第1章 雨の子
いつのまにか37歳になっていた。
気づけば、世間では“行き遅れ”と呼ばれる年齢になった。
会社では“御局様”と陰で言われる立場になった。仕事はできる人間だったからそれなりに社会的地位も獲得した。夜久に任せておけばいいと言ってもらえるようになった。
2年前、ファミリー向けのマンションを購入した。ローンもあるが、初めて大きな買い物をした。マンションを買ったことで世間で独身貴族と呼ばれる人種になった。
結婚しないのかと聞かれれば、否だ。私の人生に、誰かと生活を共にする選択肢は入っていない。
人並みに恋愛もしてきた。
好意を向けられたこともあるし、好きだと言われれば嬉しかった。好意は、純粋に受け取るようにしてきた。でも、どうしても途中で私自身がいやになってしまう。
誰かといて疲れることはない。でも、誰かと一生をともにするというのがどうしても想像できなかった。
現在は休日も充実している。寂しさを覚えることもない。
でも―――ふとした瞬間に、どうしようもないほどの孤独が、胸を突くことがある。
「ママー!」
駅から自宅までの道に大きな公園がある。そこから子どもたちの声が耳に届く。
この公園の前を通らなければ家には帰れない。耳障りに感じることもあるけれど、純粋な子どもを見るのは嫌いじゃない。
子どもは可愛いと思う。
もし、結婚していれば、あの幸せが私にもあったのかもしれない。
結婚できなかったわけではない。
しなかった、選ばなかった。
『結婚してください』
その言葉を聞いたのは、いつだったか。20代の頃だったのは覚えているけど、その言葉をくれた人のことは覚えていない。私にはその程度の存在だった。
『愛されているほうが幸せになれるのよ。あんたは出来損ないなんだから愛されるよう努力しないと』
母親に言われたことがある。
結婚してほしいと言ってくれたその人は本当に愛してくれていたのかもしれない。でも、私はどうしても結婚を選ぶことができなかった。
もう顔も名前も覚えていないのに、断ったときのあの悲しそうな表情だけは今でも覚えている。
結婚適齢期の時期に届いた結婚式の招待状に焦った時期もあった。
子どもが生まれましたという報告に、羨ましさを感じたこともある。
無理をして結婚生活を考えたこともある。
でも、私には窮屈だった。だから、ひとりで生きていくことを決めた。
マンションを買って、仕事と趣味を満喫してひとりで生きることにした。
そうすることで、心が軽くなった。
幸せそうな家族を羨むことはなくなった。
結婚に焦ることもない。
家族と過ごす幸せ―――子どもの成長を見守る幸せはないけれど、それでも私は幸せだった。
そろそろ猫でも飼おうかな。
ペット可の物件にしたし、猫がいるだけで幸福値が上がるって、同じ独身貴族の友人が言っていた。
犬より猫派。
お猫様でも見に行こうかな―――そう思いながら、公園の前を通り過ぎる。そこで、あの子を見つけた。
いつも同じ場所、同じ服、同じ時間にいる子ども。
髪が長いせいか男の子か女の子かもわからない。
他の子どもや親たちもその子を遠巻きに見ている。そこにいるだけだから害はない。けれど、親たちは厄介な子というでもいうような視線を向けている。
放置子…というものだろうか。
いつもあの姿だ。もしかしたら虐待されているのかもしれない。
でも、そう思うだけで、声をかけたりはしない。
何歳くらいなんだろうとは思うし、小さい子をひとりで置いておくなんてとも思う。その場にいる誰もが“我関せず”を貫く中で関わろうとする人間などいない。
親は知らない。見たこともないし、もちろん会ったこともない。あの子が大人と一緒にいるところも見たことがない。
みんな考えていることは同じだ。巻き込まれたくない。
可哀想だけど、仕方ない。
そんな親の下に生まれてしまった。
子どもは親を選べない。
親も子どもを選べない。
可哀想な子ども。
その子から目を反らしながら私は夕飯を手に、帰路につく。
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