5.シンパシー
「リナ、あの人がどうかしたの?」
私があまりにも凝視していたからか、アリシアも興味が湧いたように身を乗り出した。
「あっ、その……」
ターゲットが来てくれるなんて、こんなチャンスは滅多にない。できたらここで交渉をしたいところだけど——
「この昆虫図鑑も素晴らしい。ベルアーク氏がまとめたものじゃなく、カリスト氏のものをおいてあるなんて見る目があるよ」
アダムは次から次に図鑑へと手を伸ばし、中身を吟味している。
(……今は邪魔しない方がいいかも)
彼は人見知りで繊細だ。ゲームでも攻略に手間取ったし、ここは焦らず慎重に——
「あの様子だと買ってくれそう。私、行ってくるね!」
「え?」
「お客様ー、もしかして図鑑をお探しですか?」
「っ!!?」
「あっ、アリシア……!」
固まったアダムに向かって歩み寄ると、アリシアは彼の手元を覗き込んだ。
「きゃあっ! 気持ち悪い……!」
「はぐあっ!」
昆虫図鑑を見て悲鳴をあげたんだろうけど、アダムは自分を非難されたと思ったらしい。
「〜〜〜っ!!」
フードを被り直すと、図鑑を元の場所に戻して一目散に出口に向かう。
「ま、待って!」
あんなに楽しそうだったのに、唇を引き結んでいる彼の前へ私は飛び出した。
(普通に誤解を解いたり、気休めなんて聞いてくれるキャラじゃない。ここは……)
「ティラノサウルス!」
バーン!と効果音が出そうなくらい堂々と言い放つと、彼は足を止めた。
「トリケラトプス! プテラノドン!」
まるで必殺技のごとく恐竜の名前を並べると、遂に耐えきれなくなったのか、彼は口を開いた。
「君も恐竜に興味があるの……?」
そう。アダムは前世で言うところのオタクなのだ。なのにアダムはいいところのお坊ちゃんなため、オタクであることをさらけ出せず、肩身の狭い思いをしてきた。だからその思いの丈をぶつけるべく、ペンを取ったわけだ。
(私もオタクだから気持ちはわかるよ……!)
私は図鑑を並べている本棚から恐竜図鑑を取り出すと、彼へと差し出した。
「恐竜図鑑なら、これがオススメよ」
「……この図鑑を選ぶとは、ただものじゃないね」
オタク同士の意思疎通とは、こういうものだ。
「僕はアダム・ルーチカ」
「この書店のオーナー、リナ・エスパーダよ」
「えっ」
名前を聞いた瞬間、アダムの顔は目を見開いた。
(あー、そうだ! 評判良くないんだった―!)
ビビりなアダムのことだ。回れ右をされてしまっても不思議じゃなかったが……。
「だから恐竜にも精通してたんだね。この書店を経営してる人とは一度話してみたいと思ってたんだ……!」
評判よりオタク心が勝ったらしい。私たちは固く握手を交わした。
「あ、あの、さっきはすみません。図鑑のイラストがあまりにもリアルで驚いてしまって……」
アリシアが詫びると、アダムは少しホッとしたように口元を緩めた。
「そ、そう。僕のことじゃないならよかった」
「本当にすみません。知識もないのにしゃしゃり出ようとしたのが間違いでした……」
アリシアは肩を落として縮こまってしまった。
「彼女は友人のアリシア・クレムリン。彼女なりに私を手伝ってくれようとしてのことだから、許してもらえるとありがたいわ」
「うん。その、よろしく……」
アリシアにぺこりとお辞儀をしてから、アダムは私に向き直った。
「オーナーってことは、本の選別は君がしてるの?」
「父から引き継いでからはね。このスペースに収めるためにも私自身が良いと思ったものを置くようにしていて、図鑑のような専門書に特に力を入れているわ」
実際ゲームでこの書店に関するこだわりをリナが語っていたように答えると、アダムはうんうん頷いて見せた。
「なるほど……。ここにはよく来るんだけど、素晴らしいラインナップだと感心していたんだ」
「さっきアダム様が読まれていた図鑑もリナが選別したものなんですか?」
「ええ。図鑑なら抽象的なものより具体的な模写や研究結果があるものとかね。そして小説は……」
私は青い背表紙の〝悪女を愛した男〟と言う本を手に取った。
「ルチダ・アムカー。私、彼の書く小説の大ファンなの」
「! そ、そう……」
不意に自分の話題になったから、アダムは目に見えて動揺した。
「例えば……どんなところが好きなの?」
「よくぞ聞いてくれたわ! まずはなんといっても面白さね! 冒険譚では弱い主人公が敵とぶつかり合い、己の強さを磨いていくうちに仲間も増えていく……これがもう胸熱なの! あと恋愛ものも秀逸で、逆境に負けない主人公を見てると応援したくなるし、描写が丁寧で泣けるのよ〜! 彼は読者の心を動かす天才だわ! 私はもっと彼の作品を世の人に読んでほしい! というか知らないとか人生損してる! もったいなさすぎよ!」
「リ、リナ、落ち着いて……!」
ハッとアリシアの言葉で我に返った。
(ヤバイ、ついオタク心を解放しちゃった)
アダムルートでは彼が書いた小説が実際読めるから、その時のことを思い出して熱く語ってしまった。引かれてないかと恐る恐るアダムを見ると。
「うっ、うえ……ひっく」
「!?」
なぜか彼は唇を歪めて泣いていた。というか、私が泣かせたの!?
「あ、あの、怖がらせてごめんなさい。悪気はなくて……」
「ち、ちが、違う。今までこれでいいのかわからないまま書いてたから、どこか自信がなくて……。こ、こんなにも熱く語ってくれたのは君が初めてなんだ……」
涙を拭うアダムを見ながらアリシアは目を丸くした。
「書いてたって……えっ! ひょっとしてこの小説の作者ってあなたなんですか!?」
アリシアに核心をつかれると、アダムは後ずさった。
「あ、えっと……」
「リナも聞いたよね? ねっ?」
「え、ええ。その、私は本当にあなたの書いた小説が好きなの」
「っ! す、好き、なんて……!」
まごつきだしたところを見るに、照れているらしい。
「本心よ。好きなものだから自分だけではなく、たくさんの人に読んでもらいたいと思ってるの」
オタクの布教活動の精神とはそういうものだ。前世だって先駆者がいて、その人の影響で続々と面白い作品が生まれていった。
(この世界だって、もっとエンタメが広まれば後に続く人が出て来そうなのに)
どうしてこの世界に転生したかはわからないけど、このまま死ぬまでここで暮らすのを考えると、娯楽がないのはつらすぎる。
(乙女ゲーもないし、アニメもないし、漫画もないし……あーダメだ、あげていくとキリがない)
『愛憎不落』は好きだったけど、一生住むとなると話は別だ。
(せめてもう少しエンタメが……癒しがないとやってられないよ)
そこでふと、今並べられている本へと目を向けた。
(乙女ゲーは流石に文明が発達しないと無理だけど、紙媒体のエンタメならどうにかなるんじゃない?)
つまりないなら作ればいいのだ。
「アダム。私の計画に協力してくれない?」