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ライン・メーカー  作者: 四国 ヘリ
ラビス・クセナキス
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ラビス・クセナキス ⑤

 第九地区の労働者の生活は、厳しく管理されている。


 起床時間は、朝五時。これに一秒でも遅れると、その日の食事は抜きにされてしまう。食事は日に一度、朝にしか出されないので、これを抜かれてしまうと、その日は空腹とも戦わなければならなくなる。そのため、どれだけ前日の疲れが残っていたとしても、ほとんどの労働者は体に鞭を打って起き上がってくる。


 起き上がれないのは、生きることを諦めた者か、すでに死んでいる者の二種類しかない。


 朝五時になったところで点呼が始まる。労働者は名前で呼ばれることなく、番号で確認される。番号が呼ばれた者から朝食を受け取り、十分間の食事の時間が与えられる。


 食事が終わったら、スコップや手押し車を用意して、埋立所に向かわされる。そこで行うのは、回収してきたごみや排泄物を埋める穴を掘る作業だ。アフィスタは小さな都市ではない。多くの人間が生活している。一日に出されるごみや排泄物は、相当な量になる。穴は掘っても掘っても足りない。だからまず、穴を掘らされる。


 この作業は約三時間、八時まで続く。


 八時になると、次は専用の容器を渡されて、各自の担当エリアへと向かわされる。そして労働者は、そのエリアで出されているごみや排泄物を集めて回り、容器が一杯になったら埋立所へと搬送し、また担当のエリアへと向かい回収作業を行う。担当エリアで出されているすべてのそれらを回収し終えるまで、休むことは許されない。どれだけ辛くても、どれだけ苦しくても、続けなければならない。


 そして、担当エリアのごみや排泄物を回収し終えても、その日の仕事はまだまだ続く。


 回収作業が終わったら、今度は再び穴を掘らされる。


 遠い地区を担当している者と比較的近い地区を担当している者とで、それぞれの作業終了時間に違いが出てくる。だが、早く終わったからといって、休めるわけではない。穴を掘らされる。休むことが許されるのは、深夜二時を過ぎてから。それまでは働き続けなければならない。もちろん、深夜二時を過ぎても回収作業が終わっていなければ、休みは与えられない。


 休日はない。朝五時になったら、点呼が始まる。


 これが第九地区の労働者の生活である。


 これを地獄といわずして――何を地獄というのだろう。


 まともな人間は、ここには一人も存在しない。


 まともでいようとしたら、とてもここでは生きていけない。


 ラビスはそれを理解するのに、一週間もかからなかった。


 たったの一週間。それだけの間に、ラビスは死体を三つも埋めた。ごみや排泄物を埋める穴を掘るついでに、ラビスは死体を埋める穴を掘らされた。そしてそこに動かなくなっていた労働者を運んできて埋めさせられた。


 動かなくなった人間は……不気味だった。ぼんやりとした瞳で虚空を眺めていて、瞬きをせず、身動きもせず、人間の形をしているけれど、それはもう、人間ではなかった。


 人間は、死んだらこうなってしまうのだと、ラビスは学んだ。


 そしてここでは、死んだ人間はごみや排泄物と同じ扱いを受けるのだと、学んだ。


 ここでは、労働者は人ではないのだ。道具なのだ。使えるだけ使われて、壊れたら捨てられて、それでおしまい。第九地区の労働者という存在は、その程度のものでしかないのだ。


 ラビスは、よく理解した。


 理解して、恐怖した。


 死という概念が、瞬く間にラビスの中で構築されて、圧倒的な存在感を放ち始めた。


 死にたくない。死にたくない……どうか。


 どうか――両親がいる家へと、帰してほしい。


 あの生活に、あの日常に、戻りたい。


 なぜこんな所での生活を強いられなければならないのか、なぜこんなにも苦しく辛い仕事をしなければならないのか、なぜ――両親は、助けに、救いに、迎えに来てくれないのか。


 わからないことはいくつもあった。だけど、わからないままでいいから……誰も何も教えてくれなくてもいいから……とにかく、家に帰してほしい。


 ラビスは、ただそれだけを思いながら、第九地区での日々を過ごした。


 二週間が過ぎて、一か月が過ぎて、半年が過ぎて、一年が過ぎて……その間、ラビスはずっと耐え続けた。逃げ出そうとする者、発狂し始める者、過労や飢えで死ぬ者。ラビスは、数え切れないほど、人間が壊れる様を目の当たりにしてきた。それでも、耐え続けた。


 二年が過ぎて、三年が過ぎて、四年が過ぎて……ラビスは、耐え続けた。耐えるしかなかった。手を差し伸べてくれる者は、一人もいなかった。第九地区の労働者の中には自分以外の人間の面倒を見られるような余裕のある者はいなかったし、監督者の中には優しさの心を持つ者などいなかったし、他の地区に暮らしている人間は第九地区の労働者を同じ人間とは意識していなかった。ラビスは、独りで耐え続けた。


 いつか、いつかはこの苦労が報われる時が来る。


 きっと、両親が迎えに来てくれる。


 そう信じて、それだけを希望にして耐え続け……そして、五年の月日が過ぎた頃。


 ラビスはその日……見てはならない光景を、目にしてしまった。




 その日――その始まりは、いつものそれだった。


 朝五時に点呼を受け、朝食を採り、穴を掘り、そして回収作業が始まった。


 いつも通りに、仕事が始まった。


 ただ、変わったことが一つだけあった。ラビスの担当のエリアが、その日から変えられたのだ。成長し、体が大きくなってきていたラビスは、より距離のある地区の担当をさせられることとなったのだ。


 とはいえ、それで仕事の内容が変わるわけではない。


 苛酷さが増すだけ。


 より長い距離を酷い臭いを放つものを背に抱えて歩き、より長い時間他の地区に住む人間から軽蔑の眼差しを向けられる。変わるのは、それだけだ。


 しかしそれでも、ラビスは働いた。


 耐えた。


 いや……すでにラビスの感情、心は崩壊寸前で、それらの苦痛と真正面から向き合うことなどできる状態ではなかったから、耐えたという表現は適切ではないかもしれない。ラビスは、両親が迎えに来てくれるという希望だけを考え続けて、それ以外のものは意識しないようにしていた。そういう技術を身に付けていた。そうやって、できるだけ現実から目を逸らすようにしていたから、生き続けることができていた。


 だから……だからこそ、その光景を目の当たりにした瞬間。




 ラビスは、すべてを失ったのだ。

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