鱗の悪魔
Twitter上の創作企画「空想の街」(http://www4.atwiki.jp/fancytwon)に参加した作品(を加筆修正して纏めたものです。
作中に企画の設定に準拠した表現がありますが、これ単体でも読めます。
嵐の夜、海からぞろりと何かが這いあがってきた。それは闇の中で鱗に塗れたまま、なすすべもなく浜に横たわっていた。
翌日、嵐が止んだ砂浜に一組の老夫婦が通りかかった。弱り切った鱗の悪魔に、老夫婦は驚きの声をあげた。しかしその声にもぴくりともしないぐったりした悪魔の姿は憐れを誘うものでもあった。可哀そうに思った老夫婦は鱗の悪魔を家に連れて帰ることにした。
鱗の悪魔はしばらくして目が覚めたようだった。ベッドで目を開けて老夫婦を見た悪魔は戸惑ったように瞬きをした。口を開くが、何も喋れないようだった。言葉も力もない悪魔は諦めたように再びベッドに沈んだ。老夫婦はにこにこして悪魔の世話を始めた。
悪魔にはほとんど力が残ってないようだった。老夫婦に不幸を呼ぶことも、自分で老夫婦に害をもたらすこともなく静かに暮らしていた。物を食べ、喋らず、外を眺めていた。老夫婦はこの悪魔を何故か甲斐甲斐しく世話した。近所の人に何を言われても悪魔を匿っていた。
悪魔を家に連れ帰ってからしばらくしたある日、お婆さんの方が階段を踏み外した。捻った足を手で押さえて蹲るお婆さんをふいに誰かがひょいと抱え上げた。鱗の悪魔は黙ったまま、お婆さんをベッドへと運んだ。鱗は変わらず冷たかった。
お婆さんの脚が治っても悪魔は海へは帰らなかった。悪魔の鱗の色は日に日に薄くなっていった。近所の人々も次第に悪魔に慣れてきたようだった。悪魔は少しづつ、悪から離れていった。
ある晴れの日に、お爺さんが悪魔を見て彼に名前を付けようと言い出した。お婆さんも大層嬉しそうに同意した。悪魔は居心地が悪そうに、しかしどこか嬉しそうに周りをきょろきょろ見渡した。色の薄くなった鱗がぴしぴしと鳴り逆立った。鱗に小さなヒビが入っていた。
老夫婦は顔を合わせてふふ、と笑った。そしてお婆さんがこう言った。
「あなたのことをりーたと呼んでいいかしら」
ぴしい!と音をたてて鱗が割れて剥がれた。悪魔の目にうっすらと涙が浮かんだ。
何かを言おうとして、悪魔の口が開かれようとした時だった。
お爺さんが嬉しそうに付け加えた。
「死んだ私たちの息子と同じ名前だ」
「ああ!」
鱗を失い、老婦人を愛した悪魔には、その言葉を受け止めるだけの力は残されていなかった。自分は愛されていなかったのだ!
もはや悪魔でなくなった彼は悲痛な声を上げ、そしてそのまま倒れて、死んでしまった。