さて、私は田舎の故郷に帰ります!〜初恋は置いてきたのですが、追いかけてきました〜
サラはストーレン辺境伯の一人娘として生を受けた。
自然豊かで農耕が盛んな土地の分、そこには魔物の脅威も隣り合わせという土地柄がある。魔物の脅威から、人を、街を、資源をいかに守るかが辺境伯家の大きな務めだった。
サラはいずれその務めを継ぎこの地を納める者としての実力を付けるため、王都の魔導士学校に入学、それなりの成績で卒業後、3年間、宮廷魔導士としてあらゆる魔物の討伐隊に参加し経験を積んできた。
全ては、領地に戻り、この力を還元する為にしてきた事だ。宮廷魔導士を辞めて領地に戻った事に悔いはない。
ただ一つ、未練があるとすれば、王都で出会い、共に宮廷魔導士として高めあった相棒でもあるアルフレッド・フェンディにサラが長年内に秘めた想いを伝えずに別れた事くらいだ。
サラが王都を去る時、アルフレッドはとある地方に魔物の討伐遠征に行っていた為、別れの挨拶もままならず、最後に交わした言葉は覚えていないほど何気ない日常のものだった。
無事に討伐が終わっていれば、もう王都に戻っているだろう。その時、サラが魔導士団を辞めたと知ったら、アルフレッドは何を思うのだろう。
彼にとって自分は、ただの同僚でしかない素振りだったし、何にも思っていないかもしれないなとサラは1人自嘲した。
サラが領地に戻って、約1ヶ月が経った。
徐々に領地運営についても学んでいかなければならないが、そちらは一旦まだまだ健在な父に任せ、サラは得意な魔物の討伐に精を入れていた。
その延長線で、領地で1番栄えている繁華街をプラプラと散策し、領民の困り事や魔物の情報を集めるのが日課となっている。
「サラ様ー!見て見て、剣を作ったんだ!これで俺も魔物退治に行くんだぜ!!!」
「それは心強い。でも、魔物退治に行くのはもう少し大きくなってからだな」
「そっかー。じゃあもっとご飯を食べなくちゃな!」
広場で駆け回ったり、チャンバラをしたりと自由に遊ぶ子供達の姿をサラは微笑ましく眺めていた。
かつて、魔物の討伐に向かった際には既に大きな被害を受けていた場所もあった。その時の子供達は目に涙を浮かべ、怯えて大人の影に隠れる子達ばかりだった。
この地が、そんな風になってはいけないとサラは強く誓ったものだ。世界の全てを救う力は無くとも、せめて生まれ故郷だけでも平和な日常を守るのが、魔力を持って生まれた自分の務めだと思う。
「サラ姉ちゃーん!」とこちらに手を振る子供達に手を振り返していると、後ろからジャリっと足音が届いた。
「よぉ。元気そうだな、サラ」
「っ!?!?」
その声にサラは無意識に肩をすくめた。まさか、そんなはずはないと思いながらも、ゆっくりと振り返る。
そこには、もう会う事は無いかもしれないと覚悟していた相手、アルフレッドが腕を組んで立っていた。だがその視線は再会を喜んでいるようなものではなく、むしろ真逆。怒り狂っている時のそれだった。
「アル……。どうしてここに…」
「酷い女だなお前は。王都では相棒だなんだと散々持ち上げておいて、任務を終えてやっと王都に戻ったら知らぬ間に故郷に帰ったって言うんだからな」
「それは、その………」
正式に別れを告げるのが辛くて先延ばしにしているうちに、アルフレッドは急な任務に出てしまった。
そんな言い訳を素直に言えるはずもなく、黙り込んだサラをアルフレッドは容赦なく攻める。
「お前、結婚が決まったのか?だから突然故郷に帰る事になったのか?」
「………え?」
「ストーレン伯爵はまだ存命なはずだ。危篤の情報も無かった。それなのに突然故郷に帰る理由なんて、結婚ぐらいしかないだろ」
