第13話
私とザクセン卿が酔っ払いに絡まれていた、そのとき。
「おや。君も来ていたのか」
陛下の声を聞いた瞬間、心臓がひくりと跳ねた。
こちらに近づいてくる彼と、視線を合わせるのが気まずい。
(……怒られる、わよね)
陛下の私生活を勘ぐって、勝手に後をつけてきたんだもの。不快に思われても当然よね……。信頼関係を損ねたら、今後の執務にも――……。
うつむき気味に身構えていると陛下が目の前までやってきて、とても自然な仕草で腕を伸ばしてきた。
(……えっ!?)
ぎゅっと抱き寄せられて、気づけば私の頭の上に陛下の頬が乗っかっている。
両腕でしっかり抱きしめられているこの状況は何!?
「困ったね。今日はひとりで飲むつもりだったんだが、寂しがりの妻が追いかけてきてしまったようだ」
という楽しげな声が、頭の上から降ってきた。
(ちょっ……寂しがりの妻って!)
酔っ払いが目を丸くして、陛下と私を交互に見比べている。
「へぇ! そのお嬢ちゃんは、旦那の嫁さんだったのかい!?」
周囲の客たちも陛下の顔見知りだったらしい。次々と声が飛んできた。
「ディーの旦那、結婚してたのか!」
「おいおい、すげぇ美人じゃねえか。旦那も隅に置ねぇな!」
野次というより、親しみの滲む声だった。あっという間に、彼らは輪になって私たちを包み込んでいる。
「本当にきれいな嫁さんだなぁ! どう見てもお貴族様だぜ」
胸の奥が、ひやりとした。
けれど陛下はまったく動じず、むしろ誇らしげに笑っている。
「美しいだろう? それにとっても愛らしいんだ。高嶺の花でね、ずっと前から焦がれていたが、手の届かない女性だった。諦めきれずに口説き続けて――やっと、私のものになってくれた」
「「「おおぉおおぉ……!!!」」」
(ちょっと陛下! なんなんですか、その作り話……!!)
口をはくはくしている私をよそに、陛下はふとザクセン卿を見やった。
「……ところで、ザック」
朗らかな表情から一転。笑っているのに、目だけが全然笑っていない。
「君はちゃっかり、私の妻とデートを楽しんでいた訳だ」
「ひぁ!?」
ザクセン卿が固まった。陛下の表情はどう見ても、妻にちょっかいを出された男のそれだ。
「妻の隣を歩く権利を、君に許した覚えはないが?」
「ご、誤解ですよ。僕はただ、忠義の使用人としてですね? 旦那様と奥様がより仲睦まじくなるようにと……」
「だからと言って、無断で連れ出されては困る」
そして空気が冷えるような低い声で陛下は言った。
「二か月の減給だ」
「ぼ、暴君……!」
「冗談だ」
「ほっ」
「三ヶ月にしよう」
「えぇ!?」
周囲から、どっと笑い声が湧いた。
「ザックさん。あんたも気苦労が絶えねぇな!」
どうやら、ザクセン卿もこの店ではおなじみらしい。しょんぼりと肩を落とす彼を、皆が大笑いしながら慰めていた。
「ふふ、本当に冗談だ。……可愛い妻を連れてきてくれてありがとう」
陛下は私の肩を引き寄せて、続けた。
「ザック、君は先に帰っていてくれ。この後は彼女とふたりで楽しむから」
ザクセン卿は安堵の息を吐き出し、「ごゆっくりぃ」と気の抜けた挨拶をすると店から出て行った。
彼の背中が見えなくなると、陛下は自然な所作で私の手を取りバーカウンターに導いた。
「せっかくだから。一緒に飲もう、エヴァ」
呼ばれて、胸がきゅっとなる。
(……エヴァ、ね)
愛称で呼ばれるなんて、生まれて初めてよ。本当に、今日はおかしな一日。
「――陛、」
「しぃ」
陛下は人差し指を唇に当て、秘密を共有するように微笑した。
「夫の名前を忘れてしまったのかな?」
(……愛称で呼べ、ってことね)
……でも。
そんなの恥ずかしい。
演技だと分かっていても、夫婦のふりなんて。
頬が勝手に熱くなるし、この人の掌の上で転がされっぱなしな気がして悔しい。せめて何か、反撃を……。
にこにこしながら、私の声を待っている陛下。
ずいぶん長く沈黙してから、私はちょっぴり声を尖らせた。
「…………ディーおじさま」
孤児院での呼び方にしたのは、チクリと皮肉を込めたつもり。
陛下は一瞬きょとんとしてから、とても楽しそうに「あはは」と笑っていた。
明日は12時、20時の2話投稿です。
ところで明日でちょうど、長編作家デビュー2周年になります!
٩(๑>∀<๑)۶
次の1年もがんばります。





