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日本植民地化計画の末路  作者: 遠山枯野
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日の丸

 阿部が死去した年、米総領事タウンゼント・ハリスが来航し、交易を迫ると、大老、井伊直弼は勅許をえない状態でこれを承諾。日本にとって不利な条項を盛り込んだ日米修好通商条約が締結される。井伊直弼は安政の大獄により、阿部が登用した人物をことごとく幕政の中枢部から追いとおし、幕府人材の枯渇化を招いただけでなく、外様大名の敵意をむき出しにさせた。桜田門外の変で、水戸の脱藩浪士により、井伊直弼は暗殺されたが、幕政はもはや統治力を失っており、諸外国の圧力も重なって、国内は2分された。

 阿部正弘という緩衝材がなくなることで、国内の対立に歯止めが効かなくなっていた。相手の意をくむような姿勢は皆無であった。ある意味、私の思惑通りに進んだわけだが、阿部の存在の大きさを改めて実感したものだ。

 そして、時代は大政奉還、倒幕、明治維新、文明開化へと進んでいく。アメリカはその混乱に付け入ることもできたはずだが、国内でも南北戦争が始まり、それどころではなくなっていた。

 幕府は終焉を迎える形となったが、阿部の行った革命の火は決して消えてはいなかった。例えば、阿部は改革の実行役として、江川英龍、勝海舟、岩瀬忠震、永井尚志らの人材を登用した。その江川英龍のもとで学んだ書生の桂小五郎、勝海舟の元で学んだ弟子の坂本龍馬などの人物が幕末をリードしていったのだから。


 来日して40年たった今、私の存在など、アメリカ側ではとうに忘れられているに違いない。外国との往来が盛んになった今日では祖国に帰ることも可能であろう。しかし、私の居場所はもはやそこにはない。私は相変わらず、外国語教師として日本で働いている。

 3年ほど前に一度だけアメリカに帰国した。その際、マクドナルドと再開することができた。彼は日本を去った後もアジア各地を冒険し、アメリカ内で多くの書籍を残している。

「日本にはよき思い出ばかりだね。尊敬に値する人々だった。君はどうだね。日本で長年暮らして、さぞ楽しかったであろう。そうだ、ミスター・森山は元気かね。」

 私は言葉に詰まった。マクドナルドは陽の世界を生きた。私はスパイとして周囲を偽り、陰の世界を生きてきた。もちろん日本で素晴らしいものに触れることができたのは私の財産だ。しかし、寂しい気持ちが常に付きまとうのだ。私は静かに口を開いた。

「ああ、そうだよ。日本人は他に例のないすばらしい人々だった。だからこそ、他のアジア諸国と違い、我々の植民地にならなかったのだ。」

 私が顔を逸らすと、壁に飾ってある「日の丸」の(のぼり)が目に入った。これを日本の船印と決めたのも彼であったこと、この旗印に元にまとまりかけていた日本の姿を私は思い出す。この幟は私にとっての十字架なのだ。

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