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木製の扉を開けると、店に入る時と同じ様にカランカランと鐘が鳴り響いた。
店の外はすっかり暗くなって、その上寒さも増して、二人で白い息を吐きながら手を繋いで歩いた。
「あぁ、美味しかったぁ〜あーお腹くるしぃ〜」
リーベルはお腹に手を当てて満足そうな顔をしていた。アルトも無理に食べたせいもあってか少し辛そうな顔をしている。
「うん、僕もお腹いっぱいだよ」
「それにしても、罪作りなお店だったわ。色々な意味で」
「すごかったね、色々な意味で」
「ふふふ。さ、ホテルに戻って入浴タイムとしましょうか」
アルトの体が一瞬ぴくりと反応した。
しかしその顔は平静を保ったまま、アルトはリーベルを見上げた。
「今度は僕が先に入るね」
アルトはあくまでも二人での入浴を拒否した。
反論に身構えていたアルトだったが「いいわよ」と、リーベルは随分と大人しく引き下がったものだから内心驚いた。
──未だ繁華街は雑踏としていたが、中央区から他の区に差し掛かる頃には流石に少なくなってきた。
明日の予定をどうするか二人で話していると、背後から自分達を呼び止める声がした。
「そこの嬢ちゃん達」
リーベルが振り返ると、そこには目つきの悪い、天を突くような派手な髪型をした男がイヤらしい顔でこちらを見ていた。
「何でしょうか?」リーベルは冷たい表情で答えた。
「この街は初めてで道に迷ってよ、悪いんだけど教えてくれねぇか」
そう言って男は近付いて来たが、リーベルは距離を保って下がった。
酒臭い。相当呑んでいるのか、離れていてもわかるぐらいに臭う。
「すみません、先を急ぐので」
リーベルはなるべく相手にしない様にこの場から去ろうとした。しかし男も引き下がる様子は無く尚もしつこくまとわりついてくる。
老夫婦が怪訝な顔をして通り過ぎたが、助けてくれる気配は無かった。
「頼むよ〜。迷子なんだよ〜俺達」
「私達もこの街の人間ではないの、ごめんなさ……」
リーベルはハッとしてアルトの姿を確認すると、アルトはリーベルの瞳を無言で見ていた。
その背後にはもう一人男がアルトに密着するように立っている。背が低めの男で、顎が前に出て顔全体が岩の様に角張っており、体格は大きかった。その気になれば、この男の腕力だけでアルトを殺す事も十分に可能だろう。
リーベルは唇を噛んで「卑怯者」と小さく呟いた。
「いやぁ、助かるよ! この街は初めてでね。迷って困ってたんだよ!」
派手な髪の男は態とらしく声を上げ、顎を使ってリーベルに「歩け」と指示を出した。
リーベルは不安な面持ちのアルトにウィンクして見せ、派手な髪の男の指示に大人しく従った。
「オレっちはボートン、後ろの奴はベンザレスっていうんだ、よろしく……な!」
そう言いながら、ボートンと名乗る派手な髪の男がリーベルの横に並ぶ様に歩き、その後ろをアルトとベンザレスという背の低い男が歩いていた。
「この街は素晴らしいね、気に入ったよ!」
リーベルはボートンの歩調に合わせて歩いていった。ボートンの視線は常に狭い道へと向けられ、リーベルは無言のまま意図された方へと歩いた。
そのうち辺りは人気も無くなり、街灯が一本だけの、薄暗い通りにまで来た。そして、四つの人影が止まり──
「そろそろいいんじゃない?」
リーベルがそう言うとボートンは辺りを見回し、人がいない事が確認出来るとニタリと不気味に笑った。
「用事は何かしら? 早く帰りたいのだけど」
リーベルは、ボートンに対して臆せず目に見えて不機嫌な態度を取った。
「もう少しばかり、辛抱してくれねぇか。黙ってりゃ、すぐ終わるさ」
リーベルはボートンに「何をするつもり?」と聞きながらアルトの様子を伺った。アルトはベンザレスに腕を掴まれているようで身動きは取れそうもなかった。
