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木星の鳥  作者: 猩々飛蝗
pf.prediction
10/17

pf.Familiar Confrontation

 視界が開ける。



 全くが下層に崩れ去ったラグランジュが見える。大きく隆起した全体は頂点に空白的宇宙の片鱗を示し、沈黙している。一つのラグランジアンも活動しない建築の跡。遠方には更に巨大な建築と、自由コロイド、metanitroの果て無い海。



 彼は思う。



 やはり、空には地平の果てまでの四肢が凍り付き、続いている。私はもうディラックの下に入っていたんだな……



 大抵のことを思い出していた。空間的広がりが消滅しても決して消えることの出来ない二人から発生した、二人を接触させるための、二人の内部の存在。文明。



 今、私が文明の果てであること。



 これまでの同一な点、これまでの差異、今回の特別さ。



 どうしてもディラックに維持されてきたであろう元幕内の一部は絡み合い、変色している。一機だけ地に落ちた我々のディラックも塔建築に覆われている。



 記憶よりも多く周回する用途不明の衛錐は、屹度役割など持っておらず、ただ己が欲望を満たさんと藻掻いているのであろうな……



 近付いてくる衛錐から、物欲しげに延びる殻鎖紐に接続すると、中心には何があるのかと問われた、我々は一体何者なのかと、私は答えを教え、彼はディラックへ昇っていった。



 ここには、電子機器としての機構が寸断された一つの枢錐と周囲を取り巻くコロイドが浮遊していた。



 それはふと、精巧にハミルトニアンを、人類を象った。



 私も行かなければならない。



 そう、彼は思う。






 ラグランジアンとは、ハミルトニアンの模造品である……



 ハミルトニアンとは、ディラックの模造品である……



 ディラックとは、中心であり、宇宙であり、全てである……



 もしくは、それらのインターフェースである……



 JUNO021は、もう一つの、ハミルトニアンの模造品である……



 ファインマンとは、JUNO021の模造品であり、ラグランジアンである……



 ランダウとは、ファインマンの模造品である……



 これらが文明の全貌であり、その集約された一点に名前は無い。それは名付けられる必要性が無い。



 個人と化した文明の中に、最早個人は入っていない。



 しかし、では、文明自身は入っていないのか?



 そんな命題を中心は考えてくれない、文明も考えない、それは必然の過程に生まれた安定への連鎖反応に過ぎないから、価値は消滅している……




《今回は屹度うまくいく》




 リチャード・フィリップス・ファインマン



 複合個体ランダウ・リフシッツは、私は、上昇の果て、幾本もの攻線を発しながら、残虐に掻き混ぜられた日常を抜け、苛烈な空中戦闘域を抜け、我々の見て来た、私の憧れたディラックの反射版や、防御機構を抜け、内部に汎用衛錐ライプニッツを停泊した。そこに技術者などはいなかった、引き払っているのか、元々自律しているのかは分からないが、所々に資料室や、末端維持機構室が存在している。内部にはラグランジュ言語体系を用いた識別が成されており、それらが何のためにあるのかも、我々のディラックを含むディラックが何処から来た何なのかも結局分からなかったが、内部構造は分かった。



 丸で生体の細管の様な液管や、宇宙戦艦内部の様な通路、通路の様な液管や、液管の様な通路を抜けて、それらが幾時代にも渡る誰かの継ぎ接ぎなのだと知る。



 時には移民船として、



 時には空母として、



 時には観光船として、



 時には戦艦として、



 そして、ネットワークの中心、維持機構として振る舞うディラックの断片が垣間見え、それら以前の、もっと不明な用途だって存在していたことが分かる。



 奥まって行くにつれてハミルトン言語体系における記述が増え、興味深いそれらの全体量は自然崩壊までに読み終え得るものではない。生憎にも私は急いでいて、どうするのが正しいかなど一目瞭然であった。



 構造はどんどん柔らかく、鮮烈で、曲線的になった。



 細い道、吸い付くような壁。暗さ。ここであっている。



 花弁のような壁面の隙間に身を埋め、纏わりつくそれらを超えて、大きい抵抗の中、向こう側へ抜ける。体を揺さぶられるような強い加速があちらこちらから襲う。明るく大きな空洞、大規模比波空洞、照明器具の様な光る網、光る球、幾重にも重なった球形の編み物全てが比波効果をもってディラックを動かしているのか。



