【書籍化記念SS】髪を伸ばす理由
「失礼します」
グラディウス様のお部屋を訪ねると、彼は鏡台の前に立って髪を梳いているところだった。
「ああ、エヴァ」
「お忙しいところでしたか?」
「いや。先ほど公務を終えたところだよ。髪を結い直していただけだ」
グラディウス様は手慣れた様子で櫛を扱っている。腰まで流れる黒髪は、いつ見ても美しい。
「私がしましょうか」
と、つい口から零れた。
「ん?」
「……梳いてみても良いですか」
本当は、前々からじっくり触れてみたかった……。ボリュームがあって艶やかで、梳き甲斐がありそうだ。
グラディウス様は、きょとんとしていた。その反応を見ていると、なんだか恥ずかしくなってくる。我ながらおかしなことを言ってしまった。
「……いえ、やっぱりいいです。忘れてください」
「じゃあ、頼もうかな」
私に櫛を手渡すと、グラディウス様は椅子に座って背を向けた。鏡越しに見えた顔は、少し照れているようだ。
「――失礼します」
片手に掬った髪のひと房に、そっと櫛を通してみた。
(……きれい)
しっかりとしていて滑らかな黒髪が、櫛の歯から絹糸のように流れてくる。あまりに艶やかで、見惚れてしまった。
グラディウス様は目を閉じて気持ちよさそうだ。
「そういえば……グラディウス様はどうして長く伸ばしてらっしゃるんですか?」
前々から気になっていたことを、せっかくだから聞いてみた。男性でも長髪の人はいるけれど、ここまでの長さは珍しい。
「ああ。それは――」
グラディウス様は答えかけ、ふいに口をつぐんだ。
「…………なんでだろうな」
「え」
首をかしげて、眉をひそめている。
「うーん」
彼自身も不思議に感じたらしく、そのまま考え込んでしまった。
「自分のことなのに、なんで曖昧なんですか」
「十年以上こうだから、この長さが当然というか」
「それなら、それが答えなんじゃあ」
「……」
しっくりこないようで、口元に手を添えて思案し続けていたけれど。
「ああ」
ふと、思いついたようにグラディウス様が手を打った。
「きっかけは父だ。父が喜んでいたから、だな」
「……?」
あまりにも意外な返答だった。
「前王陛下が?」
息子を長髪にして喜ぶ趣味が? 意味が分からず、今度は私が首をかしげた。
「私の面立ちが母とよく似ていたから。髪まで伸ばすと瓜二つだったらしい」
「あ……」
私は、前に一緒に入らせてもらった『秘密の書斎』を思い出した。そこに飾られていたアリシア妃の肖像画は、たしかにグラディウス様そっくりだった。
グラディウス様が幼子だった頃、姦計に落ちて命を落としたアリシア妃――そんな彼女を、前王陛下は深く愛していたという。
「母は亡き後も罪人扱いだったから、父も表立っては口にしていなかったが。二人でいるとき、よく言っていたよ。『お前は母によく似ている』と笑っていた」
遠い思い出を振り返るように、グラディウス様は目を閉じてそう囁いた。
彼の姿がどこか切なげで――私は胸の奥がぎゅっとなった。
けれど、グラディウス様はすぐに晴れやかな笑みを浮かべた。
「だが、今となってはとくに伸ばす理由もないな。そろそろ短くしてみるのもいいかもしれない」
「えっ」
思わず、声を漏らしてしまった。
「そんな。もったいないです」
「そう?」
「はい。私も、……とても好きなのに」
改めて言うのは恥ずかしいけれど、じっと見つめてそう言った。
するとグラディウス様は、とても嬉しそうに笑った。
「そうだったのか。じゃあ、このままで」
「でも、無理に私に合わせなくても」
「かまわないよ。それに――」
軽く振り返ったグラディウス様が、甘えるように私の肩にもたれてきた。
「君が、これからも梳いてくれるなら」
櫛を握った私の手を取り、自分の頬に寄せている。
「……ずっと梳きます」
「じゃあ、いつまでもこのままでいよう」
グラディウス様が再び前を向いたので、私はその黒髪に櫛を通した。彼は満ち足りたように目を細めていた。
おかげさまで書籍化しました! ありがとうございます。
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書籍用に書き下ろしたシーンでは、エヴァがグラディウスの秘密の書斎でふたりきりで過ごすシーンが盛り込まれています。1万文字ほどの加筆改稿で糖度高めの一作に仕上がりました。
コミカライズも進行中ですので、引き続き『兄王陛下』をお楽しみください^^





