第五話「世界崩壊」
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「もう、どうなってるんだよ……!」
真は頭を抱え、叫びそうになるのを堪えた。男は真の混乱を理解できないといった顔で、片眉を上げる。
「君、本当に何も知らないのかい?」
男の口調は、心底驚いているように聞こえる。まるで真が赤ん坊のように、常識中の常識を知らないとでも言いたげだった。
「知らないよ、突然こんな事になって……!昨日まで、俺の世界にこんなものはなかった!」
真が感情的にそう叫ぶと、男は少し目を伏せ、表情を和らげた。
「……すまない」
男は腰に手を当て、申し訳なさそうに言った。
「僕もどういう状況か分からず、苛立っていたんだ。君を僕を呼び出した異端の魔法使いだと犯人扱いして、剣を向けたことも謝罪する」
男の言葉は謝罪として受け取れるが、その根底にある「僕を呼び出した」という前提が、真の神経を逆撫でする。だが、真はぐっと言葉を飲み込んだ。
「ねえ、君。真剣に聞きたいんだが、本当にスライムやゴブリンのことを知らないのか?」
男は尋ねた。真は呆れたように返す。
「知るわけないだろ。そんなもの、小説や漫画、ゲームの中の空想上の生き物だ。もう自分が何を見ているのか、何を信じたらいいのかも分からないんだ」
男は深くため息をついた。その息は、異世界で数々の困難を乗り越えてきたであろう、勇者の疲労を感じさせた。男は真から一度視線を外し、窓の外へ目を向けた。
「……なら、ここは君の世界じゃないのかい?」
そう問いながら、割れた窓の外を指さした。先ほどのゴブリンが突入してきたことで、窓ガラスは大きく破損している。
言われるがままに窓の外を見た。
「どうなってんだよ、ほんとに」
一瞬、思考が完全に停止した。真が知る夜の街は、そこにはなかった。
見下ろす道路は、アスファルトがひび割れ、植物が異様な速度で生い茂り、濃緑色の苔に覆われていた。街灯は半分以上が壊れ、残った光も赤や紫といった不気味な色を放っている。そして、その光と闇の境界線を、異形の生物たちが徘徊していた。
遠くのビルの屋上には、漆黒の鱗を持つ巨大な影が止まっていた。それは、まさしく俺たちが空想で描いたドラゴンの姿だった。翼は街の光を吸収し、その存在そのものが闇の塊のようだ。
道路の上では、三本の足を持つ鈍色のロボットが、閃光を放ちながら、小型の獣型モンスターをレーザーで焼き払っている。それはSF映画から飛び出してきたような機械の殺人者だ。
さらにその傍らには、半透明の体を持つ幽霊のような人影が、青白い光を放ちながら空中を漂っている。
神話の生物、未来の兵器、怪談の存在。
人々が熱狂した「異世界ブーム」で語られた、世界の要素が無秩序に混在していた。
ここは、真が知る「現実」の東京ではない。
その光景の混沌とした異様さに、真は口を利くこともできなかった。真の胸の奥から、冷たい水が湧き上がり、全身を凍り付かせる。まるで、異なる世界のパッチワークのように、この空間は、いくつもの次元の断片で侵食されていた。ゴブリンやスライムは、この終末的な光景から溢れ出した、ごく一部の雑魚にすぎなかったのだ。
真が窓の外の狂気的な光景に視覚を支配されているその時だった。
キュイイイイ!!
耳障りな電子音が、部屋の中に響き渡った。真は反射的に、ベッドの上に置いていたスマートフォンを手に取った。液晶画面は、通常のアラートとは異なる赤と黒の警告色で染まっている。
『【緊急警戒警報】』
『未知の生命体の出現を確認。全住民は直ちに、以下の国指定避難所へ避難してください』
『【指示】生命体への接触は極力避けること。武力行使は自己責任で許可されます』
『繰り返します、これは訓練ではありません』
冷たい電子音声による警告メッセージが、部屋の中に響き渡った。そのメッセージは、真が信じていた「現実」の政府や公的機関が、このファンタジー的な異常事態を、ついに公式に認めていることを示していた。
真は携帯を握りしめ、窓の外の地獄のような光景と、手の中の「国からの指示」という確固たる現実の残滓を交互に見比べた。避難所として指定された場所は、ここから直線距離でそれほど遠くない。
「……行かなきゃ」
「どこへ行く気だ、君?」
「国が指定した避難所だよ。ここに居ても殺されるだけだ」
真は竹刀袋をしっかりと肩に担いだ。男は迷いなくそんな真の後ろに立つ。
「僕も行く」
「どうして」
「簡単な話だ」
男は声を潜めた。
「僕を召喚した君を、一人で放置するわけにはいかない」
やはり、真を「召喚した犯人」だと誤解している。だが彼の剣の腕は本物だ。この状況では、戦力として非常に有効なのは確実。真はため息をついた。
「わかったよ。じゃあ守ってくださいよ、勇者様」
真の言葉には、皮肉と諦めが込められていた。フェリオン――もとい、この男が何度も「勇者」を自称し、その力を見せつけたのだ。真の現実を壊した責任の一端を負わせるくらいの権利はあるだろう。
「その勇者様という呼び方は、妙に気恥ずかしい。何度もそういったのは僕なんだが、どうか僕のことをフェリオンと呼んでくれないか」
「わかったよ、フェリオン。俺は神来真。真でいい」
真はため息と共に彼の名を発した。もはや、この男を不審者として扱う気力はない。フェリオンは頷いたが、すぐに表情を引き締め割れた窓の外を指さした。外では、三本足のロボットが未だに閃光を放ち、夜空を照らしている。
「いいか、真。外にいる生物は、僕が見たことのないものが多い」
フェリオンは警告するように言った。
「君を護ることはできる。しかし、あのロボットのような異質な存在の生態は不明だ。僕の力がこの世界でどこまで通用するかも定かではない」
真は竹刀袋を担ぎ直し、フェリオンを見た。
「つまり、勇者様でも、全力で戦えるか分からないから、安易にモンスターには遭遇したくない、と?」
真はあえて、彼の要求を皮肉たっぷりに強調してやった。フェリオンは眉間に皺を寄せる。
「だからフェリオンと呼んでくれ。でも、そう受け取ってもらっても構わない。君が指定した避難所へは行くが、寄り道はしないぞ。無駄な戦闘で力は使いたくない」
真は薄く笑った。これで、この男はただの気取ったコスプレ男ではなく、一時の命綱だ。
「了解。じゃあ、俺について来てくれ。フェリオン」
真たちは、そうして割れた窓から外の混沌とした街へ、ついに一歩を踏み出した。
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