 揺さぶりに対して打ち消す方向に踏ん張りを掛けながら中心へ向かう。



 網を潜り抜けるごとに揺さぶりは小さくなったが、方向転換や慣性の維持に際して回転のパターンが変わり、行く手を阻む。



 抜け出す。


「抜け出したのか……」


透明な簡易巨球は無かったが、それ以外は寸分たがわない。


「ランダウ」


ファインマンは一切の殻を構築せず、その異様に変形した枢錐とコロイドだけを以てそこにいた。


「久しぶり、ファインマン、最高教役、リチャード・フィリップス ・ファインマン 」


{久しぶり、ランダウ}


潜り抜けて来た網球が、内側、私に近い方から順に消えていく。その傾向はずんずんと進み、ディラックは消滅した。戦争が見える。しかし、我々に到達する随分前に消える攻線、出現する反撃はディラックが単に透過して見えているだけだと教えてくれる。



 一瞬間五つの方向における景色が途轍もなく近付いて見え、拡大され、その内三つにはディラックが映っていた。視界が元に戻り、二つのディラックは跡形も無く大破している。一つはその版を殆ど失い、垂帯のみの死神然容姿になり果てている。


「なんてことだ……打ち勝ってしまったのか……三つの国に……」


{そう、我々のディラックの類稀なる演算能力が成せる業だ、四元方向から周り込んだ大攻線だね、不謹慎ではあるが、外側から見た方が派手で美しく面白い、しかし、頭を取られても慣性が残るから、推進力を失った弾頭にも破壊力が伴うように彼らはまだ脅威だ、それに、遠距離には幾百のディラックが、近くにも身を隠したディラックが多くある、もしこのまま続けても勝ち目は無い}


優しげな淡白さをもって語る。


{分かる質問になら回答しよう、まだ幾分時間はあるし}


「ファインマンはラグランジアンだろ?」


{もちろん}


「じゃあ何でそんな……」


{自然言語だからさ}


「ラグランジアンの自然言語はラグランジュ言語体系だ」


{誰しも自然言語は此方だよ}


「さっきは呼びかけてくれたじゃないか……」


私は多くの質問をした。


{そう、ライプニッツやハイゼンベルク、それに他の皆や私、一般にウィリアム・ローワン・ハミルトン教団と呼ばれる組織の高等教役者は大体が幕外の人間、いや、この国がカアテン、大型疑似反波発震体に覆われる前の生まれだ、我々は乱雑で非効率な根本的あり方、戦争から隔離した一部を整理し、資本主義を形成し、またそれを打ち壊して均一で効率的な生死の連鎖を作り出し、それを加速した}


「それをするのは当然に思える、妥当に思える、だけど、一種不毛な質問としてだけど、ファインマンは生死の連鎖に一体何の意味があると思う、ラグランジアンは初め、いない、しかし、生まれる、しかし、死ぬ、前後には何の変化も無く、無意味に思える」


{……そんな馬鹿な…………何の変化も無い、だなんて……ランダウ、個人というのは閉じたシステムだ、意味という考え方はね、主観があって初めて出現するものだ、お前という主観はお前がいない頃や死んだ後を直接認知することは無いからそこに対する価値判断は無いんだ、無意味ですらない、それに、ラグランジアンは生涯に渡って周囲と相互作用をし、自己を改変し、改編された自己で再び環境と相互作用をするだろう?周囲というのは基本的に社会であって、社会という主観はお前から得たものを活かす、ランダウはお前自身にも、社会にも意味を見出された個人なんだよ}


「そんなに変わらずに、いつもの様に話さないでくれよ……」


私は多くの質問をした。


{そう、それだけが理由ではない、我々の起源とは、我々の比較的客観な存在理由、経緯、社会の主観とは、それらの回答は全て上空のあれに集約される}


変わらず、地平の果てまで続いた十字、ラグランジュを覆い尽くす不明な構造物。


{神秘的だろう、あれがディラック、我々ウィリアム・ローワン・ハミルトン教団が崇める神だよ、大仰に聞こえるかも知れないが事実の言い換えに過ぎない、観測された事実としての法則は、法則を知らない大衆にしてみれば信じるしかない神様なんだ、だから完璧に解明され得ない浮世は常に何処かで神様でしかあれない、そういう不明部がディラックであり、ディラックは当然全世界余すとこ無く偏在している、実はあれの本体はこの惑星地中に埋まる簡易巨球であり、あれはそれを枢錐とするラグランジアンの殻と言えば分かり易いだろう、我々ハミルトニアンやラグランジアンはディラックの複製でしかないから構造が似ているんだ}