怒りを隠そうともしないその鋭い視線と口調は、味方の場合は心強いが、敵となると恐ろしい。
「どこのどいつだ」
「…………え?」
「お前の相手だ、決闘を申し込んでやる。俺が勝てばその結婚は無しだ」
怒りに任せて暴力を払うような男では無いと分かってはいるが、その威圧的な態度にサラは少々萎縮した。
「ち、ちょっと待て。団長から何も聞いてないのか?」
「はぁ?」
アルフレッドはこの世の全てに腹を立てているような、そんな態度だ。確かに、黙って故郷に帰って来たことは申し訳なく思うが、それだけでそんなに腹を立てる事も無いはずだ。
どう言うわけか、腹の虫の居どころが悪いらしい。
サラは静かに呼吸を整えた。
「元々私は3年で領地に戻る事が決まっていたんだ。期限が来たから宮廷魔導士は辞めてここに戻った。それだけだよ」
「…………そんな話、一度も聞いた事ねぇぞ」
「気を遣わせるかと思って、皆んなには黙っていた。知っていたのは団長くらいだと思う」
「………………」
深く深く、アルフレッドの眉間にシワが寄る。
元々切れ長な目元がさらに鋭く尖り、サラに突き立てられる。
「……………結婚は?」
絞り出すようなアルフレッドの問いに、サラはフルフルと首を振った。
「しない…………まだ………」
いつかその時が来たら、結婚からは逃れられない。領地を運営し、この血筋を残すのはどうしたって1人では出来ない。
元々、恋だ愛だで結婚出来る貴族がどれだけ少ないかは理解している。結婚とは己と相手の利害の一致で成り立つものだ。サラが相手に求めることは、このストーレン領に入り、共に領地の運営が出来る相手である事。
一人娘であるサラがこの地を出る事になってしまっては元も子もない。
しばらく沈黙が続き息苦しさを感じ始めた頃、突然アルフレッドが項垂れるように大きなため息を吐いたことで、サラの呼吸もわずかに楽になった。
「っ、ああっくそっ!やられた………」
「………へ?」
アルフレッドは普段はもっと冷静な男だ。少なくとも王都で知り合ってから今まで、人前でこんなふうに怒りを表す男では無かった。
サラは恋愛には疎い自覚がある。自分の感情にも確信が持てない程なのに、相手の感情が分かるはずもない。
だけど、今、聞かずにはいられない。
「お前……私が誰かと結婚するのは、嫌なのか…?」
項垂れていたアルフレッドの視線がこちらに向けられる。
前髪の隙間から鋭くこちらに向けられる視線に息が詰まる。
「……………嫌に決まってるだろ。ずっと、いつか俺がって思ってたんだから」
「……………………」
胸がこれ以上無い程に締め付けられる。
「で、でもお前、今までそんな素振り一度も………」
「お前は恋愛結婚に興味が無かっただろ。いつか爵位を継ぐ時に必要なのは恋愛相手じゃなくて領主として有能な相手だって言ってたじゃねーか」
「それは、言ったかもしれないけど……」
「ストーレン領は魔物の出現率が高い事は知ってる。お前が経験を積むために宮廷魔導士になった事もな。だから俺はお前の1番の相棒になる為に努力した。戦闘時の相性が良ければお前の相手に選ばれる確率が上がるだろ」
アルフレッドがそんな事を考えていたなんて全く知らなかった。
これほど嬉しい事はないと思う反面、素直に喜べない事もある。
「だけどここは、国の中でも辺境地だぞ。廃れているとは思わないが、王都と比べたら田舎も田舎だ。折角宮廷魔導士になったのに、お前の家の事もあるだろ」
アルフレッドはフェンディ公爵家の次男だ。代々、宮廷に支える優秀な魔導士を輩出してきたいわゆる名家の生まれだ。彼の家では宮廷魔導士になる事が最低限とも言われていると聞いた事がある。
