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第17話

チェスの夜から数週間。季節は春から初夏へと移り変わっていく。

あの日以来、陛下はお忍びの外出をしていない。最近は他国の使節を迎える準備が忙しく、休む間もないようだ。


陛下との距離感は、相変わらず掴みづらい。

執務の合間に向けられる笑みは穏やかで優しいけれど、こちらに踏み込んでくる様子はない。


そんなある日――。

私のもとに、いきなり()()()()()が届いた。


「王太后マグダレーナ様より、エヴァンジュリン様へお茶会のお誘いでございます」

内廷府長官のナサニエル・ガルシア公爵が差し出してきた、お茶会の招待状。今まで誘われたことなんて一度もなかったのに、いきなりのお呼び出しだった。


「マグダレーナ様は、エヴァンジュリン様にお目に掛かれることを心よりお望みです」


優美に微笑するガルシア公爵は、四十歳前後の美丈夫だ。陽光を思わせる濃い金髪に、蠱惑的な紫の瞳――その瞳の色は王家の特徴ではあるけれど、王家の近縁にあたるガルシア公爵家も紫の瞳が多いのは有名な話だ。


「ごく親しい貴婦人のみを招いた小さなお茶会ですので。どうか気負わず、前向きにご検討くださいませ」


(……うわぁ。絶対行きたくない)

という心の声はもちろん完全に封印しておいた。


「光栄ですわ、ガルシア卿」

と完璧な淑女の笑みを張り付けて、私はそれを受け取った。


公爵の紫の瞳が、スッと笑みの形に細まった――けれどもその視線は私の顔ではなく、左手の祝印に吸い寄せられていたように思う。

「それでは、これで失礼いたします」

ガルシア公爵が退室してから、招待状の封を切る。


――『来る6月1日、離宮にて茶会を催します。日頃のお疲れを癒されますよう、どうぞお気軽にお越しください』


(……お気軽に、って)

マグダレーナ様が言うと、この世で一番重たい言葉に聞こえる。

今まで一度も誘ってこなかったのに、加護の乙女と分かった途端に、この扱い?

なんて浅ましいのかしら。……とはいえ、辞退すれば非礼に当たる。


――「ぜひ、前向きにご検討を」

そう言ったときのガルシア公爵は、拒否などあり得ないという口ぶりだった。

行きたくなくても、行かなければならない。

試されるのは私個人ではなく、『加護の乙女』としての在り方なのだから。


「……陛下にも、お伝えしておかないと」

一つため息をついてから、陛下の執務室に向かった。


   *


陛下の執務室を訪ねたけれど、あまりに忙しそうだったのでタイミングを間違えたと思った。文官たちが慌ただしく出入りしていて、机の上には大量の外交文書が折り重なっている。

指示を出す陛下もとても忙しそうだ。


使節が来るのは、海の向こうのベル=ツェルネ王国。

魔導具の動力源となる魔晶石の一大産地で、今回の交渉は国益に直結する重要案件だ。

遠方の国との交渉だけに、三宰相や文官たちも総出で調整に当たっている。実務経験の浅い私は、今回は表立って関わる場面ではない。


(……あとで出直そうかしら)

お茶会のことなんかで、陛下を患わせたくないし。そう思って退室しようとしたのだけれど。


「構わないよ、エヴァ。どうしたんだ?」

陛下は作業の手を止めて、私を引き留めた。


(……今日も『エヴァ』なのね。あの日からずっとそう)

呼ばれるたびに、胸が少しざわついてしまう。しかし平静を装って、私は陛下にお茶会のことを伝えた。


私が差し出した招待状に視線を落とし、陛下は微かに眉を顰めた。

「ベル=ツェルネからの使節が来るのと同日か。……なにやら嫌な臭いがするな」

しばし沈黙してから、まっすぐに私を見つめる。


「無理をして行くことはない。エヴァ、君はどうしたいんだ?」

陛下が私に、逃げ道を残してくれているのが分かった。――だからこそ。私は、その道を選ばないと決めている。


「お招きに応じるつもりです。王太后様からの正式な招待ですから」

私は未来の王妃だから、王太后との接触を避けて通れる立場ではない。

個人的な感情で逃げ出すなんて、もってのほかだ。


「そうか――」

陛下は、引き留める言葉を探していたようにも見える。でも、喉から出かかっていた言葉を呑み込むように口を閉ざした。


「……君の決断を尊重するよ。だが、その上での助言だけはさせてくれ」

そう言うと、陛下は執務室にいた宰相や文官たちに視線で合図を送った。彼らは察した様子で作業を切り上げ、何も問わずに退室していく。


――ぱたん。と扉が閉まると、陛下は声を落とした。


「義母上がわざわざ君を呼び出すとなると、話題はだいたい予想が付く。君を牽制して王太后(じぶん)の優位を示そうとするか。あるいは――妾妃アリシアの罪を理由に、私を貶めようとするか」


――妾妃アリシア。

グラディウス陛下の母君の名だ。


陛下の美貌に射した暗い影から、私は目を反らせなくなっていた。

「エヴァ。君は、私の出自をどの程度知っている?」

「おそれながら……母君のご実家が断絶なさったこと以外には、何も」


妾妃アリシアが何らかの罪を犯し、その責を問われて生家が取り潰されたと聞いている。でもそれは陛下が生まれた直後のこと――私が生まれるよりも、ずっと前だ。


「私の口から話しておきたい。……私の母の、罪について」


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