第31話《side:ランス/エヴァンジュリン》
――そして、手紙に指定した日。
パトリシアは、命じられるままに王都の会員制サロンの個室で待っていた。王侯貴族が裏取引や私的な商談で使う、ひっそりとした佇まいの場所だ。
「ランスさま……!」
扉を開けた途端、パトリシアは泣きはらした目で縋りついてきた。
「もう! どうして全然連絡してくれなかったの!? 何度王城に行っても取り次いでもらえないし! わたし、わたし……」
「――ちっ。うるさい女だ」
うんざりとした声ではき捨てると、パトリシアはびくりと身をこわばらせた。愕然とするパトリシアを振り払い、指を突き付けて命じる。
「お前に頼みたいのは一つだけだ! エヴァンジュリンを呼び出せ。うまいこと言って、情に訴えてここに連れてこい。そうしたら、俺があの女を落とす!」
「……え?」
どうやら想定外だったらしい。パトリシアは、みるみるうちに青ざめていった。
「待って……なんで? だってランスさまは、お姉さまが嫌いなんでしょ……? わたしのほうが可愛いって、あんなに言ってくれたのに……」
「事情が変わったんだ」
「……っ」
瞳からこぼれおちる一粒の涙――だがこの女の涙なんてどうでもいい。
「エヴァンジュリンさえ手に入れれば、俺が次の王になれる。力尽くで俺の物にしてしまえば、あいつだって兄上の女になりたいとは言えなくなる。議会で婚約破棄を撤回させれば、こっちのものだ」
結局は、男と女の問題だ。
この前は油断してやり込められたが、女一人くらい準備次第でどうとでもなる。
「そんな……いやよ! わたし、そんなの協力しない!」
「じゃあ修道院に行け」
「……っ」
息を詰まらせ、肩を震わせるパトリシア。その惨めな姿を眺めているうちに、俺は少しばかり気分が良くなった。
「――ふん。そこまで俺の愛がほしいなら、こうしてやろう。もしお前が首尾よくエヴァンジュリンを呼び出し、俺が王になれたら。お前を側妃にしてやる」
「側妃……」
パトリシアの瞳には、いろいろな感情が揺れていた。屈辱。期待。依存心。長く沈黙した末に、ようやくパトリシアは頷いた。
「……わかったわ。お姉様をおびき出せばいいのね?」
*** side:エヴァンジュリン ***
クララ元王女とターナー公爵の騒ぎが収まって、1週間が過ぎた頃。私のもとに、パトリシアから手紙が届いた。
『お姉さま、今まで本当にごめんなさい。
わたしが間違えていたわ……これまでのこと、直接会って謝りたいの。
×月×日の午後1時、王都のサロン・ダスクの409号室で待っています。
二人きりでお話したいから、絶対に一人で来てね
パトリシア』
私は今、その手紙をグラディウス様の執務室で眺めている。
応接ソファで彼と並んで、熱のない視線を文面に落としていた。
「……という内容なのですけれど」
「見え透いた罠だな」
「ええ。罠ですね」
はぁ――……と陛下はうんざりした様子で、額にかかる髪を掻き上げた。
「ランスの仕業だな。まったく、あの愚か者が」
どうせ泣きついてきたパトリシアを、都合よくランス殿下が利用したのだろう。パトリシアは反省するような子じゃないし、むしろ自分が被害者だと思っているはずだもの――私に人生を無茶苦茶にされた、って。
殿下は……私を手籠めにでもするつもりなのかしら。軽蔑を通り越して、ぞー……っと背筋に怖気が走った。
(でも、この『罠』はランス殿下を失脚させるチャンスになるかもしれないわ)
わざと罠にはまったフリをして、不祥事の記録を保存すればいい。これだけの不祥事、議会に提出すればさすがに『国王として不適格』という決定的な証拠になるはずだ。
……などと思っていた、そのとき。
「あのクズを、さっさと潰しておくべきだった」
地を這うような低い声……。
珍しく悪感情を吹き上がらせたグラディウス様の声に、思わずぞくりとしてしまった。
(す、すごく怒っているのね……?)
端正な顔立ちに、悪魔めいた仄暗い影が落ち、背後の空気が歪んで見える……。
「これまで私は、ランスに手加減しすぎていた。君に害を為す気なら、もう容赦はしない」
この人がこんなに怒るのは、初めて見るわ……。
「でも、グラディウス様。これは千載一遇のチャンスです」
敢えて明るい声で私が言うと、陛下はこちらをふり向いた。
「不祥事を起こさせて、記録を議会に提出しましょう。私が囮になって、呼び出しに応じます。ですので、騎士を数名お貸しください」
これでグラディウス様の王位が盤石になるなら、お安い御用だと思った。良い作戦だと思ったのだけれど――。
「ダメだ」
驚くくらい鋭い声音で、却下されてしまった。
「君をそんな危険な目には合わせられない」
「いえ、十分な人数を配備していただければ――」
「そう言う問題じゃない」
陛下は私の手を包み、ぎゅっと強く握った。
温かさと。決して離すまいという強い意思が伝わってくる。
「作戦そのものには賛成するが、君は絶対に行かせない。諜報部に女性がいる。変装させれば、君に見えるだろう」
陛下はそう言うと文官を呼び、次々と指示を飛ばし始めた。
騎士の配置、記録用魔導具の手配、連携する部署への極秘通達……いつもながら、あざやかな手腕に見とれてしまう。
(…………私。なんだか、変な気持ち)
いつの間にか、心の奥がふわふわしていた。グラディウス様が私のために各所に手を回してくれている。……なんだか私、嬉しいみたい。
――『君が欲しくてたまらないから』。
あの夜の言葉が不意に蘇って、ますます頬が熱くなる。
あれからずっとバタバタしていて、あの話題を口にすることはなかった。グラディウス様の気持ちも、聞けていないまま。
それに私は、いまだに自分の気持ちがよく分からない。
ランス殿下の件が片付いたら、きっと私たちは婚約者になる。
……少しずつ、心に向き合っていけたらいいなと思った。