それを辞める事をアルフレッドの家族は許すのだろうか。
「家の事はいい」
不機嫌そうに端的に答える姿を見て、やはり反対されているのだとサラは奥歯を噛み締めた。
「お前をこの地に縛りつける事は出来ない。お前は魔導士としてかなり優秀だし、このままいけば魔導士団長も夢じゃない。何より、お前と家族との仲を引き裂くようなマネだけは出来ない」
「……なら、俺と結婚しろ」
「………………………は?」
話を聞いていたのかとサラは顔を顰めた。
「私の話の意味が分からないのか?」
「馬鹿にすんなよ。分かってるから言ってるんだ」
「いや、だから、私と結婚したらお前の家族は…」
「大喜びだ。俺の両親は恋愛結婚なんだ。お前が1人で領地に帰ったと知って、クズだヘタレだと散々罵られて来たんだ」
「だけどお前は優秀な魔導士の家系で、それで、その血を残さなければならないだろう?」
「お前と結婚して子供ができればあいつらにとっちゃ万々歳だろ」
「で、でもそれはストーレン家の子供になるわけで…」
「んな事はどうだって良いんだよ。そもそも俺は次男だ。誰と結婚しようが家に入るのは兄と決まってる。それなら俺はお前とって思っていたのに勝手に消えやがって」
「…………………」
次の言葉が見つからず呆然とするサラを前に、アルフレッドも僅かに冷静さを取り戻したのか、ため息を吐きながらガシガシと頭を掻いた。
「何が足りない?あと俺に足りないものはなんだ?」
「え?」
「何だってやってやる。お前の理想の相手と俺はどこが違う?」
アルフレッドに足りないものも理想との違いもあるはずがない。サラはずっと、アルフレッドのような人を探していたし、今後、アルフレッド程の人と縁を結べたら奇跡とさえ思っていたほど理想的だったのだから。
「違いなんて…ない………」
「なんだ?はっきり言ってくれ」
羞恥心でボソボソとつぶやいた声はアルフレッドには上手く届かなかったようで、ぐいっと距離を詰められる。
背が高く、魔導士でありながら身体は鍛えられていて、色白で清潔感があって、表情が乏しいせいで怖い人だと思われがちだが、本当は世話焼きで優しい人。
女だからとなめられることもあったサラは、何度彼に助けられたか分からない。
「私の理想は、お前だ………アルっぐえっ!?」
意を決して想いを伝えた途端に強く抱き寄せられ、色気のかけらもない声が漏れた。
ドキドキと高鳴る心臓は、咄嗟に手を引かれたことに反応しているのか、それとも、ぴたりと身体がくっついているこの状況に反応しているのかすぐには判断が出来ない。
「あ、ああ、アル!な、なんだ!?」
「なにがだ」
逃げ出そうとジタバタしても敵うはずもなく、耳元で囁かれては「ひぃっ!」と思わず縮み上がってしまう。
「わ、私を拘束してど、どうするんだ」
「拘束ってお前………。まあいいわ、もう少しこのままにさせてくれ。何度夢に見たか分からん」
「人を拘束する夢を見るのか……?」
「誰でも良いような言い方すんな。良いから少し黙ってろって」
「……………」
これ以上耳元で話されては、間違えて自爆魔法を唱えかねない。サラは言われた通りに口を紡いだ。
「まじでお前、もうどこにも行くな」
「……ここは私が生まれ育った領地だぞ?いなくなると言うならどちらかと言うとお前の方だろう」
「俺のそばにいろって事だよ。伝わんねーな」
こんな状況でも悪態をつくのはアルフレッドらしい。きっと、色恋沙汰に疎いサラが必要以上に緊張しないように気を遣っているのだろう。
「そ、そろそろ離してもらえると、ありがたいんだが…」
体力には自信がある方だが、流石にこれ以上浅い呼吸を繰り返すのは辛い。
