ユキコとシンスケ
これは一応「南国の魔法」の番外編です。でも本編なしでも読めると思います。
この前の「宮園ユキコ」(全7話)と「松山シンスケ」(全5話)を読んでいる方のほうがおもしろいかもしれません。
社員の人の目が嫌だった。
腫れものを触るような視線だった。
あの日、武田くんは家に来た。
「ふざけるな!」
父が珍しく声を荒げると武田くんを殴りつけた。武田くんの体が倒れ、口から血が流れるのを見た。
「父さん!やめて」
私は武田くんの前に立った。
みじめだった。
父さんが可哀想だった。
「父さん、私から別れを切り出したの。だからお願い別れさせて!」
私は父の激昂で真っ赤になった顔を見ながら言った。
「ユキコ‥!」
武田くんが目を開いて私を見つめたが、私は無視をした。
そうしないと父が可哀想だった。
いい年した娘が婚約破棄されたなんて可哀想だった。
父は私の顔をしばらく見ていたが、振り上げたこぶしを降ろした。
「武田くん、娘に感謝するんだな。私は二度と君に顔を見たくない。わかったな」
「わかっています‥。そのつもりです」
武田くんはそう言いながら立ちあがった。
「ユキコ‥」
「私のことは心配しないで。」
私は武田くんに笑いかけると武田くんの腕を掴んで玄関に連れて行った。
父が荒い足音を立て部屋に戻るのがわかった。
母は何も言わずキッチンへ走った。
「ユキコ‥。本当に今までごめん。何か力になれることがあったら‥」
玄関口で武田くんは父に殴られた頬を真っ赤にはらしながらそう言った。
「大丈夫。大丈夫だから」
私は必死に笑いかけると武田くんに手を振った。
病院で気持ちにけりをつけたつもりだった。
でも婚約破棄のために武田くんが家に来た時、気持ちに蹴りがついていないことがわかった。
上杉さんが憎かった。
嘘をつけなくなった武田くんが憎かった。
上杉さんが辞め、武田くんが辞めた。
父のおかげで公には感じなかったが、会社の人が同情の眼差しで私を見てるのがわかった。
つらかった。
会社をやめたかった。
でもやめてどうするのだろう。
どこにいけるんだろう。
「えっと、宮園さんだっけ?」
駅の桜並木で、緑色の葉がつける桜の木を見上げてるとそんな声が聞こえた。
顔を上げると黒髪の背の高い青年が見えた。
誰?
私が目を細めてみてるとその人は笑いかけた。
「俺だよ。松山シンスケ。シンガポールへ行く飛行機の中で隣だった‥」
ああ、上杉さんの元彼氏か‥
私と同じ、可哀想な人。
でも彼は私と違って明るい表情をしていた。
「松山さん‥。どうしてここへ?」
「出張。うちの会社の取引先、この辺なんだよ。月に一度来なくちゃいけなくて。」
松山さんは少し辛そうに答えると空を見上げた。
ここは会社の近くだった。
彼にとっても嫌な場所なんだろうなと思った。
「宮園さん、今日は約束とかあるの?なかったら俺とご飯でも食べない?」
「うん」
私は松山さんの明るい笑顔につられうなずいた。