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脆くて儚い  作者: 枢無
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第6章 said雨 空じゃない誰か

時々雨目線の物語を補足として投稿していきます。

いままでの空目線とは違うので、別目線を楽しんでいただけると幸いです

朝、空がカーテンを開ける音で目が覚めた。

夏の光が、部屋の中にじわっと広がっていた。セミの声が、遠くから聞こえていた。

今日から、学校に行く。

空が選んでくれた服を着て、洗面所で顔を洗った。鏡の中の自分は、ちょっとだけ知らない人みたいだった。


「雨、準備できた?」


空の声は、いつもより少しだけ優しかった。

靴を履こうとしたとき、手が少し震えた。なんで震えてるのか、自分でもよくわからなかった。でも、空がそばにいてくれたから、なんとか履けた。


「行ってきます」


その言葉は、口に出すまでに、少し時間がかかった。

空が笑ってくれた。それだけで、ちょっとだけ“行けるかも”って思えた。

外に出ると、夏の匂いがした。空が見送ってくれる背中を感じながら、ぼくは、初めて“自分の足”で歩き始めた。

緊張をしながら教室に入ると、みんなの視線が一斉にこっちに向いた。

先生が「転校生の雨くんです」と言った。

ぼくは、前に出るように言われた。

足が、少し重かった。

黒板の前に立つと、みんなの顔が、ずらっと並んで見えた。


「……夜久雨です」


声が、少しだけ震えた。


「雨って書いて、あめです」


それだけ言って、すぐに席に戻ろうとした。でも、何人かの子が、


「名前かわいい!」

「顔きれい!」

「どこから来たの?」


って、次々に話しかけてきた。ぼくは、どうしていいかわからなかった。

空だったら、こういうとき、ちゃんと答えられるんだろうなって思った。でも、ぼくは、空以外の人に、何を話していいのか、わからなかった。


「ねえ、転校生って、なんかかっこつけてない?」


隣の席の男の子が言った。

ぼくは、何も言えなかった。

かっこつけてるつもりなんて、ない。そもそも空以外にかっこいいっていわれても意味がない。

空が選んでくれた服を着て、髪をとかして、ちゃんと来ただけだった。

みんなが笑ってる中で、ぼくは、ひとりだけ、水槽の魚を見ていた。

魚は、何も言わずに、静かに泳いでいた。その姿が、いちばん安心できた。

授業が終わって、みんながわーっと帰り支度を始めた。

ぼくは、少し遅れてランドセルを背負った。

隣の席の子は、何も言わなかった。

女の子たちは、まだこっちを見ていた。でも、誰とも話さなかった。

先生が「また明日ね」と言った。ぼくは、うなずいた。

校門を出ると、夏の光がまぶしかった。

ぼくたちの家が見えた時、ちょっとだけ、ほっとした。

空とぼくの家。この家には空がいる。

それだけで、今日一日、なんとか終わらせることができた。

何事もなかった。でも、それは、ぼくにとって――すごく大きなことだった。


次の日の朝も、セミの声がしていた。

空が「いってらっしゃい」と言ってくれた。ぼくは、うなずいて、玄関を出た。

教室に入ると、隣の子がすぐにこっちを見た。


「おい、転校生。俺は陽翔。佐伯陽翔っていうんだ。おまえ、昨日、女子にモテてたな」


ぼくは、何も言わなかった。


「かっこつけてんじゃねえよ」


その言葉に、何も感じなかった。かっこつけてるつもりなんて、ない。

今日も昨日と同じだ。空がぼくに似合うからって選んでくれた服を着て、髪をとかして、ちゃんと来ただけだった。

だってぼくが学校に行くこと空がうれしそうな顔をするから。


「魚の話ばっかしてるし、なんか変なやつ」


ぼくは、陽翔の顔を見た。


「うるさい」


それだけ言って、水槽の魚を見た。魚は、何も言わずに泳いでいた。その方が、ずっといいと思った。

陽翔は、何か言いかけたけど、結局、黙った。

ぼくは、空以外の人に、興味はなかった。だから、怒る理由も、仲良くなる理由も、まだ、わからなかった。


学校に行き始めてから、空は帰ってきたら学校の話を聞くようになった。


「ただいま」


空が帰ってくるのはうれしい。空を待つのは苦じゃなかった。だって絶対に帰ってきてくれるから。


「おかえり」


ぼくは、リビングから顔を出した。


「今日は、学校どうだった?」


少し考えるようにしてから、ソファに座り、空の顔をみる。


「うん…まあまあ」

「何か、嫌なこととか…なかった?」


いやなこと?ぼくは、首をかしげた。


「んー…陽翔って子が、ちょっと変なこと言ってたけど、べつに気にしてない」

「変なことって…?」

「なんか、“かっこつけんな”とか。女の子がぼくのこと見てたから、それが気に入らなかったみたい」


特に怒ることではない、ただ事実を並べるように話した。


「そっか…嫌じゃなかった?」

「うーん、ちょっとびっくりしたけど、魚の話してたら、なんか忘れちゃった」

「陽翔くん、隣の席なんだよね?」

「うん。なんか、ずっと見てくる」

「それって、気になってるのかもね」

「空もそう思う?」

「うん。たぶん、雨のこと、気になるんだと思う」


ぼくは、少しだけ考えてから、クレヨンを手に取った。


「じゃあ、明日も話してみようかな。魚の話、好きかもしれないし」


ぼくは、空が心配してることはわかってた。でも、空じゃない人に何か言われても、それは、ぼくにとって“ノイズ”みたいなものだった。

もしその言葉を空が言うなら、それは“意味のある言葉”になる。でも、陽翔が言うなら、それはただの音だった。

ぼくは、空の言葉が好きだった。

空の前では、ぼくは、ちょっとだけ子どもになれる。それが、今のぼくの、いちばんの居場所だった。でも、どうしてだろう。

“うるさい”って言ったら、少しだけ、自分がどんな人なのか、わかる気がした。魚の話なら、空じゃない人にも、少しだけ話せるかもしれない。

それが、なんなのかはまだわからないけど——ちょっとだけ、話してみようかなって思った。




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