第32話
そして手紙通りの日。
パトリシアとランス殿下は、本当にこちらの読み通りの行動に出たらしい。あまりに予想通りだったので、現場で失笑さえ浮かぶほどだったという……。
つば広の帽子で私に似せた諜報員に向かって、謝罪どころか恨み事を浴びせかけてきたパトリシア。
そして「俺の女になれ」「議会で次の王は俺だと宣言しろ」などと恫喝し、密室で事に及ぼうとしたランス殿下。
そこへ騎士たちが流れ込み、ふたりはきっちり捕縛された。王家管理下の映像記録用魔導具によって、証拠も録画できたそうだ。
王城内の隔離牢に、ふたりは別々に収監されている。
今はグラディウス陛下が、ランス殿下との面会に向かったところだ――。
*** side:グラディウス ***
牢番を従えて、私は監獄塔の螺旋階段を昇っていった。
エヴァを同席させるつもりはない。
ランスの汚らわしい視線に彼女を晒すなど、想像するだけで吐き気がする。
ランスが幽閉されているのは、罪を犯した王族用の隔離牢だ。
逃走不能な障壁に囲まれた無機質な一室――寝台や机など最低限の家具だけ整えた、寒々とした空間だ。
私がその部屋に入ると、ランスは顔色を変えて掴みかかろうとしてきた。もちろん、即座に牢番に取り押さえられていた。
「くそ……よくも俺を嵌めたな!?」
「――どこまでも浅はかな弟だ」
「さっさとここから出せ! は、母上が、黙っていないぞ!」
その物言いに、腹の底から嫌悪感が込み上げてくる。私がぎろりと睨めつけると、ランスは体を強張らせた。
――こいつは、本当に芯がない。
いつも居丈高に振舞っているが、それは劣等感の裏返しだ。
能力の低さを自覚していながら、高める努力は一切しない。母親の権力に縋って生きるだけの、卑怯者――。
「恥を知れ」
蔑みの念を隠すこともなく、私は冷たくランスを見下ろした。
「お前はいつまで、ママに縋って生きるつもりだ?」
ランスの顔が醜く引き攣った。
「ベル=ツェルネの件もずさんだったが、今回はさらにひどい。欲に駆られた低俗な獣め。お前の価値など、父上から継いだ血筋だけだ。それがなければお前など、誰ひとり見向きもしない」
「……っ!!」
「マグダレーナですら、お前を権力の手段としてしか見ていないぞ?」
その言葉が、ランスの胸に深く刺さったのが分かった。
よろめいて、視線が定まらなくなっている。
――この程度で、折れるとは。
こんな脆弱な男が、王位を狙う?
笑わせるな。
「加護の乙女を汚そうとしたお前の蛮行は、すべて魔導具に記録済みだ。これを見れば誰の目にも明らかだ――お前のような卑怯者は、王としてふさわしくないと」
私がそう言うと、ランスは死人のような顔色になった。
ずるり、ずるりと力が抜けてその場に崩れるランスを見下ろし、私は静かに踵を返す。
「お前にエヴァンジュリンの伴侶は務まらない。……惨めな負け犬が」
ふり返らず、私は牢をあとにした。
今回のランスの蛮行は、本来であれば王位争いの勝敗を決するほどのものだった。
だが、今の私には分かっている。……この一件だけでは、まだ決着には至らないことを。
*** side:エヴァンジュリン ***
監獄塔から、グラディウス様が戻ってきた。
「さて、このあとはパトリシア嬢の牢へ行くが――」
そう言いながら、彼は私を見つめた。私が言いたいことを、すでに予想しているらしい。
「私もご一緒してもよろしいですか」
私は、『偽りの妹』との関係に決着をつけなければならない。
「――ああ。おいで」
*
パトリシアが投獄されているのは、王城内の地下牢だ。貴族用とはいえ、薄暗くて湿った空気のまとわりつく、居心地の悪い場所だった。
彼女は牢の奥に縮こまり、背を向けてぐすぐすと泣いていた。
「……パトリシア」
静かに呼びかけると、恨みの籠った視線が返ってきた。
「エヴァンジュリン……私を嵌めたのね?」
「よく言うわ。先に嵌めようとしたのは、あなたでしょ」
パトリシアは唇を嚙みしめて、悔し涙をこぼしていた。
