第十話「シェルターの真実」
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俺は残った一本の水を握りしめ、背中に冷たい汗を感じながら、フェリオンの元へと戻った。水を手に入れたものの、白い服の男の静かな眼差しが頭から離れない。なぜ俺は、フェリオンとの関係を正直に話してしまったのか。その男は、何を望んでいたのだろうか。
フェリオンは静かに寝息を立てている。俺は竹刀袋を抱き、壁に背を預けていたが、頭の中で渦巻く疑問と、外から流れ込んでくる不安なざわめきが、安らぎを許さない。
その時、壁にもたれかかっていたフェリオンの肩が、微かに震えた。
「……ッ」
フェリオンは、深い眠りから一瞬で意識を引き上げた。彼の動きには、常人にはありえない鋭さがある。暗闇の中でも碧眼が鋭い光を放ち、周囲の状況を瞬時に把握しようと回転していた。
「フェリオン?どうした」
俺が小声で問うと、彼は学ランの襟元を掴んだまま、静かに答えた。
「いや、僕の勘だ。何かが起きる」
フェリオンの警告は、次の瞬間、現実となった。
シェルターの広間の、地下水路へと続く扉のあたりから、けたたましい金属音が響き渡った。それは、ただの物音ではない。巨大な歯車が噛み合い、重厚な機構が稼働する、明らかに人工的な駆動音だった。その音は、まるで地下深くに隠された巨大な秘密の存在が、今、覚醒しようとしているかのようだった。
「おい、なんだ!?」
「地震か!?また天井が崩れるのか!」
「もう嫌だ、外に出せ!」
避難民たちは再びパニックに陥り、怒号と悲鳴が混ざり合って、広間を揺るがした。
その時、職員代理の男を含む市職員たちが、まるで事前に訓練されていたかのように、驚くべき素早さで行動を開始した。彼らは、避難民が殺到する場所ではなく、その奥にある、これまで誰も注意を払わなかった、厚いコンクリートの壁の前へと向かう。
そして、職員たちを先導するように、完全武装した軍人たちが姿を現した。彼らの服はこの地方都市の予備自衛官や消防隊とは明らかに異なる、特殊部隊のような雰囲気を漂わせている。彼らの動きは迅速かつ冷徹で、避難民のパニックを一瞬で黙らせるほどの威圧感があった。
軍人たちは、避難民に向かって声高に叫ぶ。
「皆さん、その場に留まりなさい!座ってください!これ以上の接近は、秩序を乱す行為と見なします!」
軍人たちは、一様に緊張した面持ちで、中央の空間を囲むように強固な警戒線を張り始めた。彼らの手に持たれた銃は、単なる威嚇射撃のためではない、実戦仕様の殺気を含んでいる。その銃口が避難民に向けられた瞬間、シェルター内のざわめきは、息を飲む音に変わった。その静寂は、恐怖による絶対的な服従を意味していた。
軍人に囲まれた中央の空間に、黒いスーツ姿の男たちが姿を現した。彼らは数人がかりで、分厚いコンクリートの床に隠されていた銀色の金属製のハッチを静かに開けた。ハッチの縁からは、まるで冷凍室のように冷たい空気が漏れ出している。
そのハッチの地下から、黒い革靴の音を立てて、一人の痩せた初老の男が、軍人たちの厳重な護衛と共に登壇した。彼の周囲には、スーツ姿の人間がさらに増員され、まるで巨大な城壁のように彼を守っている。
男は静かに周囲を見渡した。彼の顔はやつれ、疲労の色は濃いものの、瞳には一切の動揺が見られない。それは、この未曾有の危機に際しても、自分の使命を理解しきっている人間の顔だった。
初老の男がマイクを手に取り、神経質そうに避難民に向かって言葉を放った。
「皆さん、静粛に願います。座ってください。これ以上の混乱は許されません」
避難民の視線は、壇上の初老の男に釘付けになる。
「今から、皆様にお話があります。どうか、落ち着いてください」
中央に集まった群衆は、不安と期待、そして半信半疑の混乱に満ちた視線を、その初老の男に注いだ。
その時、周囲の混乱を完全に吹き飛ばす、決定的な異変が起こった。
頭上の天井の一部が、再び重厚な駆動音を立て、まるで巨大なパズルのピースのようにゆっくりとスライドし始めた。その機構は、避難所として使われているはずのこの地下シェルターが、単なる緊急避難所ではないことを雄弁に物語っていた。
重々しい金属の軋む音が、地下空間全体に響き渡る。天井板が開いた場所からは、外光ではなく、眩い人工的な白色の光が溢れ出した。その光は、この地下施設が想像を絶するほどの電力と技術で稼働していることを示していた。
そして、その光と共に、まるでクレーンゲームの景品のように、巨大なモニターがゆっくりと降りてきた。それはシェルター内の広場全体を覆い尽くさんばかりのサイズで、最新の超高精細ディスプレイだった。その映像出力は、まるで目の前にあるかのような臨場感だ。
