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第3話

「何を言っているんですか、兄上! ご乱心しましたか!?」

公式な場では兄上ではなく国王陛下と呼ぶべきところを、ランス殿下はすっかり取り乱していた。


陛下は紫水晶の瞳をランス殿下に向け、はっきりとこう言った。

「乱心はお前のほうだ。エヴァンジュリン嬢がこの国の王妃となるのは国是。娶らぬならば、王位を捨てるに等しい――お前には幾度も通達されていたはずだ」


「はい?」

「…………まさかとは思うが。理解していなかったのか?」

「???」


不可解そうに首をひねるランス殿下に、グラディウス陛下はまばたきを一つ返した。公式の場ゆえに表情こそ揺るがなかったけれど、その視線には弟への軽蔑と失望が混じっている。


「エヴァンジュリン嬢。そなたの祝印を示してやれ」

「……よろしいのですか、陛下」

「構わない」

陛下の声は、最上級のワインのようにしなやかだ。

私は陛下に礼をしてから、左手を掲げて呼吸を整えた。


「はっ。祝印が何だというんだ。我が国の貴族の女なら、誰だって描いているじゃないか!」

――本当に、うるさい人。


私は、小さく囁いた。

「……『照らせ』」

その瞬間。

私の祝印から純白の光が溢れ出した。

舞踏会の煌びやかさとはまったく異質の、新雪のように清廉な輝き――それが瞬く間に大広間全体を満たし、やがて音もなく消えていった。


ぽとり。と誰かが扇を落とす音。ごくり。と誰かが息を呑んだ音。

光に洗われた直後の緊迫に、微かな音さえ響き渡るかのようだった。


「……な、なんだ。今の眩しい光は」

ランス殿下が、声を裏返らせる。

「エヴァンジュリン。今のは何の魔導具だ? なんのつもりで急に――」

「魔導具ではありません。これは女神の光です」

「は?」

「私の祝印は化粧で描いていた物ではなく、生まれながらの『女神の加護』だと言っているのです」


私の声を継ぐように、陛下が宣言した。

「エヴァンジュリン嬢は女神の加護を宿す者。真なる祝印を持って生まれた『加護の乙女』なのだ!」


――大広間の空気が一気に震えた。

ただのざわめきではない。畏怖と喜びがない交ぜになった、驚きの表情をみんなが浮かべている。


「か、加護の乙女……!?」

「数百年に一度生まれるという……伝承の、女神アルカナの御遣いが!?」

列席者たちは私を見つめ、一人また一人膝をついていく。

その様子を、私はどこか現実味のない気分で見つめていた。


「加護の乙女が王妃となるのは絶対の掟だ。女神の祝福は、ログルネーテ王家を介して大陸全土に降り注ぐ――知らぬ者などいまい」

陛下はさらりと述べたけれど、その意味は重い。宗教も外交も、国の治安も。あらゆるものに直結する、重大な事実だ。


「我が国ログルネーテは、最初の王と女神アルカナの契りによって始まった。女神は王に祝福をもたらし、王家が民と周辺諸国にそれを広げた。ゆえに祝印を宿す『加護の乙女』は、大陸全土の安寧の源だ。現れれば、必ず王妃とならねばならぬ。これが二千年続く絶対の掟である」


――それが私の正体。

だから私は、愛人の子なんかじゃない。

そもそも本当の親が誰なのか、私自身も知らないんだから。


左手に祝印を持って生まれた赤ん坊だった私は、出生直後に教皇庁に届けられたと聞いている。そして次期王妃という宿命を背負わされ、4歳からはヴェルトワーズ侯爵家の『長女』として育てられた。


「戒律に従い、エヴァンジュリン嬢の事実は厳重に秘匿されてきた。そして20歳を迎える今日、世間に公表することになっていた」


「そ、そんな重大なこと、せめて俺には知らせるべきでは!?」

ランス殿下が声を裏返らせると、陛下は冷ややかに告げた。

「知らせていただろう。何年も前から」

「――は?」


「彼女が加護持ちであることも、今日の式典で開示することも。神聖古語で綴られた、教皇からの極秘文書を読んだはずだ」


神聖古語は王家と教皇の間だけで使用される古代からの契約文字だ。


「文書!? ……あっ」

ランス殿下ったら、急に青ざめてしまったわ。

「まさか……あれが……」

なにやら、思い当たるふしがあるご様子ですね。


「お前はそれに目を通し、承認のサインを提出していた。にもかかわらず婚約破棄か。王冠を捨てて愛に生きるとは、なかなかの覚悟だ」

「よ、読んでいませんでした……」

「世迷言を」

「本当です! 実は、俺……神聖古語が読めないんです!!」


……えっ。

字が読めないの!? 

随分ないがしろにしてくれると思ったけれど……まさか本当に、加護持ちと知らなかったんですか?

何もできない人だとは思っていたけれど、想像の斜め上でしたね……。


「話にならん」

「発言を撤回しますっ! やはり、エヴァンジュリンは俺の妃に――」

「ちょっ……ちょっと待って。ひどいわ、ランスさま!」

「うるさい! お前は側妃でいいだろう!?」

「そんな! いやよ、わたしが一番じゃなきゃいやなの!!」


この人たち、国の威信をどこまで落とす気なのかしら……。


グラディウス陛下は、冷ややかな態度で口を開いた。

「撤回は認めない。女神アルカナへの愚弄は、女神崇拝の諸国に対する愚弄でもある。私は来年退位し、お前に王位を譲る予定であったが――事情が変わったな」

そして静かに息をつくと、大広間全体に響き渡るほど大きな声で宣言した。


「退位は取りやめだ! エヴァンジュリン嬢は、私が娶る」


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