ディラック、ハミルトニアン、簡易巨球、惑星、



 断片的、若しくは全く概要を把握していない概念の紡ぐ論理は私にとって破綻していた、にも関わらず、まるで前提知識があるかの様に旨が理解された。


{簡易巨球は宇宙そのものの末端、宇宙が線の集合であるならば全ての線が集まる一点、宇宙が面であるならば全ての面が集まる一線、立体であるならばその一面、そして何も空間的のみならず、時間的、電磁的、重力的、強的、弱的、対極的、感情的、まあ、あらゆる次元中に存在するあらゆる構造の端くれ、それがディラック、それに内容物は無く、輪郭を構成する隅でしかあれないものだ、そして、主観である、つまり判断、方向性の根源だよ、何故かって、それは、ディラックは二つある、シンメトリーとしてね、オブジェクトはオブジェクトと相互作用することで初めて活動するだろう?ディラックが二つ無ければ宇宙は動かなかったし、ディラックが二つあることが宇宙の存在の証明に他ならないんだ}


地面さえも透け、簡易構造巨球ディラックが露わになる、大地に含まれていたはずなのに、大地より大きく見える。不可視の領域は更に拡大し、星空から一つ一つと光が消える。ファインマンとディラックしか見えない。遠方に丸い月が見える。



 私は多くの質問をした。


{我々が住んでいると思われる世界は実は存在していない、そこには輪郭、つまりディラックのみが存在していて、ディラック自体にも本質は無い、輪郭は他の輪郭と引き合い、形を変える、すると輪郭によって定義される空白の形も変化し、時が進む、我々はディラックに定義された空白の一形態としてしか存在していない、そして見なさい、あの球には内部が存在している様に見えるだろう、しかし、私達こそがディラックに囲まれた内部であるのだからあれは外部だ、輪郭の無い、定義されない空白、あの簡易巨球の内部のみが宇宙で唯二の存在しない空間なんだよ、そしてその二空間の接触は輪郭の消滅を意味し、宇宙は全体がゼロになったディラックとディラックの間隙に吸い込まれ潰れる、神様は常にそこに向けて欲求を発散したがっている、それは高い所にある水が落ちる様な自然な傾向なんだよ}


理解される、理解し得ない現実。



 復元する、可視の大宇宙と{木星}、知り得ないはずのハミルトン言語体系における一単語が我々の母星。未だ我々のディラック、いや、ディラックと呼称するのが到底ふさわしくないラグランジュの親は不可視である。



 私は質問を止めて口を噤んだ。



 丸で私の質問が継続されているかのような間となだらかな説明がずっと聞こえる。


{文明というのはね、ディラックとディラックの最接近点に出現する相互作用の濃い媒介因子、糊のようなものだ、それらは神様の複製であり、即ち主観、無限に続く主観によって構成された主観群の事だよ、それらは本質的に宇宙滅亡の為の道具でしかない、文明が観測できるのはディラックの間でも最接近座標の周囲ほんの少しだけ、それが我々におけるこの三次元プラス一次元物理宇宙だったという訳だ、現在もう一つのディラックはハミルトニアンの母星、地球にある}


脳裏をよぎる単語。


「思い出した、{JUNO021}……私は{JUNO021}だ!」


悲しい。



 私は今なら分かる、私は…………人類じゃ、ない。


{何のことだい?ランダウ}


「ファインマンは、思い出さないのか……貴方はそんな風に人類として振る舞っているけど、貴方のみは……貴方と私ののみは絶対に人類じゃない、貴方のそれはハミルトン言語体系に似せてあるだけで、根底には0と1しかないんだ」


地面が割れ、塔建築が傾きだす。空になった銀行体がグラつき、堕ち、転がる。下層までがめくれ上がり、私が目にした私の二つの母星が混ざる。娯楽錐の断片が地に飲まれ、瓦礫が浮き上がりつつ溶け、全てのディラックが攻撃を止め、出でていた攻線は殻鎖紐となり替わり、繋がって上昇を始める。


{…………始まったよ、ランダウ、ディラックが励起するタイミングは予め決まっている、それまでにどれだけの効率でラグランジアンが崩壊し、衛錐として演算能力に寄与をするかが鍵なんだ}


真のディラックの姿が露出を始める、我々のディラックや、その他のディラックが比波空洞で引き上げているのだ。



 皆どんどん版を失い、解け、更に何かを落としながら繋がっていく。


{私はもう、このディラックの複雑錐内部にいる、融合を拒んで、最後にお前と話をしたかったのさ、さようなら、ランダウ、複合個体から本来は発生するはずのない奇跡の複製子体、生まれてきてくれてありがとう、宇宙の……完遂を…………祝し………………て……………………}


ファインマンは周回コロイドで象った自らの姿を融解し、霧散した。

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