pf.Werner=Heisenberg
銀行体は千二百程を数える高級塔建築が直立から湾曲、グルグルと巻き付き上層上部で巨大な球を形成した様な外見である。常軌を逸した巨大さで、最上層を周回するディラックの四十分の一程という巨大建築であるため遠方からも目視で確認され、概念波の内電磁波要因のみを以て判断すればその外見は潔白の色合いをしている。一本一本の塔建築もある程度の技術者集団がオフィスとして利用するには広く。最も大きく、唯一まっすぐに伸びた貯塔は下層域まで自由コロイドの貯蓄用保存管が通っている。起源は資本主義時代、コロイドを媒介した高度経済活動の中心として共同連合の管理下にあったものが、現在では更に拡大してラグランジュの物理的基盤となっている。技術者連加盟組織の一つである……
私は七つの移動回転回廊を乗り継いで本塔銀行体管理責任層までたどり着く。銀行体網は私に幾つもの権限を要求し、私は比較的その何れもを持ち合わせていなかったが、今回の場合私の名前がその代替を果たした。
「銀行体管理責任室銀行体管理責任室銀行体管理責任室」
壁面が識別波を発している。殻鎖紐を近づけると内部に受信用で有ろうと思しき突起が露出する。
どうして壁面内部の殻鎖網ではいけないのだろうか。
突起に刻まれた溝に沿って殻鎖紐を巻き付ける。
〈はい、重要機構管理機構です〉
「……ランダウだ」
〈ラグランジュ言語体系を用いて権限と実行内容を提示してください〉
「……」
私はありとあらゆることを試したが直線的に延びた通路の突き当りに一人、力及ばず如何ともし難い現状の中に放り出された。
……
〈はい、銀行体管理責任室の出入り口を開きます〉
意味が分からない……
壁面が融解し、しかし先程の受信突起を含んだ新たな壁面、枠に嵌った板の様なものが出現する。プレート。
{液体ガス}
私には、意味が分からなかった。私にはまた、意味が分かった。
ガチャ
気体振動波。
内部は広い空洞であり、左右に延びたパイプの中の様。
その最中に存在している格子状円形足場の上に浮遊しているそれは現状の私と比べて十倍は有ろうかという楕球、
中心に歪な枢錐を抱き、小さな三角形が周囲を周回している。
殻鎖紐が張詰め、所々の柱に繋がっている。無様な様相は噂に聞く、ヴェルナー・ハイゼンバーグ氏。
「……遅くなりました、はじめまして、ランダウです、随分と蓄えられているのですね……余り観良いものではないが」
私は歩を進めながら落下の恐怖に捕らわれ、それを押し隠す。周囲の物質に対して波が作用されず、何故だか浮遊が効かないからである。
「そちらこそ随分と小さいが……君は自身の立場を顧みないのかね、口を慎み給え、私はヴェルナー・ハイゼンバーグ、銀行体筆頭取締役であり、件のプロジェクトの指揮を幾らか担っている、よろしく」
私はコロイドの社交的交換に応じず、その多すぎるほどの全てを我が物とした。
「この地面は……コロイド生成物では無いのですね、この暗い空間は貯塔内部、上や下を流れているのは全て自由コロイドですか」
「そうとも、この空間は保存管の上端、管理支管空洞だよ、これらは網衛錐に関連する機構から一切独立しており、私の一存で動く、何しろ奴らは信用に足らないからな、君は網衛錐の起源を知っているかね?」
否定の意を表す。
「資本主義時代、下層調査集団のとある変人技術者だよ、彼は飛び抜けて優れていたわけでも無かったらしいが、突如として大発明を成し遂げた、本人は胡散臭い変人であり、とある思想集団、有り体に言って宗教団体に入り浸っていたらしいのだ、君も聞いたことがあるだろう」
「……」
「ウィリアム・ローワン、複合個体を完成体として仰ぎ、ラグランジアン全体の融合を目指して暗躍する反社会的活動組織だ」
「馬鹿な!下らない都市伝説を持ち出して、あなたは自身が複合個体であるからそのようなことを仰るのでしょう!あなたの様な方にその役目は務まらない、私と代われ」
私はヴェルナー・ハイゼンバーグの枢錐に対し低摩擦流結晶針を射出した。
しかし、対して分厚いコロイド内部に形成された幾百枚もの薄板が砕けながらも結晶針を固定し、針は融解する。
「あっはっはっはっはっ、賄賂かね、理不尽な奴だ、君こそ反社会的分子だよ、あっはっはっはっはっ」
無駄に振幅が大きい震動。
やはり複合個体というのは気に食わない、それは才能では無いだろうと思う、私の努力はどうなる。
「ははは、まあいい、この度のプロジェクトは調査と対策が主な目的であってね、対象はウィリアム・ローワン、君には構成員であろうと思われる人物に当たって貰おう、ライプニッツ、補助建築協会理事であり、銀行体からの不当搾取が酷い、決して私怨ではないが崩壊を誘発する事態を許可する」
下らない、私は調査対象を殺害したりしない。それもありもしない組織の構成員など。
「この団体は、君にも関係があるんだよ、君の複製母体のこと、私も勘繰っているのみではあるが……」
その言葉を聞くと共に私はその場を立ち去った。
ヴェルナー・ハイゼンバーグの言を完全に信用したのでは無論なく、さりとて無視することも叶わず、酷く中途半端な、困惑と特に名前のない(或いは名付けない事が一種の自己防衛だったのかも知れないが)負の感情が、只心中渦巻いていた。
銀行体管理責任室を出、銀行体の玄関に到着した私は行きとは別のⅡ型小移動網衛錐を呼び出した。父の、母の隠されたメッセージを、或いはそれに類するなにものか、そういうものを今は欲してすらいた。たがさてこそ以上、そんなものあるはずはなく。私は焦燥ごと自宅へ送られていった。
着いた。
「着いたのか……」
質の悪いことにまた返還されたコロイドは預けたそれの量を下回り、今回は四割程度。まだましとは言え今日は総計どれ程のコロイドを失ったことか。考えたくもない。小移動網衛錐交通網整備機構にクレームを入れなかったのは専ら疲労困憊の極みにあったからだ。自室に入るやいなや殻鎖紐と部屋のコロイドで寝床を形成しようとした自分を、止める理由もさして思い付かなかった。