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異界ログイン  作者: 穹麿


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第九話「白い男」

 ・




 俺は静かに目を閉じようとしたが、避難所の喧騒と、神経が昂ぶって眠れない。


 フェリオンはすぐに深い眠りについたようだった。学ラン姿のまま、壁に寄り添って静かに息をしている。彼がこの状況下でこれほどすぐに眠れるのは、戦場で培われた「いつ死ぬかもわからないからこそ、休める時に休む」というプロの習慣なのだろう。恐らく……


(寝れない)


 俺は再び目をゆっくりと開けた。避難所の隅のこの場所は、暗闇に紛れて人目につきにくいが、同時に、何かが起きた時に職員や他の避難民から見捨てられやすい場所でもあった。




 周囲の避難民は、俺たちに露骨な視線を向けていた。先程揉めていたことが原因だろう。彼らが俺たちを指差し、ひそひそと何かを話しているのが聞こえる。


「あいつら、変な格好してた奴らか?」

「明らかに揉めてたよね」


(結局これか)


 もしここで何かトラブルを起こせば、俺たちは真っ先に排除される。俺は身動きせずに、少し周囲の様子を観察することに集中した。

 



「あ、そういえばスマホ」


 一番の情報源は、スマートフォンだ。ポケットに突っ込んで来たので充電の残量は心許ないが、圏外であっても何か手がかりはないか。俺は静かにスマホを取り出し、画面を最低限の明るさに設定した。


 メッセージアプリ、ニュースアプリ、そしてウェブブラウザ。すべてが白い画面か、「接続できません」というエラーメッセージを表示するだけだ。だが、ふと画面に目をやると、通知欄に未読のメッセージが残っていることに気づいた。


 それは、緊急警報が表示される直前、わずか数分前に届いていた、高校の剣道部グループのメッセージだった。


『部長、さっき校舎の裏で、なんか変なドロドロしたものが…』

『おい、なんか外から変な声聞こえるぞ』

『【画像】これマジ?先生に報告するべき?』


 メッセージには、添付された画像があった。表示はされなかったが、メッセージが届いた時間からして、恐らく俺が家に着いた頃と変わらないだろう。


 その下の書き込みが、俺の目を引いた。


『これ、本当に例の「異界化」なのか?』

『先輩が言ってたやつ?まさかな…』



(異界化?)


 俺は強く息を吸い込んだ。あの時、フェリオンに言われるまで、俺が知らなかった「異世界ブーム」の裏側で、すでに何らかの通説が生まれていたということなのか?


 そういえば、見える人間と見えない人間がいるとか話題なってたっけ。今となればそれは全て真実で、かなり前からこの世界は侵食されていたのが分かる。


 そういうオカルトめいた話は完全にシャットアウトしていたのを、少し悔やんだ。


 俺はスマホをしまい、フェリオンに視線を戻した。彼は完全に意識を手放している。


(この男は、どこの世界から来たんだろう)


 勇者としての使命感、あるいは俺を召喚者と誤解していること。だが、それだけが理由ではない気がした。彼が俺の竹刀に興味を示さなかったのは、それが「魔法」ではないからだろう。


 彼は、この世界で生き残るために、俺の「知識」や「合理的な判断力」が必要だと判断している。そして、自分の力を温存するために、俺を隠れ蓑にしている。


 彼の力は圧倒的だ。もしフェリオンが敵に回れば、この避難所全員が瞬時に全滅するだろう。


 俺は竹刀袋を抱きしめ、覚悟を決めた。





 その時広間の隅、地下水路へと続くと思われる扉の辺りから、甲高い声が響いた。


「水が配給されますよー!皆さん、落ち着いて並んでくださーい!」


 声の主は、職員代理とは別の、若い女性職員だった。彼女はメガホンを使い、何度も同じ言葉を繰り返した。


 一瞬の静寂の後、シェルターは爆発的な動きに包まれた。


 数時間、あるいは一日近く水を口にしていない人々が、本能に突き動かされたように一斉に立ち上がった。毛布やダンボールを蹴散らし、子供を抱えた母親も、足を怪我した老人さえも、我先にと水のある方角へ向かって押し寄せる。


「危ない!押すな!」

「あっちだ!あっちに並べ!」

「お願い、私に先に譲って!」


 人の波は、一気に渦を巻いた。これが、フェリオンが「秩序がない」と評したパニックの具現化だ。


(行くべきか?)


