第9章 この子の居場所でいたい
あれから、数日が過ぎた。私の誕生日には、結局、何もなかった。それが、普通の親子なんだと、言い聞かせた。佐伯さんも言っていた。
「うちの子なんて、誕生日に“おめでとう”も言わないわよ」
佐伯さんは笑っていた。私は、笑えなかった。私は、ついに、あの子の“親”になったのかもしれない。
だけど、あの子が、私に怒りをぶつけてきた。普通の親子なら、これが普通なんだろう。でも、私とあの子は違う。
歪な関係だ。
私が“買った”あの子とは、普通の親子ではいられない。
この土地に移り住んで、よかったことは多い。佐伯さんのように、子育ての悩みを話せる人がいる。
子育てで悩むなんて、本当に“親”になった気分だった。
でも――「本当の親でもないくせに!!」
あの言葉は、効いたな。
わかっていたこと。
あの子が私の“子ども”になったのは、10歳。分別のつく年齢だった。
私は、あの子の過去を知らない。
あの子の“痛み”を、全部は抱えられない。
それでも、私は、あの子の“今”を抱きしめたいと思っている。
それは、間違っているのだろうか。
それとも、親って、そんなものなのだろうか。
佐伯さんは言っていた。
「親なんて、子どもに嫌われて当然よ」
でも、私は、嫌われることに慣れていない。
それでも、あの子のために紅茶を淹れる
それでも、あの子のために、誕生日のプレゼントを選んだ。
それでも、私は、あの子の“親”でいたいと思っている。
いびつでも、不完全でも、それでも、私は、あの子の“居場所”でありたい。
「誕生日、何もなかったの」
私がそう言うと、佐伯さんは笑った。
「うちなんて、毎年スルーよ。ケーキも自分で買ってる」
「……そういうものなんですか?」
「そういうものよ。親子なんて、そんなもん」
私は、紅茶の湯気を見つめながら、言った。
「でも、私は“本当の親”じゃないから」
佐伯さんは、少しだけ黙った。
「……それでも、親って名乗っていいのよ」
「名乗って、いいんですか?」
「名乗らなきゃ、誰があなたを“親”にしてくれるの?」
私は、少しだけ泣きそうになった。
「居場所になりたいんです。あの子の」
「それが、親でしょ。この世のすべての人が敵になっても自分だけは味方でいるって。それが親だと私は思うわ」
佐伯さんの言葉は、あたたかくて、少し苦かった。
会社帰りのスーパーの前で、陽翔にばったり会った。
「あ、空さん!」
陽翔は、いつも通り明るくて、でも少しだけ気遣うような目をしていた。
「雨から誕生日プレゼントもらった?めっちゃ悩んでたよ」
「……雨が?」
「うん。先週からずっと、“空さんに似合うかな”って言っててさ」
「そんなこと……」
「昨日なんて、“これでいいかな”って、5回くらい聞いてきた」
陽翔は、笑いながら言ったけど、
その目は、雨のことを本当に大事に思っているのがわかった。
「雨、空さんのこと、すごく考えてたよ。なんか、“重くないかな”とか、“喜んでくれるかな”とか」
私は、言葉が出なかった。
雨が、そんなふうに悩んでいたなんて。私の知らない雨が、そこにいた。
「雨、空さんのこと、親っていうより……なんていうか、すごく特別な人って思ってる気がする」
陽翔の言葉が、静かに胸に響いた。
「……ありがとう、陽翔くん」
「ううん。雨、ずっと空さんのこと、話してたから。俺、親友だから、ちょっとだけ伝えたくて」
私は、少しだけ笑った。
雨の“親友”が、雨の“気持ち”を、私に届けてくれた。
玄関を開けると、雨がリビングにいた。
ソファに座って、何かを握りしめている。
私が靴を脱ぐ音に、雨が少しだけ顔を上げた。それから慌てて手に持っていたものを後ろに隠した。
「……おかえり」
「ただいま」
それだけの会話。でも、今日は少しだけ違った。
雨が、立ち上がって、私の前に来た。
「あの……」
声が、少し震えていた。
「これ、誕生日……だったから」
雨が差し出した、小さな箱。
白いリボンが、少しだけ歪んでいた。
私は、受け取った。
「ありがとう」
それだけ言って、箱を開けた。
中には、雨の誕生石がついたネックレス。小さくて、繊細で、でも確かな光を持っていた。
「……似合うと思って」
雨が、目をそらしながら言った。
私は、ネックレスをそっと首にかけた。雨が、ちらりと私を見た。
その目に、ほんの少しだけ、春の気配があった。
私は、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
この子は、私の知らないところで、私のことを考えてくれていた。
うきうきしながら、悩みながら、陽翔に何度も相談していた。
雨が、少しだけ笑った。
それは、ぎこちなくて、でも確かに“仲直り”の笑顔だった。
この子は、私の知らないところで、私のことを考えてくれていた。
そのことが、ただ、嬉しかった。
首にかけたネックレスが――雨の誕生石が、胸元で静かに光っている。
この子は、私の“子ども”だ。
血のつながりはなくても、いびつでも、脆くても、私は、この子の“親”でありたい。
それは、誰に認められなくても、この子が拒んでも、私の中で、変わらない願いだ。
雨が、リビングの隅で、紅茶を淹れている。
その背中を、私は静かに見つめる。
触れない。でも、見守る。
それが、私の“愛”のかたちだ。
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