出来損ない聖女の私、隣国に真の聖女の身代わりとして嫁がされました
ここはエルメ帝国の城の謁見の間。
そこには私の旦那にこれからなるのらしい人間がいた。
……本当にこの結婚がちゃんと成立するのかは、大変怪しい問題ではあったが。
「確かに俺はナラスティア王国に聖女を花嫁として引き渡せと言ったね。でもそれはあの異世界から召喚されたセーラという娘の事であって、君ではないんだよ」
「いえ、私は教会の使う秘術には一通り通じている、正真正銘の聖女です」
「あぁ、分かってるよ。君がセーラが来た事で、国の象徴としての立場を蹴落とされ、部屋に引きこもる事が主な仕事となった、哀れな娘である事はね」
そう。私は元々はナラスティア王国の象徴と呼ばれている聖女だった。一応、王族の次に偉い人間だったと思う。
しかし、異世界のニホンとかいう国から、この世界へ迷い込んできたセーラという女の子にその座を蹴落とされたのである。
セーラはナラスティア王国の誰よりも(もちろん私なんかよりも)強い神力と、美しい容貌、そして清廉な人柄をもった、まさに聖女と呼ぶにふさわしい人物だった。
セーラが来てから国の中で大変微妙な立場になった私は、聖女としての仕事もほぼなくなった事にかこつけて、大部分の時間を部屋に引きこもって過ごすようになったのである。
本来、私は聖女なんていう役目など本当は嫌々やっていた、器の小さい人間だ。正直、厄介な役目はセーラに全部押しつけて、部屋の中で四六時中ダラダラ出来て最高! などと思っていた。普通に暮らしていける程度の衣食住は今でも保証されてはいたし。
一応、セーラには「ぐぬぬ! 私の築いてきたものを全て奪いやがって!」と言いたくなる気持ちもあるにはある。しかし、それ以上に面倒な事を代わりにやってくれている事への感謝の方が勝っていた。
しかし、そんなセーラを、お隣の巨大国家であるエルメ帝国のオルフェ様が、花嫁に迎えたいなどと言い出したのだ。
オルフェ様はエルメ帝国の第二王子だ。その優秀さゆえに国王から誰よりも信頼されてるらしいが、冷酷無慈悲で使えない人はバンバン切り捨てる事でも有名だった。
そもそもナラスティア王国の人間国宝であるセーラを「花嫁にしたい」なんて言う時点で、そこそこ強気な外交をするタイプの方なのは何となく察しはつくだろう。
セーラの聖女としての力は本当にものすごいから、エルメ帝国としても自分のものにしたいと思う気持ちは分からんでもないけど。
エルメ帝国はナラスティア王国よりも魔法の研究が盛んで、ナラスティア王国の教会で生み出された「秘術」にも興味があるとは以前から噂で言われていた。
セーラ(や私)が神力を使って行使するのも、この秘術と呼ばれるものだ。
そんな政治の話は置いといて、有能だったとしても性格が終わっていると噂のオルフェ様の元に、セーラは嫁がせられないという事には当然なった。
というか、どんな相手であれ、セーラを他国には渡せる訳がないのだ。
しかし、当然ながら強国であるエルメ帝国には逆らえない。貿易なども盛んに行っている隣国だし、何か手はないかと国の上層部は考えた訳である。
そこで「聖女を嫁にしたいという話ならセーラじゃなくてもいいよな? そういえば聖女はセーラの他にもいたなぁ!」と無理やり駆り出されたのが私である。
どうしてこうなった。何で今さら私にお鉢が回ってくるのだ。
私の事は永遠に「セーラ以外の聖女? そんなやついたっけ?」といった体で放っておいてほしかった。
若干複雑な気持ちはあれど、聖女の役目からやっと解放されて、思う存分引きこもれるようになったのだ。
私は健康で文化的な生活が出来る程度に教会からもらったお仕事を細々こなしつつ、趣味のハンコ作成に楽しく明け暮れていたのに……。
というか、あのエルメ帝国にこんな舐めた真似をする事で外交問題に発展したら、ナラスティア王国はどうするつもりなんだろう。深刻に謎だ。
