第八話「避難シェルター」
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多目的トイレから出た俺とフェリオンは、広大な地下シェルターの中心へ向かって、壁伝いに静かに移動した。これで周囲の視線は、ようやく「極度の不審者」から「ちょっと目立つ不良学生」のレベルまで下がっただろう
シェルター内部は、昼間の市役所とは比べ物にならないほど騒然としていた。非常灯が辛うじて照らす空間に、数百人がひしめき合っている。壁際には、備蓄の毛布やダンボールが積み上げられていたが、その前にはすでに重傷者や老人が横たわっていた
「水、水がないのか!?」
若い男が、ボランティアらしき腕章をつけた初老の女性に詰め寄っている。女性は力なく首を振った。
「備蓄の分は、すでに分けてしまいました。次がいつ届くか……」
絶望的な会話が、あちこちで交わされていた。フェリオンは驚きを隠せない様子で、小声で囁く。
「僕の故郷では、戦争の避難所でも最低限の食糧と、何より清潔な水は、必ず魔術で確保するものだ。君たちの世界は技術が高い割に、どうして水の確保を魔法に頼らない?」
「だから、魔法なんてないんだよ」
俺はため息混じりに答えた。彼にとって、水は水魔法で無限に湧き出すものなのだろう。フェリオンには当たり前にある事なのだから、何度言ってもなかなか理解出来ないのは仕方の無いことだけど。
「それに、この人たちのパニックも異常だ。僕の世界の人間はもっと規律を重んじる。魔獣の脅威を日常的に知っているからね」
フェリオンの言葉はもっともだった。この避難民たちの目には、異世界の脅威よりも、飢えと喉の渇き、そして情報の遮断に対する恐怖が強く宿っている。
俺たちは、避難民の集団を避け、人目につかない壁際の隅に場所を確保した。疲労はまだ残っているが、戦場を経験したフェリオンの隣にいれば、不思議と安心感があった。
竹刀袋を下ろすと、一人の男が俺たちに近づいてきた。市職員と思しき青いジャンパーを着ているが、顔はやつれて疲労困憊している。年の頃は四十代半ば。腕には『避難所責任者代理』と書かれた腕章を巻いていた。
「君たち、学生だね。どこから来た?身分証明できるものは?」
男は早口で捲し立てた。表情は険しく、明らかに俺たちを警戒している。特に、フェリオンの目立つ外見と、俺の抱えている竹刀袋に視線が集中していた。
「神来真です。そっちは……友人のフェリオンです。自宅から避難してきました。身分証は…持ってません」
フェリオンは俺の言葉に合わせて、少しぶっきらぼうに「どうも」と頭を下げた。彼の動作は王族のように優雅だが、その口調は全く場に合っていなかった。
「ふざけているのか。こんな状況で、身分証明書がない?しかもその名前は…外国籍か??」
職員代理は苛立ちを露わにした。
「日本語は話せるようだね、フェリオンくん。この国の状況を理解しているのか?武装した不審者は警戒対象だ。その竹刀袋の中身はなんだ?」
「勿論竹刀です」
俺は即答した。
「剣道をしているものですから。中身は竹刀です」
「竹刀?竹の棒切れが、外にいるあのバケモノに通用するとでも思っているのか?」
職員代理は嘲笑を交えながら言った。その「バケモノ」という言葉が、この場所に漂う絶望の濃度を示していた。この職員も、自分の現実が崩壊したことを受け入れられずにいるのだろう。
俺は静かに竹刀袋のチャックを開け、竹刀を一本抜き出した。勿論フェリオンの剣も入ってはいるが、薄暗い非常灯の下では気付かれない。
「これでスライムとゴブリンは倒しました」
俺は感情を込めずに言った。それは虚勢ではなく、ただの事実だった。だが、この発言が火に油を注いだ。
「なんだと?この極限状態で、お前は我々を騙そうと—」
「待ってください」
フェリオンが職員代理の言葉を遮り、一歩前に出た。彼の顔は学ランの襟に隠れて薄暗いが、碧眼は冷たい光を放っていた。
「貴方がたは、自分たちが直面している敵を正確に理解できていない」
職員代理は一瞬固まったが、すぐに怒りの表情に変わった。
「何を!パニックを助長する言動は——」
「パニックを助長しているのは、君たち自身の無策と、情報共有の欠如ではないのか?外の世界は、もはや君たちの常識や軍事力で対処できるレベルではない異質な存在で満ちている!」
フェリオンの低い声が、職員代理を威圧した。その声には、戦場で指揮を執る者特有の重圧が込められていた。
