第14章 終わりを、抱きしめる
朝、目が覚めるたびに、胃の奥が重くて、体が自分のものじゃないみたい。それでも私は、起きる。
誰かが待ってるわけじゃない。でも、誰にも待たせたくないから。
駅のホームで、手すりに触れる指が、少し震えてる。それを見られないように、鞄を持ち替える。
午前の会議が終わったあと、私は、資料室でひとり、壁にもたれていた。
胃の奥が、じくじくと痛む。目の奥が重く、頭を動かすたびに、世界が少し揺れる。
「……あと、ひとつだけ」
私は、資料を抱えて会議室に戻った。
誰にも気づかれないように、深呼吸をして、歩幅を整える。
「夜久課長、顔色……」
「ああ、寝不足みたい。資料、ありがとう」
私は、笑った。その笑顔は、いつも通りに見えた。
昼休み、雨が職場近くのカフェに来ていた。
「空、ちょっとだけ時間ある?」
私は、笑ってうなずいた。雨がここに来るのは珍しい。邪魔をしたくないからとめったに職場には来ないのに。
「もちろん。久しぶりだね」
カフェの席に座ると、私はコーヒーを頼んだ。
胃が拒む感覚があったけれど、雨の前では、それを見せたくなかった。
見せないように努力した。
「最近、どう?」
「忙しいけど、元気よ。仕事も順調」
私は、笑顔で答えた。
雨は、少しだけ目を細めた。
「……空、ちょっと痩せた?」
「え?そうかな。気づかなかった」
私は、笑った。
雨は、それ以上何も言わなかった。
私が“いつも通り”でいるから。でも、雨の視線は、私の指先の震えに、ほんの少しだけ留まっていた。
カフェを出たあと、私は、職場に戻る足取りを少しだけ遅らせた。
胃が痛む。
頭が重い。
でも、雨の前では、それを見せなかった。我ながらよくやったと褒めてあげたい気分だ。
「今までの自分でいたい」
それは、私の願いだった。
病気になっても、治療が始まっても、雨の前では、“空”でいたい。痛くても、平気なふりをする。それが、私の守り方だった。
鏡の前で、ウィッグを整える。
治療を開始してからしばらくして髪の毛が抜けた。髪が抜けてから、毎朝のこの作業が日課になった。
簡単に済ませていた化粧は、少しずつ濃くなった。それは、頬の痩せを隠すため。目の下のくすみを塗り重ねるため。
服は、長袖ばかりになった。腕の細さを隠すため。
体温調節がうまくできなくなったからでもある。
私は、鏡の中の自分を見つめる。
「……誰?」
そう思った。でも、雨の前では“空”でいたかった。
病気の診断を受けた日から、私は写真を撮るようになった。
髪があった頃の自分。
ウィッグをつけた初日。
化粧が濃くなった顔。
そして、その日の気持ちを日記に書いた。
「今日の私は、少しだけ強く見える」
「でも、鏡の中の私は、私じゃない」
写真と日記は、私の“生きた証”になった。
誰かに見せるためじゃない。
自分が、自分を忘れないために。治療は、続ければ命を延ばせる。でも、私は知っていた。
延命の先にあるのは、“自分が自分でなくなる”という現実だった。
「生きたい」
その気持ちは、ずっとある。でも、それ以上に、“自分じゃなくなること”が怖かった。
もし、死が避けられないなら――せめて、“本当の自分”のまま、この世を去りたい。
私は、医師に告げることを決めた。
「……治療を、やめたいです」
医師は、手元のカルテから目を上げた。
「夜久さん……急にどうして?」
私は、少し間を置いて答えた。
「もう、限界なんです。身体が、もう私じゃないみたいで」
医師は、椅子に深く座り直した。
「副作用が強いのはわかっています。ですが、薬を変える選択肢もあります。少しでも延命できる可能性があるなら、考え直してみませんか?」
私は、静かに首を横に振った。
「生きたい気持ちは、あります。でも……これ以上、自分が自分じゃなくなるのが怖いんです。髪が抜けて、顔が変わって、身体が痩せて、感覚も鈍ってきて……。それでも生きることが“正しい”って言われるなら、私は間違っていてもいい。私は、私のままで終わりたい」
医師は、しばらく沈黙した。そして、ゆっくりと口を開いた。
「……ここまで強い意志を持っているなら、私もその気持ちを尊重します。緩和ケアへの移行を進めましょう。痛みのコントロールと、生活の質を守ることに集中します」
私は、深くうなずいた。
「ありがとうございます」
医師は、カルテに静かに記録を残した。
そこには、“夜久空、治療中止。緩和ケアへ移行。本人の強い希望による”と記されていた。
私は、会社の会議室で部長の前に座っていた。
「……長期休暇をいただきたいと思っています」
声は静かだったが、内心は揺れていた。
課長職として、会社を支えてきた。休みなく働いてきたのは、責任感からだった。だからこそ、
「長期に休むなんて申し訳ない」という思いが、胸を締めつけた。
「もし、休むのが難しいなら……辞職も考えています」
私は、そう言った。
部長は目を見開いた。
「夜久課長、そんなことは考えなくていい。今までの働きぶりを見てきた。長期休暇、もちろん承諾します」
私は、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。どちらにしても、引き継ぎはきちんとします。現場が混乱しないように、資料も整えておきます」
それが、私の“けじめ”だった。
どんなに身体が限界でも、自分の役割を放り出すことだけはしたくなかった。それが、夜久空という人間の“誇り”だった。
緩和ケアへの移行が決まった日、私は日記にこう書いた。
「治療をやめた。もう、戻れない。でも、私は私のままでいられる。残された時間は、雨と過ごす。母親として、最期までできることを全部してあげたい」
私は、すぐに旅行の計画を立てた。
雨が好きだった海辺の町。
魚が好きな雨が気に入った小さな水族館。
昔一緒に行ったカフェ。
旅行先でも、私は写真を撮った。
雨と並んで歩く自分。
海を見ている後ろ姿。
カフェで笑っている顔。
その夜、ホテルのベッドで日記を書いた。
「今日の私は、少しだけ空らしかった」
「雨といると、痛みを忘れる」
「でも、身体は確実に、終わりに向かっている」
「それでも、私は母親でいたい」
「雨の記憶に、私が残るように」
「笑って、抱きしめて、話して、全部してあげたい」
雨には、病気のことは話していない。話さないと決めている。だから私は、言葉ではなく、時間で伝えようとしていた。
料理を作る。洗濯をする。雨の話を聞く。一緒にゲームをする。それは、私にとっての“母親の仕事”だった。
痛みが強くなる日もあった。
身体が動かない朝もあった。でも、私は笑った。
雨の前では、最後まで“母親”でいたかった。
写真と日記は、私の“最後の贈り物”になっていく。
それは、誰かに見せるためじゃない。でも、いつか雨が、私がいないと気づいたとき、
そっとページをめくってくれるなら――私は、それだけで、生きた意味を感じられる気がした。
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