私自身、一歩間違ったら、本来はセーラを望んでいたオルフェ様に打ち首にされてしまう可能性だってある。
それは何とか避けたい。私はまだ21歳だ、少なくとも世界三大珍味を全部食す前は絶対に死ねるものか。
今さら母国に居場所などない。何とかオルフェ様と結婚という地獄のミッションをクリアするのだ。
オルフェ様は肩にギリギリかからないぐらいの銀色の髪をそっとかき上げる。
切れ長の緋色の瞳はまるで燃え上がる炎のようで、目が合うとどきりとした。
オルフェ様は男性としての美しさもかっこよさも兼ね揃えた容姿をしており、一つ一つの仕草が本当に絵になる。
こんないかにも目立ちそうな人が自分の旦那になるだなんて、何かの罰ゲームだろうか。私はもっと地味な人の方が断然落ち着く。
まぁ、この人も私を嫁として迎えるだなんてごめんと思っているのは間違いないけど。
「俺はあくまでセーラを望んでいる、という体でいる。君には恨みはないが、早く国に帰った方がいい」
「そんな悲しい事、仰らないでください。私もセーラには劣りますが、聖女である事には間違いはありません。どうか、あなたの花嫁にしてくださいませんか?」
一応、私は元々国を代表する聖女だった為、すらすらと思ってもいない適当な事を言う事だけは得意だった。
聖女という偶像には民衆を騙すだけのそれっぽい事を言うスキルが必要となってはくるのである。
まぁ、セーラは素の人格が神々しいので、心からの本心を喋ってるだけでもちゃんと聖女っぽく振る舞えているらしいが。
セーラがすごいのか、私がカスなだけなのか。まぁ両方かもしれない。
「君は君自身の意思で俺と結婚したい、という事かい?」
「はい、私はオルフェ様と結婚し、自らの使命を果たしたいと思っております」
私はきりっと真剣な顔を作り、オルフェ様の瞳をじっと見つめた。
伝われ、私の真心……! まぁそんなものは実際はこの世のどこにも存在などしてはいないのだが。
ここで絶対に死ぬ訳にはいかないという気持ちが私に全身全霊のおべっかを言わせていた。
オルフェ様は私の食い下がりに困ったような顔をしている。
その私の事を気遣っているかような何ともいえない表情は、どこか優しげだった。
……噂に聞いていたよりも、善良な人なのだろうか。
それならそこにつけこむのもありかもしれない。
「もう一度言う。俺は君とは結婚するつもりはない。俺が君を逃がしたいと思えている内に、早く母国に帰りなさい」
そういうオルフェ様はどこまでも真剣な表情だった。
あくまで私の事は拒絶したいらしい。それなら、私にだって考えがある。
……恵みの水よ、現れん。
私は無詠唱にて使える秘術を心の中だけで唱える。
すると、私の瞳に透明な雫がポタリポタリと落ちていった。
それはまるであたかも、私が泣いているように。
「私はナラスティア王国にて聖女として立場を追われました。そんな中でオルフェ様と結婚するという使命を新たに手にした事が、私の支えとなったのです。オルフェ様が私を哀れんでくださるのでしたら、私をあなたの花嫁にしてください、お願いします」
これが聖女としての全盛期の際も使った事がある、必殺泣き落としである。
ちなみに効果的かどうかは、人による。場合によっては「泣いときゃいいと思ってるのか」と怒られる事もあるので。
今回は手段は選んでられないのでやってしまった。割と一か八かだ。
オルフェ様はというと、さあっと顔色を青くした後、おろおろしていた。が、やがて椅子から立ち上がり、謁見の間の中央にて跪いていた私のもとへとやってきた。
「ルーシェ、泣かないでくれ。君に泣かれると、俺はどうしたらいいか分からなくなる」
この人、私の名前を知っていたのかとちょっとびっくりした。私の本名はナラスティア王国の人間にも意外と知られていなかったりする。
でも、私もお偉い立場であった事もあるので、そりゃあ国のトップに近い人なら知ってはいるかと納得はした。