「僕たちを不審者として扱う前に、ここにいる人々をどう守るか、外の状況をどう把握するか考えろ!水の確保もできない集団に、秩序など生まれるはずがないだろう!」
職員代理は、フェリオンのあまりにも堂々とした態度と、その言葉の核心を突く内容に、たじろいだ。フェリオンはさらに続けた。
「僕たちはここで休む。君たちが現状を改善する意思があるなら、僕たちを呼べ。この世界で何が起きているか、他の生存者よりも深く理解している」
職員代理は口を開きかけたが、何も言えなかった。彼の目には、疲労と、この青年の傲慢な態度に対する困惑が混じっていた。
「……君たちの場所は確保する。だが、勝手な行動は許さない。それと、その竹刀は……護身用と見なす。だが、外に出ることは禁止だ」
職員代理はそう言い残し、早足で去っていった。
俺は深くため息をついた。フェリオンは肩をすくめている。
「いきなり喧嘩腰か、フェリオン。目立ちすぎだって。他の生存者よりも状況を理解している、なんて言わないでくれよ。何を根拠に言ってるんだ?」
「申し訳ない、真。つい、言葉が過ぎた。だが、彼らが僕たちを異分子と見なすなら、それなりの価値を示す必要があると考えたんだ。それに、僕たちが実際にスライムやゴブリンを倒したのは事実だろう」
俺は竹刀袋の横に置いていた、自宅から持ち出した小さなリュックを開けた。中には、両親が災害時用に備蓄していたインスタント食品が入っている。カップ麺、レトルトご飯、そしてスポーツドリンクのボトルが二本。
「水はないけど、これがある」
俺はフェリオンに、蓋を開けたカップ麺を見せた。
「これは何だい?泥の塊のように見えるが」
「ラーメン。そっちの世界で表現するなら、薬草を練り込んだ保存食みたいなものだ」
フェリオンは興味津々で、乾燥した麺を指でつついた。
「これが食べ物?どうやって?」
俺は、ボトルに入っていたスポーツドリンクを、沸騰させるわけにもいかず、そのまま麺に注いだ。
「水を吸わせるんだ。本当は熱いお湯を入れるけど、今は贅沢は言えない」
数分後、麺がふやけ、奇妙な匂いが立ち込めた。フェリオンは恐る恐る麺を箸で持ち上げ、口に運んだ。そして、目を見開く。
「……美味い!」
「だろ?」
「これが、君の世界の技術の粋か!薬草の味などしないが、これは……強い魔力を持った食材を合わせたような濃厚な味わいだ!この具材は、乾燥したキノコの一種か?」
「ネギだよ」
俺はレトルトご飯のパックを開けながら答えた。フェリオンはあっという間にカップ麺を食べ終えると、学ランの袖で口を拭い、興奮気味に語り始めた。
「真、この世界は本当に興味深い。魔法がないのに、これほど機能的な建物を作り、こんなにも美味しい保存食がある。もし、魔王軍がこの技術を手にしたら……」
「魔王軍って、本当にいるんだな」
俺は思わずそう尋ねた。
フェリオンは箸を置き、静かに俺の目を見つめた。
「ああ、いるさ。僕の世界の敵だ。魔王がこの世界に侵入してくる可能性も、否定できない」
食後、フェリオンは疲れたのか、壁にもたれかかりすぐに目を閉じた。彼が寝息を立てる中、俺は竹刀を竹刀袋から抜き出し、静かに手入れを始めた。
避難所内の薄暗い非常灯の下で、俺の竹刀は無力で、頼りない木の棒切れに見えた。
「竹刀の剣先は、わずか数十センチの範囲しか斬れない」
俺は心の中で反芻した。剣道は、武道であり、競技だ。そのルールの中で、俺は己の力を極めてきた。だがフェリオンの剣は、一瞬の閃光で、犬を両断した。
あの圧倒的な速度と、一撃の破壊力。俺の竹刀では、あのゴブリンの皮すら切れないだろう。
だが俺はこれを手放すことはできない。これは、幼い頃から両親に教わり、俺という存在の骨格を作ってきたものだ。
竹刀を握りしめ、目を閉じる。
(幻覚だとしても、俺は竹刀でスライムの核を砕いた)
あの時の感覚だけは、嘘ではない。極限の集中力と、一点に力を集中させる技術。フェリオンの剣とは違う、俺の培ってきた唯一の武器。
「逃げても、どうにもならない。なら、この経験を、どう使うかだ」
俺は心の中で決意した。避難所は一時的な休息地点にすぎない。この狂った世界で生き残るには、やるしかないのだ。
再び静かに竹刀を袋に収め、俺は壁にもたれかかるフェリオンの横に座った。
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