「離したらお前、勝手にどこかに行くからな」
「………い、いかない。元々私の居場所はここと決まってるんだ」
「まあ、お前がどこに行こうとも追いかけてやるけどな。逃げられると思うなよ」
「わ、分かった。分かったから」
本当にもう勘弁してくれ、と胸を叩くとようやく解放され、サラは安堵の深呼吸をした。
「っ!?!?」
が、唇に柔らかい感触を感じ、その呼吸はすぐに止める事になった。
「お、おま、今、何して…?」
「人が制約を結ぶ時はこうするんだ。知らないのか?」
「し、知らない!そう言うのは大体小指を絡めたりするものだろ!」
「そんなのは子供の遊びだ。大人はこうするんだよ」
「え、ちょっ!?ま、まてまてまっーーー!」
硬直するサラに、してやったりと笑みを浮かべるアルフレッド。
2人の物語はまだ始まったばかり。
**********
緊急の討伐から戻って1時間後。
アルフレッドは今回の討伐の報告をすべく、魔導士団長室へと足を運んでいた。
「ご苦労様。被害の状況はどうでしたか?」
「はい。我々の到着時にはすでに人的被害が出ておりましたが、その後の被害は最小限に抑えられたと思います。怪我人はこちらで治癒魔法を施し、魔物の討伐も完了。荒れた大地の浄化と復旧に数日かかりましたが、そちらも完了済です」
「そうですか。皆、よくやってくれましたね」
「ありがとうございます。では俺は片付けに戻ります」
端的な報告を済ませ、さっさと団長室を後にしようとしたのだが、「あぁ、そうそう」と言う団長リリアナの言葉に足を止めた。
「サラが故郷に戻ると言う事で宮廷魔導士団を去りました」
「………………は?」
無礼など、気にする余裕も無い。冗談だと思う反面、リリアナがこんな意味のない冗談を言う人でもないと分かっている。
アルフレッドの反応を見て、リリアナはクスクスと面白そうに笑みをこぼした。
「やはり聞いていませんでしたか」
「それは本当ですか?」
「本当です。疑うのであればあの子を探してみると良いですよ」
そこまで言うということは本当なのだろう。アルフレッドは眉間に皺を寄せた。
「なぜ急に…?」
「あの子は自らの領地の爵位を継ぐと決めていたようですから、その為でしょう。女には適齢期と言うものがありますから、逃せば色々と難しくなりますからね」
アルフレッドは公爵家の生まれだ。何が、と明言されなくてもなんとなく分かる。
「それは、いつの話ですか」
「えぇっと…もう1ヶ月程は経ちますかねぇ」
「1ヶ月………」
王都に戻ったら、いつものようにサラと酒を飲みに街に出かけ、くだらない話をするのだと思っていた。彼女の1番の相棒である為にずっと努力してきた。その甲斐あってか、彼女の信頼を得ていると自負していた。自分にだけは、何でも話してくれるものだと…。
彼女に相応しい男になる為に努めてきた。それが、突然横から現れたよく知りもしない男に取られるのかと思うといてもたってもいられなかった。
「団長」
「はい、なんでしょう?」
「休みの申請をしたいのですが」
はやる気持ちをなんとか押さえ込んでいるつもりだが、リリアナはクスクスと笑みをこぼす。
「えぇ、構いませんよ。報告書と引き継ぎはしっかりお願いしますね」
「ありがとうございます」
それからアルフレッドは寝る間も惜しんで事後処理に明け暮れた。どう言うわけか、サラが1人で領地に戻った噂を聞きつけた両親からは、いくじのない男だと責め立てられたが、そんな時間さえも惜しいほど仕事を詰め込んだ。
ストーレン領に行ったら、相手の男に決闘を申し込んでやる。自分に勝てない相手にサラをくれてやるつもりはない。
アルフレッドがサラと再会するまで、あと3日。