オルフェ様は私に目線を合わせるようにわざわざ床にしゃがむと、秘術で作った人工涙をそっと指先で拭った。
滅茶苦茶絵にはなるけど、これは嘘泣きなんだよな。若干良心が痛む。
「分かったよ、ルーシェ。君を俺の花嫁にしよう、君がそう望むのなら。言っておくけど、俺は俺の元から逃げろときちんと伝えたからね」
「? はい」
「君が俺の言葉の意味を全く分かっていなかったとしても、あくまでこれは君が自ら望んだ事だ。俺は申し訳ないけど、責任は取ってあげられないよ」
「構いません、私は何があってもオルフェ様に添い遂げます」
何で「俺はちゃんと確認したからな? ちゃんとしたからな?」みたいな風な事をずっと言ってるんだろう。
オルフェ様ってひょっとして部屋の鍵を閉めたかどうか、何度も確認しないと気が済まないタイプの男なのか? と私は呑気に考える。
しかし、次の一言に、私の思考はストップした。
「……アレン・グローリー」
「は?」
「この名に聞き覚えは?」
ない訳が、ない。
それは私が聖女として擁立される前に、一時的に恋人として付き合っていたエルメ帝国から留学生としてやってきていた男性の名前で。
……自己保身を優先した私が、こっぴどく振ってしまった人だった。
『ルーシェ、俺と一緒に生きてくれないか? 俺は君の為なら俺の大切にしてきたものすべてを捨てられる』
そう言ってくれていた彼と一緒に生きる選択をしていたら、私の未来はどうなったのか、未だに考えてしまう。
それが意味のない事だと分かっていても。
何でこの人がアレンを知っているの?
今度は私の顔が青くなる番だった。
「もう一度言う。この名前に聞き覚えは?」
オルフェ様は再び私に問いかける。
その声音には一切の遠慮も容赦もなく、そういえばこの人って冷酷な王子様と言われていた人だったという事を今さらながらに思い出した。
「……聞き覚えなんて、あり、ません」
私はあくまで冷静に、落ち着いてと意識しつつ、嘘をついた。
私はもうアレンの事は忘れると誓ったのだ。
「はは、さすがにその嘘は分かりやすすぎる。俺は今度は騙されたフリはしてあげられないよ」
「……オルフェ様、やっぱり結婚の話はなかった事に!」
私はすっかり取り繕う事が出来なくなったぐちゃぐちゃの表情で、反射的に叫んだ。
例え自分の立場が危うくなったとしても、この人とは絶対に結婚しては駄目だと私の勘が告げていた。
しかし、そう言った瞬間、急激に私の心臓に締め付けられるような痛みが走った。
「い、痛……!?」
「ルーシェ。約束は破っては駄目だろう? 俺と君は結婚して、永遠に一緒に暮らすんだから」
いやそこまで重いニュアンスでは約束していないよと私は反論したかったが、胸の痛みは収まってくれない。
「契約捕縛魔法。特定の約束を破った人間に永劫の苦しみを与える、エルメ帝国で生み出され魔法だよ。無詠唱で神秘を行使出来るのが、自分だけだと思わない方がいい」
もうそれは魔法というよりは呪いじゃないか!? と内心で毒つく。
でも、曲がりなりにも元聖女なのにも関わらず、ろくに警戒せずにホイホイ結婚の誓いを立ててしまった私にも問題はあるのかもしれない。
教会の秘術だろうが、魔法だろうが、時に理不尽と思えるような形で発動するのが「神秘」なのだから。
私の瞳にはあまりの痛みで、今度こそ本物の涙がこぼれていた。
オルフェ様はうっすらとした優しい笑みを浮かべる。
「ルーシェに泣かれるとどうしていいか分からなくなるのは本音だけど……正直、興奮もするね。痛みに苦しみ、喘いでいる君も可愛いね、なんて陳腐な事を言いたくなる」
この人って私以上のカスだったんだ! と今この瞬間、確信した。
前評判はまったく嘘偽りなかった。この人は冷酷無慈悲の本気のゴミ野郎だ。いや、これはちょっと言い過ぎかもしれないけど、少なくともこれから私の敵になるであろう男である事には間違いなかった。
