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宵も覚めずにチェリーに口づけ

作者: 夕日色の鳥

 夜が好き。


 夜の貴方は優しいから。


 夜にしか会ってくれない貴方だけれど、会えば貴方は優しくしてくれる。


 私は知ってる。

 誰かと交わしたその唇で、今は私の隣でグラスに口をつけているのを。


 誰かは一番で、私は二番。

 分かってる。

 ううん。もしかしたら二番でさえないのかも。

 そのレースに私は出場さえしてないのかも。


 それでも、会えば私を見てくれる。

 夜の貴方は優しい。

 優しく愛の言葉を囁き、優しく私を抱きしめてくれる。


 昼間の貴方は好きじゃない。

 わざと素っ気ない態度を取るのだから。

 社内の他の人にバレるのがそんなに怖いのかしら。

 怖いんだろうな。

 バレたら貴方は終わりだから。

 貴方が大事にしてる役職も、帰る家も、その全部が終わってしまうから。


 いっそ全てをバラしてしまおうかと思ったことは数知れず。

 でもそれはやっぱりやめようと思ったことも数知れず。


 だって、そんなことをしたら貴方に嫌われてしまうから。

 夜の貴方まで優しくなくなってしまったら、私はきっとやっていけないから。

 そんなの、イヤだから。


 優しい夜の貴方が、好きだから。


 その口が、その腕が、今じゃないときは誰のものか分からないけれど、それでも今宵だけは私のもの。

 私だけを見てくれる。私だけを抱いてくれる。


 だから私は、夜が好き。


 今日も私はマンハッタン。

 グラスにはチェリーがひとつ。

 夜に酔わせて、貴方に酔わせてほしいから。


 貴方ももっと強いのを飲めばいいのに。

 もっと酔わせてもっと酔って、私との楽しい夜を楽しく優しく過ごしてほしい。


 だけど貴方は安くて軽いものばかり。

 出張って言ってるみたいだものね。

 あまり費用はかけられないものね。

 次の日には残せないものね。


 私との夜を、朝には引きずれないものね。


『ギムレットには早すぎる』なんて言って貴方は笑うけれど、そんな冗談は私には分からない。

 私は今宵もカクテルの女王を煽るの。

 宵が覚めれば夢も覚めるから。

 なるべく長く、酔っていたいから。


 誰かが言った。

 それは地獄だと。

 一度ハマれば抜け出せない。どう転んでも良しとはならない。

 それは地獄でしかないのだと。


 地獄ならば覚めずにいろと思う。

 夜を明けさせるなと思う。

 夜の貴方は優しいから。

 でも夜が明ければいつもの素っ気ない貴方だから。


 愛してるよなんて言って私の髪にキスをして、君だけだと耳元で囁いて抱きしめて。

 優しく優しく私を包み込んで。


 それが覚めることのない悪夢だと言うのなら、覚めずにいさせてみてほしい。

 地獄だと言うのなら、終わらせずにいてみてほしい。


 どうせ覚めるのだから。

 どうせ終わるのだから。


 酔いが覚めれば目も覚めて。

 貴方が出ていった誰もいない一人のベッドで泣くのだから。


 私にとってはその瞬間こそが地獄。

 世界を照らす朝日こそが私の心を丸焦げにする黒い太陽。


 それでも今は、どうしたの、なんてセンチメンタルな私の顔を優しく覗き込む貴方。

 夜の貴方はやっぱり優しい。


 なんでもない、なんて揺れるチェリーを見ながらグラスを傾ける私。


 地獄なのは分かってる。

 悪夢なのは分かってる。


 それでもいいの。


 それでも私は酔いたいの。

 貴方の夜だけの優しさに酔いたいの。蕩けたいの。


 だから、私は今宵もグラスの底を天井のライトに向ける。

 偽物の太陽は私とチェリーを優しく妖しく照らしてくれる。


 残ったチェリーが落ちてきて、私はそれにそっと口づけを落とす。



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― 新着の感想 ―
鮮やかな夜の世界はうたかたの夢のようで儚いもの、泣くことはわかっているただそれでも縋るしかない心情がとても丁寧に描かれていると思います。 これ以上傷つくことないことを祈りたいです。 拝読させて頂き…
>世界を照らす朝日こそが私の心を丸焦げにする黒い太陽。 この表現すこすこのすこ( ˘ω˘ )
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