炭鉱都市アフィスタ 第三地区 ⑥
下を向いて監督者の後ろに続いて歩いて、十数分。
ラビスが足を止めたのは、第三地区の中心部――この地区で最も巨大な建物の前だった。
「おら、ボーっとするな。その背負っている容器を門の端に置いて、ついてこい」
「……いや、でも、俺……こんなとこ……」
「いいからついてこい! そう言っているだろうが!」
監督者はそう怒号を上げてラビスの肩を殴ると、もうそれ以上何も言わず何もせず、黙って大きな門を潜り抜けて建物の中に入っていく。
その後についていく、という選択肢以外にラビスが選べるものはない。
戸惑いつつも、ラビスは指示された通り容器を降ろし、ゆっくり歩を進める。
(こんなとこ……どうして俺が、こんなところに……)
(……何をされるんだ、俺は……)
下を向いて歩きながら、ラビスはちらりと視線だけを周囲に向ける。
周囲には、大勢の人がいる。アフィスタの人間だけでなく、他の地方から来ている人間もいる。様々な服装や方言……ラビスの知らないものが、ここには満ちている。
ラビスの知らない何かが、ここには溢れている。
(……居心地が悪い)
(なんなんだ、ここは……)
巨大な建物。
その存在を、ラビスは知らないわけではなかった。
仕事の道中、何度も見たことのある建物だ。意識せずとも視線を向けてしまうほど、雰囲気のある建物。その大きさだけでなく、そこに集まっている人間……それこそにラビスの視線は向かっていたことにラビス自身は自覚していなかったが、とにかく、ラビスは知っていた。
気になっていた。
(アフィスタの中でも、ここほど……変わっている場所はない)
(この雰囲気……ここにいる人達を、変わっていると感じてしまうのは……なぜだろう)
(何かが違う……でも、その何かが、わからない)
(……居心地が、悪い)
ラビスは、下を向いて歩き続ける。
アフィスタの住人から軽蔑の視線を向けられるよりも、正体のわからない活気に満ち溢れたこの場にいることのほうが、ラビスには耐えがたかった。
建物の中に入り、そこからもラビスは監督者の指示に無言で従って……辿り着いたのは、どこか重々しい風格のある扉の前。
そこを開いて、室内に入ると……そこには、見覚えのある人が、いた。
「よお、さっきぶりだなあ、少年」
と、太陽のように明るい笑みを浮かべながらラビスにそう声をかけるのは、女だった。
ラビスに救いの手を差し伸べた女――忘れたくても忘れられないその人が、大きなソファーに堂々と居座っていた。
「ほれ、少年。そんなとこ突っ立ってないでこっちこい。ここに座りな」
「え……いや、俺……そんな……」
「いいからいいから。ほれ、ほれ」
笑顔でラビスを手招きする女――その周囲には、数人の監督者と身なりのいい男がいる。
監督者と身なりのいい男は、彼らは笑顔など浮かべていない。
女以外は、誰もラビスのことを受け入れていない。
そんなこと、誰かに教えられるまでもなくわかる。誰かの顔色をうかがい続けて生きてきたラビスには、わかる。女以外の人間がラビスを忌避していることなど、わかりきっている。
いつものラビスなら、その表情を見て……そこに込められている彼らの言葉を聞き取って、下を向いて引き返していた。誰に言われるまでもなく、そうしていた。自分の意思など考える間もなく、そうしていた。
事実、ラビスはそうするつもりだった。
すみません――そう謝って、静かに引き返すつもりだった。
そうしようとしていた……のに。
ラビスは、気がつくと前に足を踏み出していた。
(……あ、あれ)
(どうして……なぜ)
(俺は……なんで……)
無意識に――自身の取った行動を不思議に思いながらも、ラビスは無意識に、女の言う通りに行動していた。
女の座っている大きなソファー。その正面に置かれている安っぽい椅子に、ラビスは座る。
するべきだと思った行動ではなく、そうしたかったと思った行動。
自分がどうしてそれを選ぶことができたのかわからないまま、ラビスは女に視線を向ける。
「さて、そういや自己紹介がまだだったな、少年」
女は、言う。
力強い視線をラビスに返して、堂々と言う。
「あたしはエルダ。エルダ・グリーヴァだ。『ライン・メーカー』として、いろんなとこ駆け回ってる忙しいお姉さんだ。んで、早速本題。あたしはついさっき依頼を受けてきたんだけど、それはどうにも一人じゃできそうになくて……相棒を、捜している。少年、お前の名前は?」
「あ……えと……お、俺の、名前?」
「そう、お前の名前」
何を言っているのか、何を話されているのかラビスにはわからなかった。
だが、女――エルダに求められているものは、理解できていた。
名前。
自分の、名前。
それは、アフィスタで――第九地区で呼ばれている自分の番号なのか。それとも、今はもう誰にも呼ばれることのない、名前なのか。
どちらを答えるべきなのか。
少し考えて……ラビスは、答えた。
「俺は……ラビス。ラビス・クセナキス、です」
震える声だった。
弱々しい、声だった。
それでも、ラビスは答えた。
なぜかはわからないが、自分の名前をエルダには知っておいてほしいと、そうラビスは思った。
そう思って、答えた。
「ラビス・クセナキス――よし、憶えたぜ、ラビス。んじゃあ、これからよろしくな」
嬉しそうに笑って、ラビスの名を呼んで、エルダは手を差し伸べてきた。
ラビスに、握手を求めてきた。
温かい手――救いの手。
その手に向けて、ラビスはゆっくりと、恐る恐る自分の手を伸ばし……そして。
大切なものを掴み取るように、そっと、ラビスはエルダと握手した。
それだけのことだったのに、ラビスは、自分の中で何かが変わったような、そんな不思議な感覚に包まれていた。




