第1話
「侯爵令嬢エヴァンジュリン・ヴェルトワーズ。今この時をもって、お前との婚約を破棄する!」
え。
……バカですか?
絢爛な宮中舞踏会の真っ最中に、いきなりお芝居のセリフみたいなことを叫び始めたランス・ユードリヒ=ログルネーテ王太子殿下。……彼は私の婚約者だ。
私は普段ほとんど感情を顔に出さないけれど、今ばかりは開いた口がふさがらなかった。
ご冗談を。――と、聞き流すのは難しい。
ここは宮廷の大広間。招待された国内外の賓客たちが、大勢この場に居合わせている。来年に控えた殿下と私の結婚式の日取りを、これから正式発表することになっていたのに……まさかの婚約破棄。
(私、今日が20歳の誕生日なんですけれど。最低なサプライズですね……)
豪奢なシャンデリアに照らされて、ランス殿下は煌びやかに笑っている。
艶やかな金髪と王家の色である紫の瞳を持つ彼は、まさに絶世の美男子――でも絶世なのはお顔だけで、中身はいつも通りの空っぽだ。
「この場に集う、すべての者が目撃者となる! 俺こそが次代の王であり、お前は俺の寵愛を得られなかった惨めな女に過ぎない!」
会場を見渡す殿下の瞳は、まるで拍手喝采でも期待しているかのよう。自分勝手に振舞うことが、王の器とでも思っているのかしら。
皺の寄りかけた眉間を揉みほぐしたい衝動を抑えながら、私は小さく首をかしげた。
「しかし、ランス殿下と私の婚約は先代国王陛下の御世より定められていたことです。殿下の一存で覆すなど……」
「ふん! ヴェルトワーズ侯爵家との縁談が国益を鑑みての決定だったのは理解している。――しかし、相手がお前である必要はあるまい?」
大広間にいる全員の視線が、私たちへと注がれている。ランス殿下と私、そして……殿下の腕に抱かれている愛らしい少女に。
「お前の代わりに、次女のパトリシアを我が妃に迎えよう!」
「ふふ。ごめんなさい。エヴァンジュリンお姉様」
私の妹、パトリシアは小悪魔めいた笑みを浮かべて殿下の胸に身を寄せていた。
「……ランス殿下。わざわざ、妹を求める理由をお伺いしても?」
「すべてお前が悪いんだ! 次代の王である俺への、敬意を欠いた所業の数々。思い出しても腹が立つ!」
ランス殿下はびしりと指を突き立てて、私が不適格な理由を挙げ始めた。
いわく、俺を見下すような目つきが気に入らない!
いわく、俺がちょっと休んでいたら、サボっていると告げ口しやがった!
いわく、乗馬大会で優勝するなんて、女のくせに生意気だ!
(全部あなたの怠慢では? というか最後は負け惜しみ)
列席者の面々もツッコミを入れたそうな顔で、殿下と私を見比べていた。
「妹のパトリシアは、絶対にえらぶった態度をしない。パトリシアは従順だし、いつでも俺を立ててくれる! 俺の妃に相応しいのは、お前ではなくパトリシアだ!」
パトリシアは殿下の胸に身を預け、うっとりと幸せそうにしている。ふんわりとしたドレスに身を包み、ストロベリーブロンドの髪を結いあげたこの子はまさに夢見る乙女といった感じ。殿下の瞳と同色の宝石を嵌めた指輪が、パトリシアの左手に輝いている――。
その左手を見て、私は思わず声を上げていた。
「それは……!」
「ふふ、パトリシアの指輪が悔しいのか? 俺の愛の証として、特別に贈ってやった物だ!」
……いえ、指輪じゃなくて。
私が気になっているのは、パトリシアの左手の甲に描かれている『祝印』です。
「妹の祝印、デザインが間違っていますわ」
「……は?」
我が国の貴族女性は皆、左手の甲に『祝印』という光の紋章を化粧する。
女神アルカナを示す光の印だ。私も、パトリシアも、この場の令嬢たちも同じように持っている。
「大陸教の主神たる女神アルカナを示す光の紋章――アルカナの『祝印』を描き間違える女性が、王妃に相応しいとは思えません」
私が言うと、ランス殿下は「ははははは!」と嘲りの笑みをこぼした。
「お前は本当につまらない女だな。パトリシアのは描き間違いではなく、あえて華やかに描いているだけだ。若い女は皆そうしているじゃないか。お前の手に描いてある古臭い物とは違うんだよ!」
……私だって、そういう流行があるのは知っていますよ?
建国から二千年余りの歴史がある祝印の文化だけれど、最近は若い子たちの間で祝印をかわいく飾るのが流行っている。けれど、公的な場では本来マナー違反だ。
パトリシアのデザインはごてごてに盛られてセンスが悪い。それを褒める殿下も同レベルですね……。
「指輪に目もくれず、祝印とはな。お前の愚鈍さには嫌気が差すぞ」
「あらあら。お姉さまったら」
私が絶句していたそのとき、父であるヴェルトワーズ侯爵が殿下の前に進み出てきた。
「で、殿下! 何をお考えなのですか!? それに、パトリシア、お前は……」
「お父様、今まで隠していてごめんなさい。わたし、ずっと前からランス殿下と愛しあっていたの!」
「なんっ……」
お父様は真っ青な顔で息を呑み、殿下に向き直った。
「……おそれながら、ランス殿下。パトリシアとの婚約などありえません。なにとぞ、ご再考を」
「黙れ、ヴェルトワーズ侯爵。俺の決定に口を出すことは許さん!」
ランス殿下とパトリシアの仲を、お父様は知らなかったみたいね。二人がよろしくしていたこと、私はとっくに知っていたけれど。
将来的に「パトリシアを側妃に」と言われたら断る権限もないし、お好きにどうぞと思っていた。でも、まさか私との婚約破棄まで望むだなんて……そこまでは想像していなかった。
(……ああ。パーティが台無しね)
突然の婚約破棄騒動に、大広間はすっかりざわついている。今日は大陸中から、こんなに沢山のお客様がいらしているのに。
「俺の言葉こそがすべてだ! まもなく王位を継ぐこの俺が、すべてを決める!!」
すっかり王様気分で高笑いしていますけど、あなたの即位は来年ですよね? 頭の中だけ戴冠式がお済みのようで。
……でも、いいんですか?
私を手放す意味、本当に理解していらして?
長編版、始まりました。1~4話は短編と同じ進行で、5話は新エピソード。8話以降は完全に別展開です。





