夢見る悪魔と警備員さん
ここにあって、ここにない場所。
いたって説明しがたい空間に存在している狭間のホテルには、多くの魂が現世の罪を精算するための評決を待ち、人生最後のバカンスを送っている。
とにかくだだっ広く、常に改築されて無尽蔵に増えてゆく客室郡の最上階フロアは、魂を断罪する側の神々や、現世とは違う世界軸に住まう異形の者たちに用意されている特別な空間だった。
生と死の間。
全ての事象から切り離されている場所にある特殊性から、ホテルは緩衝地帯の役割も持っている。
つまりは、天使だろうが悪魔だろうが、住まう世界が果てしなく違かろうが、貴賓として一緒くたに扱われる。
「つまりは、神様たちの無礼講っやつだろ?」
普段は閉鎖されているホテルの屋上では、数少ない従業員総出で、VIPたちのパーティに奮闘している。警備員であるグリードは、一般客が入り込まなないよう注意をはらいながら、持ち場を巡回していた……はずだった。
「なんで、オレが参加しなくちゃならねぇんだよ」
「パートナーがいないと、ダンスができないだろう? 言わせないでほしいな」
夢魔を自称する緋色の髪の悪魔、シルギス・レッドファントム男爵は、普段の貴族めいた服装をさらに豪華にした格好で、ソファーにふんぞり返っている。まだ、実害はなにもないが、見ているだけで腹の立つ尊大な態度だった。
「神様がたの無礼講に、一般人が紛れ込まないように気を配る、地味だが気が疲れる繊細な仕事に就いてるんだよ。残念ながら、ダンスなんて踊ってる暇がない。どうしても相手が見つからないっていうなら、花瓶から花を抓んで抱いていりゃあいい」
刃物をもった異常者が乗り込んできたところで、どうにもならない相手しかいない会場だが、機嫌を損ねると面倒くさいのが神様だ。
できるだけ穏便に、つつがなく交流会が終わるよう気を配らなければならない。
無駄話をしてる間も、かわいい部下たちは食事も休憩もそこそこに、広すぎるホテルを歩き回っている。遊んでなど、いられない。
「花の一輪くらいじゃ、私の相手はつとまらないよ。さ、ごねてないで着替えておくれ。制服姿のキミも素敵だが、さすがにドレスコードに引っかかる」
「衣装以前に、存在が引っかかるとおもうけどな。無礼講だからって、警備員でしかないオレがおいそれと入れる場所じゃねぇよ。VIPルームに来るのだって、イレギュラーだってこと忘れてんじゃねぇよ」
苛立つグリードを無視して、シルギスは手招きをして寝室へと消えた。問答無用だ。
「くそったれ貴族が、ひとの話をきけってんだよ。そちらはお遊びで来てるんだろうが、オレは忙しいんだよ」
どんなにむかつこうと、とりあえずは客と従業員だ。渋々、グリードはシルギスを追って寝室へと入る。
「キミは私のボディーガードも兼任してるんじゃないかね?」
「無理矢理、指命してきたんだろうが。支配人も、なんでテメェみたいな半端悪魔のオーダーを許しているんだかな」
「主の神格が、とんでもないからね。代理で来ている以上、無碍にはできないのさ。愚痴はそろそろ切り上げて、さっさと着替えてくれよ」
ぱりっとしたシーツが掛けられたベッドの上に、普段のグリードには縁のなさ過ぎる服が置かれていた。目の前に立つシルギスと対になるようなデザインに、口から温い溜息が漏れる。
「いやだね。趣味じゃない」
「いやいや、ちゃんと似合っていたよ」
「てめぇ、夢の中でまたオレになんかしたのかよ?」
ニヤニヤと笑う夢魔は、何も言わない。ただ、立てた人差し指をくるりとひっくり返して、着ろと強要してくる。
ストリートチルドレン上がりの自分が、貴族めいた服を着ている姿など想像できない。まして、紐やボタンやらがやたらと着いた服の着方がわからなった。もともと、衣服に頓着する性格でもない。
だいたい……
「目の前で、着替えろってか? 冗談じゃない」
趣味が悪すぎる。
「生娘でもないのに、しかも私もキミも男同士じゃないか。恥ずかしがる道理が分からないな」
「テメェだから、嫌なんだよ」
「なんだい、よからぬ想像でもしたかい? 悪戯されると思ったかい? 怖いのか、グリード」
挑発的に肩をすくめるシルギスに、グリードはかっとなって胸ぐらを掴んだ。が、これ見よがしに笑う顔に、嵌められたと気付く。
が、どうにもならない。
「時間がないからね、ちょっと大人しくして貰うよ」
見下ろしてくる顔が、ぐにゃっと歪んだ。
いや、歪んだのはグリードの意識のほうだ。
悪夢を操る夢魔は手を振ることもなく、深い眠りへとグリードを落とし込んだ。
◆◇◆◇
鍛えられた体をモノともせず、寝かしつけたグリードを手早く着飾っていく。
意外と細い腰を強調するよう、タイトなベスト。刺繍の美しいジャケット。青みを帯びた髪色と近いタイをきちんとしめてやる。
「ほら、私の見立てとおり。すごく似合っているよ。しかし、驚くほど無防備な顔もできるのだね」
独りごちながら、シルギスはグリードの髪に己の人差し指を絡めた。
「私が出会ったキミは、感情の何もかもを長い時の中で失った後だった。そう。ひとつひとつ見せてくれる感情がとても新鮮で愛おしくて……つい、無理強いをしてしまうんだよ、グリード」
柔らかい髪を撫で、小さいがふっくらと持ち上がる唇を人差し指で軽くなぞる。
呻き声が上がるが、意識は深いところに落としてあるので起きる心配はない。頬を包むように撫でて、きっちりと閉められた襟元に爪が引っかかる。
「……エミリオ」
眠るグリードの唇にもう一度触れ、シルギスは刺繍の施された袖から伸びる手を取った。
「許してくれとは、言わないがね」
滑らかな肌をした手の甲に口づけを落とし、自ら落とした夢の縁で微睡んでいるであろう意識を引き上げるべく、シルギスはグリードの頬を思いっきりひっぱたいた。