第15話
「チェックメイト」
私が静かにそう告げたのは、対局を始めて1時間ほど経った頃だった。
陛下が、目を丸くして盤面を見ている。
「……おや」
その顔を見た瞬間、胸の奥が熱くなった。
「…………やった……!」
思わず、両手を叩いて喜んでいた。
指先が震える。
どうしよう。勝てた……すごく嬉しい――!
ふと、陛下の姿が目に入った。
先ほどまでの涼しい顔はどこへやら。なぜか頬を赤くして、ぽかんとしたまま私を見ている……。
「どうしたんですか?」
「……あっ。――いや」
陛下も我に返ったらしく、口元を右手で覆って視線を反らした。……なんです、その反応は?
「反則だな、と思っただけだよ」
「あら。してませんわ、反則なんて」
「いや。そう言う意味じゃない。いい顔だと……失敬、忘れてくれ」
「?」
陛下の挙動が、ちょっと変。
首をかしげていた私は、(もしや……)と思って表情を硬くした。
「急にどうしたんだ、エヴァ」
「もしかして。わざと手加減して私に勝ちを譲ったんじゃあ……」
「まさか!」
陛下はおかしそうに笑っていた。
「そんな侮辱はするものか。本気だったよ。――だから、とても驚いた」
まっすぐな言葉を聞いて、また頬が緩んでしまった。
「すごいな、君は。たった1時間でこんなに強くなるなんて」
盤上の駒を片付けながら、陛下は驚きを噛みしめるような口ぶりだった。
「ちょうどいい。もうじき次のトーナメントが始まるから、君も参加してみては?」
「……対戦ですか? いえ、いくらなんでもそこまでは……」
すると陛下は、ちょっといじわるそうに目を細める。
「負けるのが怖い?」
……むっ。
「あなたは私の度胸を知らないようですね。いいですよ、やってみます」
「良いね。その意気だ」
いけない。また、口車に乗せられちゃった。
陛下は店員を呼んで、私のトーナメント参加を申し込んでいる。……この人、頭の中でもチェスをしているの? 退路を塞ぐのがうますぎる。
(どこまで勝てるか分からないけれど。――やってやろうじゃない)
それに、実はまだまだチェスをしたい気分でもある。自分でするのが、こんなに面白いなんて知らなかった。
覚悟を決めた私はトーナメントに加わり、そして――。
「おいおい、すげぇぞ! 旦那の嫁さん!」
「おお……、また勝った!!」
「指し方に迷いがねぇな!」
みんなの歓声が、遠くのさざ波のように小さく感じた。
神経を研ぎ澄まし、盤だけに集中する。
相手の癖を見る。
小さなチャンスを逃さない。
数手先を見て、静かに罠を置く。
盤の向こうに誰が座っているのかさえ曖昧で。
呼吸をするように駒を運び続け、そして――。
「今日の優勝は、ディーの旦那の嫁さんだ!!」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
気付けば、周囲から割れんばかりの拍手と歓声が湧き上がっている。
「おめでとう、エヴァ」
「え?」
私、優勝したの?
……本当に?
***
ふたりで王城に戻ったのは、日付が変わってからのこと。
陛下に導かれて、裏手の小門からひっそりと中に入った。夜警の衛兵は私たちの姿を見ると、軽く一礼して中に入れてくれた。すっかり、勝手知ったる様子だ。
陛下と並んで、静まり返った宮廷を歩く。
「……すみません、羽目を外し過ぎました」
「ふふ。たまには息抜きも必要さ。明日も早いが、大丈夫か? つらければ、ゆっくり休んでも――」
「問題ありません」
遊び歩いて翌朝のお勤めを休むなんて、ありえないもの。しかもこの様子だと、陛下はいつも通り執務に臨むだろうし。
陛下は、私の部屋の前まで送ってくれた。
扉を前にして、私は――
「あの。……今日は申し訳ありませんでした」
私は、陛下に向かって深く頭を下げていた。
「後をつけるなんて、大変な非礼でした。申し訳ありません」
あれこれ理屈をつけながら、私は陛下を疑っていた。お忍びでどこを遊び歩いているのか、勝手に悪い想像をして――。こんな自分が、今ではとても恥ずかしい。
けれど。
「そんなことか」
陛下から返ってきたのは、叱責ではなくて。ぽん、と頭を撫でる優しい手だった。
「君のおかげで、本当に楽しい夜だった。また一緒に出掛けよう。チェスも、ぜひまた一戦交えたい」
どきどきと、心臓の音がとてもうるさい。
慈しむような眼差しから、私は目を反らせなくなっていた。
陛下は私の左手をすくい取り、手袋越しに甲に優しくキスを落とした。
まっすぐに。私を見ている。
紫の瞳はとても澄んでいて、けれども熱を孕んで見えた。
「おやすみ。……私の可愛い奥さん」
ふっと微笑んで、陛下は踵を返した。
私も部屋に戻り、パタンと扉を閉める。
変装を解くと、ふらふらとベッドに倒れ込んだ。
「夜遊び、しちゃった」
どっと疲れが出てきたけれど、まだ全身がふわふわしている。
(……楽しかった)
夢の中にいたみたいな、ふしぎな一日。陛下の色々な顔を見てしまった。
(宮中の噂は、やっぱり全部ウソだったのね)
陛下は遊び心がある人だけれど、『遊び人』なんかじゃない。
心の底から、確信できた。
それに、チェスも楽しかったな。
色々な人と対局したけれど、陛下とのチェスが一番わくわくした。流れるように軽やかで、心地よい駒の運び。まるで盤上でダンスを踊っているみたい。
(また、付き合ってくれるのかしら)
――『おやすみ。……私の可愛い奥さん』
別れ際の言葉が耳に蘇り、かっと体が熱くなる。でも、ふと左手が視界に入ったその瞬間――。
「……」
高揚感は、シャボン玉が弾けるように消えてしまった。
「……バカね。何を浮かれているの、私は」
左手の手袋を外して、甲に刻まれた祝印をじっと見つめる。
陛下がキスをした左手。
それは、祝印の宿る場所。
あのキスは、私個人に向けられたものなんかじゃなくて。きっと女神への挨拶だ。
「……『照らせ』」
私がそうつぶやくと、祝印がほの白く光って、すぐに消えた。
心が乱れそうなとき。冷静になりたいとき。
私はこうやって、ひとりになって魔法の光を灯す――女神の光は、私の心の拠り所だから。
陛下が私をかまうのは、私が『加護の乙女』だから。そう考えるのが、きっと正しい。胸のざわつきもそれで収まる。
長く息を吐き出して、ベッドの上で身を丸くした。
(もう、寝なきゃ。明日も大事な仕事なんだから)
遊び疲れているはずなのに、なぜかなかなか寝付けなかった。
明日からも20時に投稿します。
いつもご覧いただきありがとうございます。
おかげさまで良い2周年を迎えることができました。
٩(๑>∀<๑)۶
3周年めざしてこれからもがんばります。
今年も良いお知らせがいくつかスタンバイしておりますので、引き続きお楽しみいただけましたら幸いです。