 フェリオンは寝ている。彼の分も必要だ。俺は彼を揺り起こすことも考えたが、今、彼が目覚めてまた大声で職員に食ってかかれば、事態はさらに悪化する。


「一人一本!ただし、誰かの分を持って行く場合は、二人分までとさせていただきます!それ以上はだめです!」


 女性職員が声を張り上げる。一人二本まで。俺とフェリオンの分を確保できる。


 俺は静かに立ち上がった。


「ごめん、フェリオン」と心の中で呟き、竹刀袋を彼のすぐ隣、壁際に隠すように置いて、群衆の中へと足を踏み入れた。




 人の動きは、無駄が多い。ただひたすら前へと押し進む、理性を欠いた質量だ。


「邪魔だ、どけ!」

「くそっ、並べって言ってるだろ!」


 怒声や罵声が飛び交う中、俺は誰にも触れることなく、人々の間のわずかな空間を、まるで水の中を泳ぐかのように進んだ。



 俺は人の背中や肘にわずかに触れ、押し返された力を利用して横へ滑る。


「おい、そこの学生、ずるいぞ!」


 背後から声が聞こえたが、振り返る余裕はない。喉の渇き、恐怖、そして絶望が、人々の目に狂気を宿らせている。彼らは水がなければ死ぬという本能に従っているだけだ。俺も、同じだ。


 やっとの思いで、配給カウンターの前に辿り着いた。そこには、疲弊した職員が、機械的にペットボトルの水を人々に手渡している。


「二本お願いします」


 俺は低い声で言い、職員が差し出した二本のペットボトルを、服の中に隠すように受け取った。


「ありがとうございました」


 深く頭を下げる間もなく、後ろから群衆が怒涛のように押し寄せてきた。


(早く、ここを離脱しないと!)


 来た時と同じように、人の波を掻き分け、フェリオンが眠る壁際を目指す。



 フェリオンが眠る場所に辿り着き、人々の集団から完全に抜け出した、その時だった。


「ごめんなさい!もう、在庫が切れました!本日の配給は終了です!」


 女性職員の悲鳴のような声が、メガホンを通して広間に響き渡った。群衆は一瞬で動きを止め、次に、落胆と怒りの声が爆発した。


「なんだと!まだ来てないやつがいるんだぞ!」

「ふざけるな!どうしてくれるんだ!」


 俺は幸運にも水を手に入れたが、群衆の中に残された人々の絶望は、凄まじいものだった。





「おや、間に合わなかったみたいだね」


 その声は、喧騒の中にあって、妙に穏やかで静かだった。俺はハッとして声の方を向いた。そこには、避難民の集団から少し離れた場所、非常灯の薄暗い光の輪の中に立つ、一人の男がいた。







挿絵(By みてみん)






 彼は周囲の避難民たちとは違い、汚れていない白一色の清潔な服を着ていた。それは市職員の制服ではなく、白衣か、あるいは宗教的な衣服のようにも見える。暗闇の中でも白色の髪に囲まれた彼の顔は奇妙なタトゥーが刻まれているが穏やかで、まるでこの世の騒乱とは無縁であるかのように見えた。その手には、水は持っていない。彼が「間に合わなかった」当事者なのだ。



 俺は、とっさに自分の持つ二本のペットボトルを見下ろした。一本は俺の分。一本はフェリオンの分。


 この男は、パニックに飛び込むことなく、静かに立ち去ろうとしている。


「あの……」


 俺は声をかけ、持っていた二本のうち、一本を差し出した。


「ん?」


 男は薄く微笑み、こちらを見た。


「僕が持ってきた飲み物がまだあるので、どうぞ。一本」


 俺の言葉に、男は少し目を見開いた。


「いいのかい?この状況で、自分の分を譲ってくれるなんて、君は優しいね」

「いえ、そういうわけでは。ただ……」


 言葉に詰まった。ただ、この男には嘘をつきたくなかった。彼が持つ、この避難所の中で最も異質な「静けさ」に、何かを感じたからだ。


「ありがとう。いただくよ」


 白い男は恭しくボトルを受け取った。そして、ゆっくりと一口飲み、静かに息を吐いた。


「助かったよ。私は、この喧騒が苦手でね。並ぶのも一苦労だ」


 男はそう言って、再び穏やかに微笑んだ。


「君たちが入ってきた時、注目されていたよね。君の横にいた、あの金髪の少年。とても目立っていた」


 俺は一瞬、警戒心を高めた。


「彼は……友人なのかい?」


 白い男は、悪意もなく、ただ純粋な興味から尋ねているようだった。


「ええ、まあ……」


 俺は反射的に「友人です」と答えようとした。それが最も無難で、職員代理にもそう答えた手前、嘘をつくべきだった。だが、喉の奥で言葉が詰まった。


(言葉が、出ない)


 理由はない。ただ、この静かな男の目を見て、フェリオンとの関係を偽ることに、嫌な予感がしたのだ。


「……いえ」


 俺は正直に告げた。


「今日、会ったばかりです」


 白い男は、俺のその言葉を聞くと、目を細め、わずかに口角を上げた。


「うん、正直なんだね」


 それ以上、彼は何も尋ねなかった。


「お礼を言うよ、神来真くん」


 彼は俺の名前を呼んだ。名乗ったことは無い、俺の名前。


「また、会えるだろう」


 男はそう言い残し、受け取ったボトルを静かに持ったまま、喧騒とは逆方向の暗闇へと、音もなく消えていった。




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