「くっくっくっ。この街は酒と飯は美味いが女は売ってないみたいでな! そこへ、ちょ〜どいい所に美少女様が通るもんだからよ。これはもしかして……神の思し召しかと! アッハッハッハ!」
ボートンは自分が面白い事を言ったとでも思ったのか、笑いを誘う様に大袈裟に笑った。ベンザレスは固い表情でボートンを見ている。
「……はぁ。まっぴらごめんだわ。そこの酒樽にお願いしてみてはいかが? 私より幅があるし抱き心地良さそうよ?」
リーベルは嫌味を効かせて相手を馬鹿にした。
「うっ」アルトが呻き声を上げた。見るとベンザレスが乱暴にアルトの体を掴み、背中に銀色の切っ先を当てている。
「くくく。妹さんの背中に風穴が出来るぜ?」
ボートンは不敵に笑いながらリーベルを見た。
「離せ、僕は男だ!」アルトは暴れながら叫んだ。しかし、ベンザレスに動きを封じられ、身じろぐのもままならなかった。
「アルト君! 大人しくしてて!」
リーベルはアルトに声をかけつつ、ベンザレスの動きに注視した。
この状況では、あの岩みたいな顔をした男が厄介だ。せめてアルトだけでも逃がす事が出来ないか、リーベルは考えていた。
「おんやまぁ、そんな可愛い顔して弟の方だったか」
ゴートンは口角を上げ、ゆっくりと口を開きその汚い歯を覗かせた。
「おいガキっ! 今から俺が女の仕込み方を教えてやるよ。男ならじっくり見て勉強するこった。くっくっく」
ボートンは酒樽の上にリーベルの上半身を強引に押し付けた。「くっ」と呻いたリーベルの背後でボートンがニタリと笑う。
「嬢ちゃん、いいケツしてるじゃねぇか。形もいいし、厚みもある。今から俺の愚息がそちらにお邪魔するんで、暖かく迎え入れてくれねぇかっ?」
そう言ってボートンはリーベルの服をたくし上げた。真っ白な太ももが顕になる。
男はリーベルを樽の上に押し付けながら、自分の股間をまさぐった。
「すぐ、終わるからよ」
リーベルは表情一つ変えずに、抵抗する様子も見せなかった。ただじっと、その瞳にアルトの姿を映している。
「やめろーーーーっ!!」
堪らずアルトは叫んだ。
血が沸き立つような熱い感情が体の奥底から込み上げてくる。あの男が憎い、許せない。アルトは怒りの感情に染まっていった。
──なぜ、人は人を傷付けるんだ
──なぜ、人はこんな酷い事が出来るんだ
──ナゼ、人間はこんなにも愚かなんだ……
突如、ジジジと耳障りな音が響き、街灯の光が強く輝いた。
ボートンがその光の眩しさに気付き「んだぁ?」と苛立ちながら振り向く。
男がその先に見たのは、まるで野犬のように歯を食いしばり、殺意に満ちた目をしたアルトだった。
その目を見た途端、ボートンはまるで恐怖に縛られたかのように固まった。
「アルト君! 落ち着いて!」
リーベルのその声に、アルトはハッとし強張った表情を緩める。
街灯の光りが消え、しかしそれもすぐに元の光を取り戻した。それは、瞬きにも似たほんの一瞬の暗闇だった。その街灯は再び四つの人影と、五つ目の人影を作った。
「──やぁ、キミ達。こんな所でナニをしているのかな?」
突如として、歌い人のような響きのある声色と共に、一人の人物が現れた。
今まで闇に潜んでいたのかと思える程に、あまりの唐突な出現に一同は言葉を失った。
睫毛の長い切れ長の目に、鼻筋の通ったその顔は美しくも凛々しい。
そしてその腕には、リーベルがまるで花のように優しく抱かれていた。リーベルも思わぬ出来事に目をパチクリとさせた。
「な、何が起きやがった!?」
ボートンは理解が追い付かずに驚愕した。先程まで女を押し付け、自分はその背後にいたはずが、今は自分が酒樽の上に顔を押し付けている。
「くそ、誰だてめぇ!? 治安部隊のもんか!?」
ボートンは怒りを露わにし、体を起こした。
その途端、酒樽に銀色の剣が突き刺さり、ボートンは目を見開いて驚いた。その剣は自分の股の下から生えるように伸びている。下手すれば女を相手にする所の話しでは無くなっていただろう。
