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年明け

作者: 斉藤羊

大掃除をしていたときのことだから、一週間ほど前のことだろうか。障子を張り替えているときのことだ。紀子ちゃんは障子に穴を開けて、私がその穴の開いた紙を剥がすのだ。ミツさんは別の部屋の畳を掃除しているところだった。突然彼女は思い立ったように私に言った。

「今年はやらせて」

突然そう言われても何のことだか分からない。何を、そういうと、彼女は無言で私の髪を指差す。これ?と下から後ろに手を回しても触れられるくらいまで伸びた髪を指でつまみあげると、そう、と頷く。

「髪、今年も切るのでしょう」

私は仁大様に、元旦にだけ髪を切ることを許されている。曰く、髪の長い私と短い私の両方を見たいのだそうだ、よくわからないが。あの人の考えることは分からないことばかりだ。たぶん紀子ちゃんはそのことを言っているのだろう。

「今年はもう切らないよ、切るのは来年」

「・・・揚げ足取りだわ」

「そうだね」

「髪を切りたいの」

「自分のは?」

「あなたの髪を切りたいの」

「下手に切られると困るな」

「一切りだけだから」

ずぼっと最後の一枚に穴を開け終えて障子を渡す折に紀子ちゃんは駄目?と首をかしげた。彼女がここまで食い下がるなんて珍しい。いや、まず人に何か頼みごとをすること自体、稀だ。そう思うと、そこまで突っぱねることでもない気がしてくる。

「・・・・・・じゃあ、最初の一切りだけなら」

そうしぶしぶ折れると、紀子ちゃんはめったに見られないような笑顔で笑った。

「そういえば、どうしてそんなに髪を切りたいの?」

「切った髪が欲しいの」

「・・・・・・呪い?」

「まさか」

呆れ顔でそう言って、綺麗なものは残しておきたいでしょう、そう小声で言う。


 元旦の朝、ささやかなおせちをつまむ前に、他ならない彼女の希望で早速断髪式を始めた。畳の上には新聞紙が敷いてあり、首元にはタオルが詰めてある。ちらりと左のほうを向くと、このまえ仁大様から贈られてきた振袖が出してあった。私は去年頂いたものの方が好きだと言ったのに、ミツさんはとうとう聞いてくれなかった。前に視線を戻すと真剣な表情の紀子ちゃんがたすきがけをしようと奮闘している。

 私は半ばどうにでもなれといったような心持ちでいた。

「さあさ、お好きなだけ切りなさいな」

私がそういうと、紀子ちゃんはミツさんからはさみを受け取って切りにかかった。たすきがけは諦めたようだ。ひらひらと揺れる赤い着物は金魚のひれを追っているようでなんとも微笑ましい。その着物は先日ミツさんが買ってきたものだった。彼女は悩みながら私の周りをぐるぐると何週か回って、右の横髪に当たりをつけた。そこら辺を子供の暖かい体温がくすぐる。どうもそこの髪が一番お気に召したらしい。

 耳のすぐしたあたりを一息に切って髪を一房手に入れると、紀子ちゃんは満足げ笑う。細く切った紙でそれがばらけないようにまとめて、隣の部屋に走り去っていった。

「きっと宝箱に入れにいったんだわ」

ミツさんは慣れた手つきで髪を短くそろえながら言う。動きは緩やかだけど、その分手つきは丁寧だ。大きく溜息をつくと、

「そんなに紀子ちゃんに髪を切られるのが嫌でした?」

「いや、けしてそういうわけじゃ・・・・・・」

ただあの一房の髪が、私の中の何かとともに残されているかと思うと、ほんの少し気後れするだけで。

「残るものが嫌?」

「そうなんですかね」

「ねって言われても、私はあなたじゃあないから分かりません」

「でも着物はかまわないんですよね」

ちらりとこれから着るであろう着物を見る。黒地に大きめの花が散らしてあるもので、横には金と朱が鮮やかな帯がたたまれている。

「だって服は、毎日着て擦り切れて、日常の記憶に埋没していくでしょう」

「・・・そう、ですね」

「何度も着た着物はそれだけさまざまな記憶が眠っているけど、あの髪はそれだけであなたへとつながりますよ。うれしいことじゃありませんか。あの子はあの髪を見るたびに、あなたを思い出す」

「・・・うれしすぎて潰れてしまいそうですよ」

「あらあら」

なんて話をしている間に、髪を切り終わったのか背中を軽く叩かれた。

「さあ、終わりましたよ。降りる前に掃除するんで少し待ってくださいね」

「はあい」

そう言って、首から下を覆っていた大きな布を慎重に取り払う。ミツが下の髪の毛を掃除し終わるまで待ってから、イスから落ちるように降りる。それから膝の手前までしかない足を引きずって、まっすぐに着物のほうへ向かう。

 羽織った振袖からは樟脳の香りしかしない。そのことに安心感を覚えて溜息をつくと、袂を引っ張る感覚がした。振り返ると、いつの間にか紀子ちゃんがいた。どうしたの、そういうと彼女は殊更にっこり笑って、

「今ね、うれしいの」

「どうして」

「ここに貴方が増えたわ」

そう言って自分の胸を指差した。私は笑えばいいのか悲しめばいいのか分からず、なんとも微妙な顔で笑った。紀子ちゃんは不思議そうにちょっと傾けた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 自分は贈り物をする時も残るものは送らず、その気持ちがよくわかるなーと読んで思いました。最後で空気感を締め、作品に味が出ていて面白かったです。
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