「うわぁ、すごい世界だ」
「俺初めてあんなデカイの見るよ」
俺は愕然とした。この地方都市の市役所の地下に、これほどの軍事レベルの設備が、極秘裏に準備されていたという事実。
モニターには、男の顔が大きく映し出される。その表情は、極度の緊張と重責に耐えているように見えた。
男は革製の椅子に座り、一呼吸おいて話し始めた。その声は、重く、避難民一人一人の心臓に響き渡った。
「国民の皆様、そして今、このシェルターに避難されている全ての生存者の皆様。私は、内閣総理大臣の秋月憲吾です」
彼の声は、疲労の色を隠せないものの、不思議な説得力と重みを持っていた。
「外の世界は、現在、未曾有の事態に直面しています。皆様が目にした、あるいは遭遇したであろう異質な生命体は、今、日本に限らず、アジア、ヨーロッパ、アメリカ、世界中のあらゆる都市に出現していることが確認されました」
避難所の中に、静かな恐怖が広がった。世界規模の危機。俺たちが直面しているのは、単なる局地的な災害ではない。この言葉は、外の現状に対する、公的な追認だった。人々は、もはや逃げ場がないことを悟り、静かに耳を傾けるしかなかった。
総理は厳しい表情のまま、話を続けた。
「先ほど、主要国首脳との緊急会議を行い、私たちは、この未曽有の事態に、一つの名前をつけました」
モニターに、墨文字のような重々しいフォントで、三文字の漢字が浮かび上がった。その文字は、まるで石板に刻まれた古代の呪文のように、重いインパクトを放っていた。
『大融界』
「これは、数年前、一部で話題となった「異世界ブーム」、あるいは「異界化」と呼ばれる現象に端を発します。これはもはやオカルトではありません。人類の歴史上、最大の危機であり、複数の世界が文字通り、接触し、融け合い始めている現象なのです」
広間は、静寂に包まれた。避難民たちは、総理の言葉を理解しようと、ただ呆然と立ち尽くしている。
フェリオンは興味深そうに聞き入っていた。
(異界化…世界が、本当に、繋がっているのか?)
フェリオンは、学ランの襟を強く握りしめ、食い入るように総理の姿を見つめていた。だが彼の碧眼に、僅かな動揺が走っているのを、俺は見逃さなかった。
総理は、ここでさらに衝撃的な告白をした。
「皆様の中には、まだ信じられない方もいるでしょう。しかし、皆様が口にした異世界に行った人間。私も異世界帰還者と呼ばれるものの一人です」
「数年前、私は突然、全く別の世界に召喚され、そこで半年間を過ごしました。こちらでは2日しか経っていない様でしたが。そこで異世界の人々と同じように、私もスキルを習得しました。ただし、私のような中年男性が覚えたのは、剣術や魔法といった戦闘スキルではなく、日常生活に関するスキルです」
総理はそこで、自らマイクを隣の男に渡し、席を立った。
「例えば、このスキルです」
彼は、机の横に乱雑に積まれた、大量の備蓄物資のダンボールの山に近づいた。そして、静かに右手をかざした。
彼の右手のひらが、薄い緑色の光を放つ。
「『物資選別』」
総理がそう呟いた瞬間、積み上げられていたダンボールの山が、まるで意思を持ったかのように動き出した。衣料品、食料、医療品、とカテゴリ別に、瞬時に分類され、整然と棚に収まっていく。その一連の動きは、人間が手作業で行うよりも遥かに速く、正確だった。
避難民の中から、感嘆の声が漏れた。
「……信じられないかもしれませんが、私は帰国後、このスキルを誰にも話さず、秘密裏に調査を進めてきました。皆さんの中にもそういう方は居たでしょう。しかし、奇妙な生物、すなわち皆様が遭遇したような生物が、一部の人間にだけ見えるようになり始めた頃——」
総理は再び椅子に戻った。
「その頃から、私のスキルは、異世界にいた頃となんら変わりないように使えるようになっていったのです」
「おそらくこれはあちら側と密接してしまったことによるもの。ここで下手したら向こう側の生物が来てしまうのではないかと思ったこと」
総理の表情が厳しくなる。
「そのため、我々は数年前から、水面下で全国の主要都市に、この市役所の地下のような特殊シェルターの建設を進めてきました。これが、今、皆様の命を繋いでいる地下シェルターです」
総理は深々と頭を下げた。
「しかし、大融界の進行は、我々の予想を遥かに超えて早かった。その結果、皆様にお渡しするべき十分な衣、食、住が、このシェルター内に揃えられていないこと。心よりお詫び申し上げます」
広間は静まりかえっていた。パニックや怒りではなく、全てを理解してしまったことによる、重苦しい沈黙だった。
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