心の束縛(トイレに行ったばかりなのに・・・)
あの修学旅行の日の記憶が綾乃の不安を呼び覚ました。そして悪いことに、ランチで飲食した後だったので、綾乃の尿意の高まるスピードが早かった。
高速道路に入ってすぐ、綾乃が両脚をくねらせているのを稜は見逃さなかった。ふと横顔を見ると、綾乃はまっすぐ前を向いたまま険しい表情をしていた。
≪さっきトイレに行ったばかりなのに・・・≫
稜は口には出さないまでも、綾乃の身を案じた。カフェを出てまだ20分ほどしか経っていなかったので、さすがに彼女に声をかけることは憚られた。
≪さっきトイレに行ったばかりなのに・・・≫
綾乃の思いも同じだった。午前中は調子が良かったので油断してしまっていた。何がいけなかったのか思い返しはじめた。食後のコーヒーは飲まなかったが、スープは飲んだ。そういえば、店に入れることに安心して、ランチの前に車の中で、喉の渇きを癒すため飲み物を飲んだ。それがいけなかったのだろうか・・・
綾乃は自分の行いを後悔していた。そのストレスがさらに綾乃の尿意を高める悪循環となっていた。
さらに10分ほどして、ついに見かねた稜が声をかけた。
「綾乃・・・、おしっこ大丈夫?」
その言葉をかけた直後、稜は自分の言ったことを後悔し、自分を責めた。
≪言っちゃいけなかったよ。自分だって・・・≫
綾乃は自分の中で、不安と尿意に闘っていた。なるべくおしっこのことを気にしないよう、気を紛らす努力を重ねていた。そしてそれは綾乃自身の問題であり、人から感づかれないよう、自分だけで解決しようと考えていた。
しかし、稜から声をかけられたことで、自分の尿意を見透かされた思いになり、綾乃はもう気を紛らわすことができなくなった。
≪どうしよう・・・≫
綾乃は切迫する尿意に、自分が次第にパニックに近い状態になりつつあるのを感じていた。顔色は青くなり、手には脂汗がにじんだ。高速道路の標識を見ていたが、さきほどからパーキングエリアを示すマークは認められなかった。
そんな綾乃の様子を時おり横目で見ながら、稜は自分のことのように心配して車を走らせた。最寄りのインターまでの間パーキングエリアがないことは稜も分かっていた。綾乃の心を刺激しないように黙っているほかない自分が、情けなかった。
≪綾乃、しっかり・・・≫
稜は祈った。
「綾乃、途中で降りて、トイレのあるとこ寄ってあげる、ね」
綾乃は目を伏せたまま2、3度うなずいた。自分の切迫した尿意を完全に彼に見透かされて、彼女は完全にパニックになっていった。
≪ここで漏らしちゃうかも・・・そしたら稜くんに呆れられて、嫌われちゃう≫
車に酔って強い吐き気を催し”ここで吐いちゃうかも”と思ったときのような、強い不安と恐怖が彼女を襲っていた。どこかのコンビニに着いても、無事降りてトイレまでたどり着けないかもしれない、そしたら、もっと大変なことになってしまう、自分はどうしたらいいのか・・・
綾乃は恐怖心を増幅させ、そして尿意を極限まで切迫させていた。
稜がとっさに選んだのは、道沿いに見えたファッションホテルだった。そこならば車を降りたときに万一失敗しても、誰にも見られずに済む配慮からだった。決して疚しい動機ではないことは、綾乃にも十分分かっていた。ガレージに車が止まった。
「綾乃、行くよ」
綾乃はなんとかドアを開け、地面に脚をつけると、パニックで血の気が引いていたせいで、脚も下半身も、ふだんの感覚とは全く違うことに気がついた。それでも稜に促され、取るものも取りあえず車から降りると、綾乃は地に足がつかない感覚で、稜のあとから階段を上がった。
「大丈夫?」
「うん・・・」
よく分からないが、不安や恐怖は少しやわらいでいき、意外と身体は楽になっていく感じがした。この分ならきっと我慢できる・・・、綾乃は淡い期待を持った。
「安心して、僕がついてるから」
彼の言葉が耳に入った。
だが、階段を上りきったとき、綾乃は両脚の筋肉が緩むのとあわせるように、まるで膀胱が勝手に収縮し、括約筋を押し広げるようにして、自分の意思と関係なくおしっこがあふれそうになるのを感じた。
≪安心して、僕がついてるから≫
さっきの彼の言葉が耳に残った。綾乃は立ち止まった。
綾乃は思い出していた。




