第21話
お茶会の席を立った私は、政務宮へと戻ろうとしていた。離宮と政務宮をつなぐ回廊沿いには、小さな庭園が点在している。石畳の小道は林の合間を縫うように続き、日中でもほとんど往来がない。
石畳を進む足は、自分でも驚くくらい早足になっている。マグダレーナ様の前では堂々と振る舞っていたけれど、本当はすごく不快だった。
ちりちりと、焼けつくような熱感が胸に残っている。陛下を侮辱する言葉の数々……本当に許せない。
(……許せない?)
ふと、私は足を止めていた。
息が浅くなっていたことに気付いて、私らしくないと思った。
一体いつから、私はこんなふうに心を乱すようになったの? 今までは、誰に何を言われても平気だったのに。
ランス殿下やパトリシアに理不尽なことを言われても、雑音にしか聞こえなかった。表情を動かしたことも、ほとんどなかったのに。
今の私は、全然私らしくない。
自分の変化に戸惑っていた、ちょうどそのとき――。
「エヴァンジュリン!」
石畳の曲がり角から、居丈高な声が響いた。
……ランス殿下が、姿を現した。
「殿下……」
この人を見るのは、数か月ぶりだ。
もう、一生会わなくていいのに。
私は静かに一礼をして、殿下の脇を通り抜けようとした。しかし、手首を掴まれてしまった。
「おい、待て!」
……触らないで。
「お放しください。いきなり腕を取るなんて、恥ずべきことだと思いませんか?」
抑揚を欠いた声で告げ、静かにその手を振りほどいた。
最低限の礼儀として、用向きだけは尋ねることにする。
「ご無沙汰しております、ランス殿下。お目にかかるのは、《《あの》》舞踏会以来ですね。……ところで、私に何か御用でしょうか」
あまりにそっけない態度だったからか、ランス殿下は露骨に顔をしかめている。
「……お前に話がある」
「でしたら、グラディウス陛下を通してご連絡くださいませ」
「なんだその態度は! 俺はお前の婚約――」
「婚約者ではありません」
即答すると、ランス殿下の瞳が揺れた。
「あなたと婚約していたのは過去のことです。現在、私に婚約者はおりません」
「……俺にチャンスをくれ」
私は冷たい顔のまま、微かに首をかしげてみせた。
「俺だって努力しているんだ! ……今、ベル=ツェルネ王国から使者がきているだろう? あれは俺の功績だ」
(いきなり自分語りですか?)
聞いてもいないのに、殿下はペラペラ話続けている。
「ずっと疎遠だったベル=ツェルネ王国との友好関係を、俺が進展させたんだ! まだ商談中だが、もうじき上手くいく。俺の評価も上がるし、王にふさわしいとみんなが言うはずだ。だからエヴァンジュリン、……今からでも遅くない。俺とやり直そう」
「お話になりませんわ」
そっけなく言い放った。
「少しはお兄様を見習ったらいかがです? あのお方は、自身の実績を決して鼻にかけません」
「……っ!」
「それに『商談中』とおっしゃいましたが、進行中の外交事案を口外するなど論外です。では、失礼――」
「貴様っ……!!」
ランス殿下の顔が、瞬時の怒りに赤く染まった。
「ごちゃごちゃ言わずに俺の女に戻れ! 命令だ!!」
石畳の上で、殿下はいきなり距離を詰めてきた。追いつめられて木の幹に両手を突かれ、行く手を遮られてしまう。
「――従わないなら、力づくで俺のものにしてやる!」
どうやら殿下は本気らしい。目が血走って、呼吸が荒くなっている……このままだと、本当に何をしでかすか分からない。
ランス殿下の暴力的な態度には、さすがに私も驚いていた。
瞬きするのも忘れていたけれど……。
「……―――は?」
と、次の瞬間、不快感が噴き出してしまった。
「ランス殿下。どうしてあなたは、自分の優位を信じて疑わないのです?」
こんな人、私はちっとも怖くない。
「なっ……」
「貴族学院時代の馬術大会と剣術大会。どちらも私のほうが優れていました。身体的技能の優劣は、明らかだとは思いませんか?」
ランス殿下がたじろいだ、その瞬間。
私は体を捻って殿下の片腕を払いのけた。そのままの勢いで殿下の脇をすり抜けると、身を翻して木の幹に両手をつき、ランス殿下を追い詰める。
今や殿下と私の体の位置は、完全に逆転していた。
逃げ場を絶たれたのは、私ではなく殿下のほうだ。
「私、今まで色々なことをあなたに譲ってきたんです。『俺より目立つな』と命じられ、従ってきたつもりでした。次期国王の妃として、お飾りの駒として生きる覚悟だったんです。……でも今はもう、状況が違うので」
ランス殿下が息を呑み、喉仏がごくりと動くのが見えた。
「それでは、ごきげんよう」
くるりと踵を返し、政務宮への道を急ぐ。
「――ま、待てっ……エヴァンジュリン!」
まだ追ってくるの? 本当にしつこい人。
早足のまま、庭園の前を通り過ぎようとした。ここを過ぎればもうすぐ政務宮だ。
――と、そのとき。
(……陛下?)
庭園の花々の間に、グラディウス陛下の姿があった。
陛下ひとりではない。
見知らぬ女性と、二人きりだ。
(あの女性は……?)
尋ねてもいないのに、追いついてきたランス殿下が私の隣でこう告げた。
「あれは、クララ元王女だ」
……知らない名前だった。
「クララ元王女は、ベル=ツェルネ王国から来た使者なんだ。昔は、兄上の婚約者だった」
「…………」
私はその場で足を止め、その光景を静かに観察していた。