「私が憎い? パトリシア」
自分の立場は理解できているらしく、彼女は口をつぐんでいた。でも、やがて、「……憎いわ」と気持ちをあふれさせた。
「あんたが私のすべてを奪ったの。……ランスさまだけじゃあない。お父さまもお母様も、お兄様も! 他人のあんたに気を使って、わたしのことなんか見てもくれない。ずるい女……」
「いつまで被害者ぶっているの?」
冷たく言うと、パトリシアがびくりと身を強張らせた。
「私だって、好きでヴェルトワーズ家の子どもになった訳じゃない。――でも、そういう運命だったんだもの。受け入れて、努力したの」
私は左手の祝印をかざして、淡々と言った。
「私が憎いなら、さっさと私のことなんて忘れなさい。これからは、ヴェルトワーズ家の長女はあなたよ? いろいろ大変だろうけど、自分の人生に責任を持ちなさい。……誰も代わってくれないんだから」
「……う、うぅ」
パトリシアにどこまで響いたかは分からない。
でも、言うべきことは言ったつもりだ。
「じゃあ、私は行くから。せいぜい足掻きなさいよ。……さようなら」
そう言って、私はグラディウス様と一緒に地下牢をあとにした――。
地上への階段を上りながら、私はグラディウス様に語り掛けた。
「……パトリシアの処遇は、修道院送りだと聞いています」
「ああ」
あの子が送られるのは、国内でとくに規律の厳しい修道院だそうだ。
「お願いがあります」
「言ってごらん?」
「もしも修道院生活の中で、もしパトリシアが本当に反省したら――いつか普通の令嬢として、社交界に戻れる余地を残してくださいませんか?」
グラディウス様が、目を細めて微笑している。
「それにヴェルトワーズ侯爵家には、今回の罪を問わないでいただきたいです」
……あの家の人々は、私を受け入れようとしてくれていた。私なりに、感謝している。
「優しい子だね、エヴァ」
私は、はっきりと首を振った。
「いいえ。……偽善です」
「それでもいい」
そっと私の手を握り、グラディウス様は階段の途中で立ち止まった。
「君が王妃になる日が、楽しみだ。この国は、必ず良い国になる」
嬉しいはずの言葉なのに――なぜか、胸の奥に違和感が芽生えた。
その違和感を顔には出さず、私は淡く微笑みかける。
「――グラディウス様。これで、ようやく王位争いに決着が付きますよね?」
不祥事の証拠を議会に提示すれば、ランス殿下は失脚するはず。議会で保留されていた次期王位は、引き続きグラディウス様という結論になるに違いない。
……なのに、グラディウス様は頷いてくれなかった。
「すまない、エヴァ。残念ながらこの一件だけでは、私の王位は約束されなくなってしまった」
「……?」
「新たにひとつ、面倒な仕事ができてしまってね」
どういうことだろう。
面倒な仕事って……?
「先日、法務委員会にとある資料が提出された。……これから少々揉めそうだ」
複雑そうな顔をして、グラディウス様は言葉を選んでいる。いつもの余裕のある笑みとは違う――張り詰めた弦のような表情だ。
「だが、私は負けない。ここさえ乗り切れば次の王、つまり君の婚約者が決まる」
戦を前にした騎士のような目を、グラディウス様はしている。その目は気高くて美しい……でもなぜか、私は胸騒ぎを覚えた。
「私が勝ったら、褒美がほしい」
「褒美、ですか?」
「ああ。君と一緒にチェスがしたいんだ」
「そんなこと、褒美になりますか?」
「なるとも。最高の褒美だ。朝から晩まで、ずっと盤面を囲んでいよう」
本当は、私も再戦したかった。
グラディウス様の提案は、とても嬉しい。けれど彼の張り詰めた面持ちを前にして、素直に喜ぶことはできなかった。
「……わかりました。ぜひ、よろしくお願いします」
「ありがとう。エヴァ」
その声はどこか切なくて。
私は、頷くことしかできなかった。
――このときの私は、知らなかったのだ。
ランス殿下の不祥事を帳消しにするほどの切り札を、前王妃派が用意していたことを。





