時間旅行(ずっと時が止まってくれれば・・・)
あんなに激しく吐いてしまった彩夏のことが、翔には衝撃的だった。森の中、そして道の上にできた、彼女の吐いたあとの大きさを思い出しては、いまの自分たちと社会人生活とのギャップの大きさと、それに対する彼女の心の叫びを重ね合わせた。
コテージへ向かう車の中で、それでも平静を取り繕っている彩夏のスーツ姿が、翔にはまぶしかった。年下の自分はまるで取り残されていきそうな、そんな不安な気持ちがよぎった。そして、彩夏の身体を誰よりも気遣っていたものの、これから違う世界に行こうとする彼女に訪れる厳しい試練に対して、何もしてあげられない自分の無力を感じずにはいられなかった。そして、その厳しい生活は、彩夏の自分に対する気持ちを変えてしまうかもしれない、そんな気さえしていた。
彩夏の身体を気遣い、ふたりで服のままベッドに倒れこむと、翔は彩夏に甘え、彼女の胸に顔をうずめた。彩夏のブラウスからは、ほのかに胃液の匂いがした。
彩夏が吐いたあと、外で休んでいたふたりの身体は思った以上に冷えきっていた。そのとき摂った水分のため、翔は尿意を感じていた。が、翔はその場を離れたくなかった。今離れてしまうと、自分の気持ちが彩夏に受け止められず、ずっと彼女と離ればなれになってしまうような気がした。
彩夏は、次第に翔が身をくねらせるのに気づき、彼に声をかけた。
「翔くん、具合悪いの?」
「・・・」
「言ってみて・・・」
翔はためらった後、彩夏の胸の中で目を閉じて、こうつぶやいた。
「僕・・・おしっこしたい・・・でも今は、彩夏と離れずに、ずっとこうしていたいんだ」
彩夏も、不安だった。就活に苦労し、ようやく得た内定だった。今後待ち受けている厳しい社会人としての日々はもちろん不安だったが、そんな日々にもまれていくうち、自分の心が変わっていき、翔を悲しませることのほうがもっと不安だった。彩夏も翔と同様、昼の食事とさっきの水分のせいでかなり尿意が高まっていた。彩夏が答えた。
「私も・・・おしっこしたい、けど、翔くんとこうしていたい・・・」
「うん、ずっとこうしていよう・・・」
翔は言った。だが、そのうち翔が、身をよじらせて、起き上がりそうな気配を感じると、彩夏は不安になって、翔を抱き寄せた。
≪ずっと時が止まっていてくれればいいのに・・・≫
彩夏は、翔にそう言われているように感じた。そして時間だけがどんどん経過していった。




