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藍童話  作者: 十浦 圭
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風の棲む丘

Twitter上の創作企画「空想の街」(http://www4.atwiki.jp/fancytwon)に参加した作品(を加筆修正して纏めたものです。

作中に企画の設定に準拠した表現がありますが、これ単体でも読めます。


 ざわざわと鈴懸の木が鳴るのを、少女は窓の中から眺めた。空はすっかり白っぽさを増して冬の準備を始めている。マグカップの中の液体が、とろりと温度を失っていくのが分かった。少女はじっと窓の外を見つめる。暮れてゆく空に待ち人は未だ現れない。

 ビロウドを逆向きに撫でながら、少女の顔はゆっくり下がっていった。青みを増していく遠くの空に、一番星がかすかに瞬く。ふ、と眉を下げて、諦めた顔でカーテンに手を伸ばした少女が、ふと怪訝な顔になった。なだらかに続く丘の下にぽつりと見える影。

 ぱあっと表情を明るくして、ベッドの上に膝立ちになった少女が窓を開けた。とたんにぶわりと入り込んだ風にカーテンが揺れる。


「さな!」

 風と共に少年の声が部屋に響く。息を切らせて窓に駆け寄った少年の髪は乱れ、頬は寒さに赤くなっている。瞳はきらきらと輝いていた。

「ごめん、遅くなって!あのくそじじい、もう終わるって時にいきなり別の指示出すから」

「ううん、今日はもう来れないかと思ったから」

 微笑んだ少女に、少年は勢い込んで笑う。

「ちゃんと来るって。手術まであと一週間なんだろ?さなは俺が来て元気付けてやんねーとダメだもんな」

 窓に置かれた少女の手に、少年の手が重なった。

「うん」

 こくり、と首を傾げて少女は幾分不安そうに笑った。

「大丈夫だって」

「分かってるけど、怖いの」

「怖いのは俺も知ってる。でも大丈夫だ」

「うん、ありがとう」

 空が夜に染まってゆく下で、彼らは小さく微笑んだ。


 丘の上の洋館に住んでいるのは老夫婦と、その孫娘だった。可憐な外見と同様に、少女はとても体が弱かった。ある日訪れた医者の術によって、少女は病気を治すことになった。手術を怖がり毎夜泣いていた頃に知り合ったのが、今の少女の無二の親友である鍛冶屋の少年だった。

 少年の働く鍛冶屋は町の外れにあった。煤けた小屋はみすぼらしいと言えなくもなかったが、少年はそれが嫌いではなかった。煤の匂いも火の匂いも、師匠である親父の怒声も、少年の肌に馴染んだものだ。 かーん、と鉄を打つ音は星々に共鳴して美しかった。


 穴倉のような仕事場で師匠の指示に走り回る少年がその噂を聞いたのは、少女の手術の前日のことだった。お喋りなパン屋のおかみさんは出来上がった竈の道具を抱えたまま、ゆうに数十分は話していた。適当に相槌を打つ師匠の後ろで、少年はふとおかみさんの旅人の話に気が付いた。


 窓ガラスに付けた手のひらが、随分冷えてき始めていた。テーブルの上の飲み物はとっくに冷めてしまっている。それでも少女は辛抱強く窓の外を見つめていた。夜の帳が降り始めて、星々が目を覚ましてからも、ずっと待ち続けていた。少年が少女を裏切るなんてことが、あるはずがなかった。

 夜が更けて、夜が明けて、朝になって、昼になった。小鳥が空を飛び、洋館の真ん中の部屋に布が張り巡らされ、どこもかしこも消毒液の匂いが漂っていた。少女は不安そうな瞳を揺らして、ずっと窓の傍に立っていた。医者の声が少女を呼ぶ。看護婦に手を引かれて、少女は窓の傍を離れた。


 洋館の中で手術が始まった頃、風になびく草を掻き分けて丘を上る人影があった。ざわざわと草原が揺れる。泥と汗と、他のたくさんの汚いものに汚れた少年は、息を切らして道を駆け上がっていた。もう手術は始まってしまっているだろう。手の中のそれを握って少年は唇を噛んだ。

 少年が持っているのは黄金の林檎だった。パン屋のおかみさんに聞いた旅人が持っているという、命を潤わせる果実。夜のうちに町を出たという彼に追いつくのに随分時間がかかったものの、旅人はあっさりとその果実を分けてくれた。マルエカ、と旅人が呼んだそれを抱いて少年は丘を駆けた。

 ざあ、と風が吹いた。風が絶えず吹くこの丘を、誰かが風の丘と呼んでいたことをふと少年は思い出した。青い草原が揺れる。丘の上の洋館が風に共鳴して鳴いた。ふう、と誰かの手が少年の頭を撫でた。

「さな?」

 白い腕が風に緩んで消えた。立ち尽くしたまま、少年は茫然と空を見つめ続けた。


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