オルフェ様は本当に楽しそうに、まるで唄うように言った。
「どうする? そのままでいる? それとも、俺と結婚しないと言った事を撤回する?」
「もし私が撤回したら、この痛みは消えるんですか?」
「あぁ。君が俺と添い遂げる姿勢を見せ続けてくれる限りは、その呪いが君自身を蝕む事はないだろう」
呪いってしっかり明言しちゃったよ、この人……分かってはいたけど、とてもいい性格をしているんだろうなと改めて実感はした。
でも、心から結婚したいと思っていなくても、恐らく口だけでも結婚すると誓っておけばこの場は切り抜けられそうなのは良かった(のかもしれない)。
いくらマイナスの出来事でもやる気になればプラスの面を見つけられるものである。
普段とても意識が低い事ばかり考えている癖に、こんな時だけ付け焼き刃で意識が高い事を急に言い出す。これが誇りのない元聖女の生き様である。
「……します、オルフェ様と結婚します」
私は内心舌打ちを20回ぐらいしつつも、口先だけの誓いを立てた。
すると、心臓の痛みが自然と消えていく。
ちょろいもんだぜと震え声で思った。心の中だけで繰り広げられる、あまりにも無意味すぎる強がりである。
「良かった、君があのままだったらさすがに可哀想だったから」
「泣いてる君も可愛いね」などとほざいておきながら、よくぬけぬけとそんな事を言えるなと私は正直呆れてしまった。
こいつ、ひょっとして滅茶苦茶ヤバい人なんじゃないだろうか? あ、ついうっかり王子様に向かってこいつだなんて言っちゃった。
…………まぁ心の中だけなら、何を思っても自由だよね!
すると、オルフェ様は大変わざとらしい、満面の笑顔になる。
「今、とてもじゃないけど俺に面と向かって言えない事を考えなかったかい? そういう所も可愛いね」
「すごく前後の文脈がおかしい事を仰ってる!」
うっかり素で突っ込んでしまった。
猫かぶり力だけなら、ナラスティア王国の宰相にも負けない自信があったのに、さっきからあんまり取り繕えなくなってる。
それこそ昔、アレンと一緒にいた時のように、自分自身の外面を保てなくなっているのは問題すぎやしないだろうか。
いやいや、でもこれはオルフェ様があまりにも人格が破綻しているせいだろう。この人の前では私の聖女時代に身につけた世渡りスキルが無力化されてしまうのだ。
つくづく恐ろしい男である。出来たら、金輪際関わりたくない。
「ところで、ルーシェはエルメ帝国のハインズ渓谷で虹を見たいと言っていたね。君はずっとナラスティア王国にいたから、結局行けず仕舞いだろう。いつか俺が連れていってあげるよ。君の現夫として、君の元恋人として」
「…………は?」
「また素で驚いた声を出しちゃったなぁ」と反省する暇もなく、私はオルフェ様の言った事の意味が分からず、ただただ反芻した。
「ここまで言っても分からない? ハインズ渓谷に行きたい話をしたのは「俺」に対してだけだと話していたのも嘘なら、もう君の何を信じればいいのか分からなくなってしまうな」
オルフェ様はそう寂しそうに笑う。
いやいやいや、待って。
その話については、確かにただ一人だけ打ち明けた相手はいた。
でも、その人はもう二度と会えないと思っていた「彼」な筈で。私はもう会う事など二度とないと思っていたのに。
外見だって、「彼」とオルフェ様は全く違う。
しかし、一連の会話の中で半ば確信が持ててしまった。オルフェ様は、恐らく。
「もしかして、オルフェ様の正体は「アレン・グローリー」なんですか?」
私が震え声でオルフェ様に尋ねると、私にいつだって優しかった「アレン・グローリー」とは似ても似つかないような、意地悪な笑顔になった。
「あぁ、そうだよ。俺の愛しいルーシェ」
『永遠に一緒にいてほしい、俺の愛しいルーシェ』
そう言うオルフェ様はかつての「アレン・グローリー」とは外見も性格も全く異なるのに、確かに私の恋人だったその人とあまりにも重なって見えた。