スプラッシュについて(全体のまえがき)
《もし、あなたが好きな人の前でおもらししてしまったら・・・》
たとえば、おしっこを我慢できずに、服を着たまま漏らしてしまうこと。それは、子どもの頃には身近な出来事でした。でも、たとえ大人であっても激しい尿意に苛まれ、トイレに行けない条件さえ整えば、誰だって、漏らしてしまうものです。自分だけは大丈夫、と思っていても、ひょっとしたらあなたも今日「おもらし」してしまうかもしれません。
もし、大人になったあなたが、子どものようにおもらししてしまったとしたら、それはきっと衝撃的な事件です。あなたも、それを見ていた人も”信じられない”気持ちで、その状況に立ち尽くすことでしょう。
にもかかわらず、おもらししたあなたは「大丈夫、気にしないで」と声をかけられ、それ以後何事もなかったかのようにその事件は収束すると思います。でもそれは、あなたがしたことが非常に恥ずかしいことなので、それは触れないでいてあげようという、まわりの人の思いやりによるものです。彼らが静かであればあるほど、裏を返せば、それだけ彼らの心に「深い印象」を刻んだともいえるのではないでしょうか。
ただし、その「深い印象」とは、決して悪い印象ではないのかもしれません・・・
今まで、このおもらしという出来事に焦点を当てた恋愛小説は、おそらく無かったと思います。
おしっこは、普通は服を脱いでトイレでするものです。それを服を着たまま、パンツを穿いたまましてしまうのは、みんなの前で「我慢できなかった」という身体的・精神的能力の限界を見せてしまうことと、「下腹部」という「性」を連想する部分から突然水をあふれさせてしまうことから、生理的かつ性的な恥ずかしさが伴います。
そんな恥ずかしい思いはしたくない「恐怖心」、でもおしっこを我慢できない「葛藤」、その先にあるのは、もしおしっこを漏らしてしまったら、その後どうなるのだろうという「未知の扉」。
そして、ついに自分の意に反して「未知の扉」を開けてしまうことは、本人にとっては頭が真っ白になるほどのショックであると同時に、それを目撃したまわりの人にも大きな衝撃が走ります。
その衝撃は、まわりの人に性的に「ドキッとする」気持ちを呼び起こしたり、本人もまわりから見られるこの上ない恥ずかしさを感じながら、我慢からの生理的な解放感とともに、下腹部やおしりといった性的な部分を濡らしていく感覚から、「気持ちよさ」を感じてしまう場合もあります。
これらのことのみに焦点を当てると、性的な満足感を追う「官能小説」のように描かれてしまいがちです。現に「おもらし」をテーマにしたAVなどは数多く出版されています。
しかし、私はこのテーマを純粋に恋愛小説として描きたいと思いました。
なぜなら、恋人(あるいは未来の恋人)がおもらししてしまうことによって、相手は先ほどのような「性的な」衝撃を覚えるほかにも、その人のか弱い側面を発見したり、放っておけなくなったりして、その人のことが急に気になりだしたり、あるいは恥ずかしい失敗をしたその人のことが逆に特別な存在に見え、自分が取り残された感覚すら感じることもあるかもしれないからです。
一方、おもらしする本人も、恋する相手の存在があるからこそ、おしっこを漏らす理由は単純に我慢の限界を超えたからではなく、たとえば、恋の持つ不安、哀しさ、淋しさ、怖さなどは自分が我慢する気力を阻み、相手への甘え、依存心、相手に包まれたい気持ちなどがあれば、その人の前で子どものようにおもらししてしまう衝動に駆られたとしても不思議ではありません。
普通だったら、漏らしてしまうことへの強い恥ずかしさや、大人であるはずの自分、強い自分、社会性のある自分という自意識がその気持ちを否定するはずです。しかし一方で、恋の展開により、幼い自分、か弱い自分、可愛らしい自分への憧憬、郷愁といった潜在意識が芽生えたとすれば、いっそのこと、おしっこを漏らしてしまうことを肯定するかもしれません。つまり、身体は負けていないのに、心が動かされて、恋する人の前でおもらしすることがあると思うのです。
そして、この小説でおもらししてしまう女の子(あるいは男の子)は、我慢の限界という極限状態の中で、あえて「未知の扉」を開くことで、相手が感じてくれるであろう気持ちや、自分が伝えられるであろう気持ちを悟った上で、相手と自分との間の葛藤を解決するために、あるいは相手に心から近づくために、猛烈な恥ずかしさを感じながらも、結果的には満たされた気持ちで「おもらし」をするのです。
そのおもらしには、先に述べたような性的な恥ずかしさや生理的な気持ちよさが伴い、見ている相手にも性的な気持ちを呼び起こします。そして漏らしたあと、濡らした衣服やパンツを脱ぐ(脱がせる)とき、相手と自分にさらにドキッとした衝撃が走ります。その衝撃をきっかけに、恋人たちの繊細な気持ちや心の葛藤が次々と呼び覚まされ、恋が急展開するストーリーが生まれてもきっと不思議ではありません。
その衣服を濡らしたおしっこは、その人の生理的な営みを表しヴェールに包まれているものです。それゆえに、その出来事にしっかり向き合って成就したふたりの仲は、きっと固い絆で結ばれるに違いありません。このように描かれる「おもらし」の情景は、単に我慢の限界を超えてしてしまう「失禁」とは異なり、また当事者が笑われたり蔑まれたり、あるいは深く傷ついたり悲しんだりすることも、きっと無いと思います。
そこで、私はこのような情景を、あたかも水が弾けるような爽やかな意味をこめて「スプラッシュ」と名付けました。
「おもらし」、それは人生で誰もが見聞きし、ほぼ誰もが経験してきた出来事でもあります。もしそこに小さな恋愛の情景があれば、その恋の数だけ素敵なストーリーがあると思っています。
小説「スプラッシュ」では、そういう誰もが経験してきた、
「恥ずかしいけど不思議な気持ち」
によって、恋人たちが素敵になれるストーリーを描きたいと思いました。
《こんなおもらしだったら、してみたい》
大人になってもおもらししてみたい人も、あるいはそうでない人も・・・
小説「スプラッシュ」を読んで、子どもの頃に包まれた陽だまりのような、やさしい気持ちになっていただけたら、とても嬉しいと思っています。