「おっと、動かないでくれたまえ。なるべくつまらないモノは斬りたくない」
その剣を握る麗人の剣士は、ボートンの背後から動きを制して髪をかきあげた。
剣を股に挟んで動きの取れないボートンは叫んだ。
「ベンザレス! 俺を助けろ!!」
するとベンザレスは小さく唸り声を上げながらゆっくりと動き出し──そして、地面に膝を着いて崩れるように倒れていった。
「おおいっ!? ベン!!!」
その男は口から泡を吹き出し、白目を剥いて気絶していた。アルトは倒れた男を一瞥した後、リーベルの元へと駆けていった。
麗人の剣士はリーベルを優しく解き放ち、そして顔を覗き込むようにして囁いた。
「怪我は無いかい? 可愛い妖精さん」
リーベルは背中がむず痒いのか、肩をすくめながら苦笑いを返し、礼を言って走ってくるアルトを迎えた。
「くそっ」
隙を伺っていたボートンが腰に付けたナイフに手を伸ばした──が、またもや麗人の剣士はボートンの股下すれすれに剣撃を放ち、その切っ先を樽に突き立てた。麗人のその動きは、ボートンがナイフに触れるよりも遥かに早かった。
「ひぃぃぃっ」男は負け犬の様な甲高い声で悲鳴を上げた。
「何度も言わせないでくれたまえ。ボクはあまり剣術は得意じゃないんだ、次はどうなるかわからないよ?」
麗人は髪をかきあげ、にこりと白い歯を見せて微笑んだ。
「アルト君、大丈夫?」
「うん、大丈夫」
麗人は剣を引き抜き、そのままボートンの背中に切っ先を向けた。ボートンは両手を上げて、降参の意思を示した。
「さて、お兄さんは可憐な少女にナニをしようとしてたのかな?」
麗人は優しく微笑みながら、背中を向け両腕を上げているボートンに質問をした。
「嬢ちゃんと少しばかり、な、仲良くなりたいなぁ〜と想っただけでして……ははは──」
「んじゃ、その酒樽と仲良くするといい」
そう言って麗人は、蹴りの一撃をボートンに浴びせた。
男は弓なりに反って吹き飛び、「ウォォォ」と叫びながら勢い良く酒樽に衝突した。男は酒樽に頭を強く打ち、そのまま抱きしめるように気絶した。
麗人は溜め息をつきながら剣を鞘に納め、リーベル達に向き直った。
「やれやれ。どこの街にもいるもんだね、こういう下衆な輩というのは」
「どなたかは存じませんが、助けて下さってありがとうございます」
リーベルはその麗人を見上げながら、礼を言った。
「やぁ。当然の事をしたまでサ! ボクはサギリナというしがない傭兵さ、良ければレディ達の名前を、こうして出会えた記念に教えてくれないかな?」
「……私はリーベルよ、この子はアルト」
リーベルは少しばかり名乗るのを躊躇したが、助けてもらった手前言わない訳にもいかないと判断した。
名前を出されたアルトは、歩み寄ってサギリナを見上げた。
「あ、あのぉ。僕は男です……」アルトにとって、そこは弁解しておきたかったようだった。リーベルは思わず苦笑いをした。
「な、なんだって!? それは失礼した。二人共可憐な香りがしたものでね。あぁ、ボクとした事が。悪く思わないでくれ」
サギリナと名乗る人物は、額に指を当てて苦悩の表情を見せた。大裟な動き方をする人だな、とアルトは思った。
「いえ、確かに女の子っぽいので間違えでもありません」
そう言うリーベルは何か誇らしげで、そこが自慢なのと言いたげでもあった。
「リーベル、やめてよ」アルトはうんざりした顔でリーベルを小突いた。
「助けて頂いて感謝致します。さぁ、アルト君行きましょう」
リーベルはサギリナに礼をしてアルトの手を取った。アルトもリーベルに手を引かれながら、サギリナに軽く会釈だけして、リーベルに並んで歩いていった。
「また会えることを楽しみにしているよ!」
サギリナは二人の背中に手を振り、やがて姿が見えなくなると、目を細めて微笑んだ。
「──変わった香りのする子だね」
サギリナは踵を返し、静かに闇の中へと消えていった。






