んだあたしの妹に似ていたからというのもあるかねえ」
メルリは名を持たなかった私にシルと名付け、腐臭のしない空気と胃を満たす食べ物と清潔な衣服をと、それから人肌の温もりを与えてくれた。森で生きる術と培われた魔法の知識を植え込みながら、確かな慈愛をもって育ててくれた。
「あたしが死んだら、この家はあんたの好きにおし。ずっと住み続けるもよし、物を売り払って街に移り住むもよし」
そうしてついに一年前メルリは他界し、私はまたひとりぼっちになった。
メルリの体は大切にしていた杖と一緒に日当たりのいい場所に埋めて、メルリが言い残した通り、墓標がわりに苗木を植えた。
魔法使いの体を糧に育った樹からはいい杖が取れるらしい。メルリの杖も、敬愛していたメルリの師から育ったのだと、いつか聞いたことがあった。
メルリは家を好きにしろとも言ったけれど、私はメルリと一緒に暮らしたこの家を手放す気はなかった。ずっと傍にいたメルリがもういないことに寂しさは感じるが、それを別の人間で埋めようとは思わないし、ここを出て騒々しい街中で暮らすメリットも感じない。それに魔法を使えるようになったおかげで身の回りのことだって難なく済ませることができる。
いずれ年を取ればメルリのように子供を拾い、生涯に一人の弟子を育てようと漠然と考えながら、一年が過ぎた頃。
――森で、少年を拾った。