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数千文字の物語

さざなみ

 彼女はここに生まれて十数年。僕はここに生まれて……何年だろう。果てしない時を生きてきた。色んなものを見た。色んな人を見た。けれど、彼女だけは特別に見えた。どうしてだろう、こんなにも世界が輝いて見えるのは。


「君からしたらただの老人だろうけど」

「そんなことないわ。たとえ老人でも、あなたはすごく綺麗で、魅力的」


 海鳥の声と、いつも通りの穏やかな波の音。

 浜辺に座り話していた彼女の手が僕に触れた。細い指は綺麗で少し温かくて、僕の青が血色の良い彼女のピンクの肌に反射する。


「今日もわたしの歌、聴いてくれる?」

「もちろん」


 立ち上がった彼女が息を吸って、優しいメロディーが浜辺を踊る。透き通るような彼女の声は、陰で青白くなるワンピースと、日に透ける白のような金髪と、よく似合う。僕は心地よくて目を瞑り、彼女の音楽に身を任せた。


 それはまるでゆりかごのようで、貝殻から聞こえる海の()のようで、小さな子どもがぱたぱたと駆けるようで……。

 僕は彼女の声が好きだ。手に取ったらころころしそうな軽さと、決して動じない強さがある。そして彼女の歌は一貫して大地の歴史のようで、自然の踊るそのままのようだ。それを聴くのは楽しくて堪らない。

 心の中でハミングしていたのが漏れて、彼女が小さく笑った。


 ゆっくりと音が終わっていき、綺麗に閉じた曲。彼女の歌は、始まりも終わりも柔らかい光によく似ている。


 ……きっと、彼女がこの世を去ったら寂しくなる。もう数十年でその時はやってくる。僕はきっとまだずっと生きている。人と同じように涙を流せないこの僕は、少しだけ荒々しくなるか静かになるかのどちらかだ。……寂しいな。そう思っていると


「どうしたの? 泣いてるじゃない」

「……僕が?」


 彼女は頷いた。涙なんて流れていないのに。何も水滴を落とさず、そこは変わらず湿っているだけ。


「泣いてたわ。見れば分かる」


 彼女の指先がそっと僕に触れ、温かい手に包まれる。……彼女の手、やっぱり好きだな。


「君はどうしてそう、分かるの?」

「表情よ。どんなひとも、ものも、表情があるから」

「……君はすごいよ。それに、とても優しい」

「あなたもね」


 彼女が微笑む。その顔を見つめていると思い出した。

 彼女はいつの日か、荒れきって濁ってしまった僕の心を拾ってくれた。その時も、同じように彼女は僕に触れてくれた。

 ぼくもいくらか、彼女の涙を拭ったことはある。けれど、


「僕はまだ君に返せてる気がしないよ」

「あら、そんなこと考えてたの? もう十分返してもらったわ。それにこういうのって『片方が贈ったらもう片方が貰って』っていう……それだけじゃないかしら。単純にそれだけで幸せになれるし、返すのって義務じゃないもの」


 彼女は偶に、僕の考えていなかった新しいものを連れてくる。

 返すことだけを考えていた訳じゃないけれど『嬉しかったから僕も贈る』……そう考えた方が、確かに自由で心も軽い。


「じゃあ、これからもたくさん贈るよ」

「まあほんとう? 嬉しいっ」


 彼女が笑うと、僕の体よりきらきらするのが不思議だ。


 僕と彼女、二人の見た目は全く違う。体温も違う。けれど確かに、僕達の間にあるものはとても温かい。彼女に拾われ、見つめ合ったあの日から変わらず。


「きっと君のことを奇跡って言うんだ」


 そう言った僕に彼女は少し驚いた顔をした後、とても嬉しそうに笑った。


「それなら奇跡は、この世界に数えきれない程あるわ。あなたもそうだもの」


 僕を映す彼女の瞳は、青だけじゃなく白や黄色や桃色……世界の色々なものを映している。どこまでも深く、どこまでも優しく、愛に満ちて。


「ずっと愛してるよ」

「わたしも、ずっと愛してる」


 打ち寄せる波は何よりも優しい。そして僕達の話し声と、愛情も。


 また、彼女の優しい声が辺りに響き渡る。僕は同じようにそれを隣で聴いた。


 何度重ねたって、訪れる『今日』という宝物は色褪せない。

 僕達の命の火が消えるまで、ずっとこんな、優しい日々を続けよう。それが僕の、願いだよ。







読んでくださりありがとうございます。

彼女は人なのか精霊なのか、主人公は人魚なのか精霊なのか、海なのか。彼らが何者なのかは書きませんでしたが、好きなように解釈してもらえたらと思います。

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